謹賀新年

読書メモとしてこのブログを始めてから、早いもので7年近くになります。

昨年もまた、怠惰ゆえにほとんど更新できなかった(更新しなかった)一方で、頭の整理のためにも書きたいことはやはりたくさんあったりするものの、このところは、もはや焦りがつのることも少なくなり、いいことか悪いことかは分かりませんが、自分のペースで進むしかないなぁと開き直ることの方が多くなってきました。

とまれ、このブログを訪れてくださる方にとって、今年が良い年でありますようお祈り申し上げます。

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講演会のお知らせ

久しぶりの更新なのですが、ただの宣伝で済みません。

私の勤務先にて、下記のような公開講演会が催されます。

10月29日(土)13時~16時
「公のなかの私 私のなかの公」

日本大学商学部3号館講堂(世田谷区砧5-2-1) 行き方はこちら
   小田急線「祖師ヶ谷大蔵」駅下車徒歩12分
   小田急線「成城学園前」駅下車徒歩18分
   成城学園前駅下車「渋谷駅」行き東急・小田急バス日大商学部前下車

基調講演 「公のなかの私 私のなかの公」(桜井徹 日本大学商学部教授)

研究報告 「"極限体験"における公と私」(安原伸一朗 日本大学商学部准教授)
       「"つながり"における公と私」(長谷川勉 日本大学商学部准教授)
       「原子力開発における公と私」(小島智恵子 日本大学商学部教授)

登録不要、無料、どなたでもご参加できます。

詳細は、こちらをご覧ください。

私は石原吉郎について話す予定ですが、私の話などはともかく、専門・教養それぞれの教員が一つの大きなテーマのもとに話すという機会はあまりないことですし(それだけ話がまとまりに欠けるという危険もあるわけですが)、いろいろな話題が出ることと思われますので、お時間、ご関心おありの方は、ぜひご来聴ください。

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負うた子に教えられる

・コーマック・マッカーシー『ザ・ロード』(黒原敏行訳、早川書房、2008)

本当は目前の仕事をこなさねばならないのだが、つい読み始めたところ、止まらなくなってしまった。でも、現実逃避に似たこういう読書が、実は、本当に楽しいものだったりする。

本書は、人間もほとんど生き残っていない荒れ果てた世界での、父と息子の旅路の物語。二人は、食糧を求めつつ、二人きりで、とにかく暖かいであろう南へと徒歩で向かう。しかしそれは、単に生き延びるための道行というわけではなく、何かを伝えねばならないという使命感に突き動かされた放浪でもある。父は、夢うつつのなかで内心、次のように述べる。

「この道には神の言葉を伝える人間が一人もいない。みんなおれを残して消え去り世界を一緒に連れていってしまった。そこで問う。今後存在しないものは今まで一度も存在しなかったものとどう違うのか。」(p.29)

この親子は、あかたも伝道師であるかのように、自分たちを「善い者」だとする。実際、人間を殺して食べてしまう人々がはびこる世界のなかで、二人は、自分たちが生き延びるために最低限のことだけを行ないながら、残虐行為にほとんど手を染めることなく、とてもストイックに歩を進めていくからだ。そして、神話的なこの物語に、終末論を展開する一神教の側面を見出すこともできるのだろう。

とはいえ、それよりも注目されるのは、食糧を探す二人の周囲の状況はその都度、描写されるのに対して、世界がどうして荒廃したのかといった大きな文脈がまるで説明されていないことによって、鍵括弧で囲われていない父と息子の会話が、いっそう、はっきりと浮かび上がってくる、という点である。「おそらく世界は破壊されたときに初めてそれがどう作られているかが遂に見えるのだろう」という本書の言葉通り(p.249)、飢餓すれすれの極限状態に置かれているからこそ、そして、寓話と言っていいくらいに装飾が削ぎ落とされているからこそ、父と息子の交わす最小限のことばが、ひしひしと胸に迫ってくる。

息子は、どうしてこのような状況に身を置くことになったのか、おそらくは理解していない。けれども、父にその理由を尋ねることはない。健気にも、息子は、いつも父に付き従い、父のことばを反芻したり、父のことばから自己確認したりする。

「お前は、悪者ってどういうのか知りたがってただろう。今はもうわかったはずだ。ああいうことはまた起こるかもしれない。パパの役目はお前を守ることだ。神さまからその役目をいいつかったんだ。お前になにかしようとするやつは殺す。わかるな?/うん。/少年は頭からかぶった毛布で身体をくるんでいた。しばらくして顔をあげた。ぼくたちは今でも善い者なの? といった。/ああ。今でも善い者だ。/これからもずっとそうだよね。/そう。これからもずっとそうだ。/わかった」(p.69)

そんな彼らは、「火」を運んでいる。息子が父に、殺人をしないことを確認しようと尋ねる。「ぼくたちは誰も食べないよね。/ああ。もちろんだ。/飢えてもだよね?/もう飢えてるじゃないか。/[…]それでもやらないんだね?/ああ。やらない。/どんなことがあっても。/そう。どんなことがあっても。/ぼくたちは善い者だから。/そう。/火を運んでるから。/火を運んでるから。そうだ。/わかった」(p.114-115)。

この物語での「火」とはまず、現実の火を指しているのだろう。実際、父と息子は、本書のなかで、暖を取るためであったり、食べ物を温めるためであったり、とにかく行き着く先々で、幾度となく、たき火をする。その意味では、文字通り、二人は火を運ぶ人である。

でも、その「火」とはまた、ことばのことでもあるだろう。というのも、二人が息も絶え絶えに運ぶのは、なによりも、ことばだからである。それまでずっと息子を率いてきた父は、とうとう息子と立場を入れ替える。「二人は道路の壊れた迫持台に腰かけて川水が逆巻き鉄格子の上をうねりながら乗り越えていくのを眺めた。彼は川向こうの土地を見やった。/どうするのパパ? と彼はいった。/どうするかな、と少年はいった」(p.250)。そして父は息子に、メッセージを残す。

「父親は息をあえがせながら少年の手を取った。先へ進むんだ、といった。パパは一緒には行けない。でもお前は先へ進まなくちゃいけない。道の先になにがあるかはわからない。パパとお前はずっと運がよかった。お前はこれからも運がいいはずだ。今にわかる。だからもう行きなさい。これでいいんだ。/行けないよ。/[…]お前は火を運ばなくちゃいけない/どうやったらいいかわからないよ。/いやわかるはずだ。/ほんとにあるの? その火って?/あるんだ。/どこにあるの? どこにあるのかぼく知らないよ。/いや知ってる。それはお前の中にある。前からずっとあった。パパには見える。/[…]絶対にぼくを置いてかないといったじゃないか。/わかってる。ごめんよ。でもパパの心は全部お前のものだ。今までもずっとそうだった。お前が一番の善い者だ。ずっとそうだったんだ。パパがいなくなっても話しかけることはできる。お前が話しかけてくれたらパパも話しかける。今にわかるよ」(p.252-253)

死してなお、生き残った者に語りかけることば。これが、父が伝道師然たる所以である。父と息子との関係とは一般に、このようなものなのかもしれない、とも思われる。子どもとは、何かを教える対象なのではなく、たぶん、それが何であるかを親からはけっして教えることのできない何かが必ず親から伝えられ、そしてその何かを理解する鍵は、ただ子どもだけがもっている、という存在なのだろう。父は、息子に対して、「先へ進むんだ」としか言わない。父のメッセージとは、字義上はそれだけだ。だが、そのメッセージによって、子どもには、生涯の宿題が課せられる。「パパには見える」けれど、「どこにある」のか「ぼく」にはわからない火。この息子がおのれのうちの火を見出すのは、きっと、いつか来たる自分の子どものなかであるに違いない。

ところで、死に直面した父から受け継がれるものと言えば、フィリップ・ロスの『父の遺言』における、父の遺産が思い起こされる。頑固で皮肉屋であり、いろんな人と衝突してきた父が、病に斃れた時、息子である語り手は、『ザ・ロード』の父子と同じように立場を入れ替えて、父に対して、「いままでいっぺんも言ったことのない四語を発したのだった。"Do as I say"――「僕の言うとおりにしなさい」と私は父に言った」(『父の遺産』柴田元幸訳、集英社文庫、p.103)。そして語り手は、父から驚くべき「遺産」を受け取るのである。

「ふんぷんたる悪臭を放つピロケースを私は階下に降ろし、黒いゴミ袋に入れて口をぎゅっと縛り、あとでランドリーに持っていくよう車のところまで運んでいって、トランクに放り込んだ。そしてこうして仕事を完了してみて、なぜこれが正しいのか、なぜしかるべき行ないなのか、私はこの上なく明確に理解した。あれこそが父の遺産なのだ。あれを掃除することが、何かほかのものの象徴だからではない。むしろ何の象徴でもないからだ。あれを掃除することこそ、生きられた現実そのものであり、それ以上でもそれ以下でもないからだ」(p.222)。

「それ」は、他人からしても息子からしてもどうにも臭く撒き散らされた物体なのだが、唯一のオブジェでもあるのであって、そのかけがえのない意味は、息子たる語り手が独りきりで理解するよりほかないものなのだ。これは、文字通り、裸の(裸形の)父子関係なのだろう。

ここでふと、父性と息子について論じているエマニュエル・レヴィナスも念頭に浮かぶ。彼は、「私」という主体が、他者の「顔」を前にした倫理性から、女性的なものと間の閉じられたエロスを踏切板として、「息子」が生み出され、無限の時間が連接される繁殖性へと至るのだ、と論じていた。しかしその子どもとは、「我が子は異質の者であるが、それはたんに私のものではないだけでなく、その子が私でもあるからだ」というように(Totalité et infini, Livre de poche, p.299。以下はすべて私の戯訳)、私でありながら私ではなく、いわばもっとも近い他者であって、所有関係など成立しようがない。

「息子は、父の唯一性を受け継ぐが、しかし父に対しては外在的なものであり続ける。つまり、息子とは唯一の息子なのだ。それは数の問題ではない。父の息子はそれぞれ、かけがえのない息子、選ばれし息子である。息子に対する父の愛は、他者の唯一性そのものとの間にただ一つ存在しうる関係を成就させる」(p.311)。

子どもを授かるという表現もあるように、子どもとは、つくるものというより、生まれてくるものなのだろう。そういえば、フランス語でも、naîtreという語は、生まれるという状態の変化を表わす自動詞だった(もっとも、出産するという動詞accoucherもあるが)――もちろん、私が出産を身をもって経験することのできない男性だから、子どもは生まれるものだなどと、気楽なことを言えるのだろう。ともあれ、子どもは、老いていく私の無限ではなく、世代を貫き、その都度刷新される無限の時間の可能性である。レヴィナスは、父性の時間にかんして、次のように記していた。

「自我が、避けることのできない死という決定的なものを経て、他者のなかへと引き延ばされる父性のなかで、時間は、おのれの不連続性を通じて、老いや運命に打ち勝つのだ。父性――自己自身でありながら他者である方法――には、時を経る事柄のもつ同一性を乗り越えられないような時間における変容といったものや、自我が化身しか知りえず、他なる自我とはなりえないような何ぞやの輪廻転生といったものとは、何ら共通点がない」(p.314-315)。

閉じられる全体性に対して、閉じられることもなく閉じられてもならない他者、切っても切れない関係に置かれた他者という無限。きっと『ザ・ロード』の息子の旅路も、そして今後は彼に寄り添っていくことになる父の旅もまた、それぞれの有限性に裏打ちされた無限という形で続くことになるのかもしれない。そう思うと、私には、何となく勇気が湧いてくるのだった。といったところで、仕事が片付くわけではないのだけれど。

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名の残酷さ

・Henri Raczymov, Heinz, Gallimard, 2011

アンリ・ラクシモヴは、1948年に生まれた、フランスのユダヤ系の作家。恥ずかしながら、これまで読んだことがなかったのだが、最新作である本書がとある書評で取り上げられているのを見て、読んでみた。

本書は、ラクシモヴのアイデンティティにかんする物語。彼の名は、フランスでとてもありふれたアンリというものだが、この名は、彼の母親と祖母にとって大きな意味をもつばかりか、彼自身にとっては、重すぎる意味をもっている。というのも、アンリとは、第二次大戦中にフランスからマイダネク強制絶滅収容所に送られて殺された、彼の母方の伯父ハインツに由来しているからだ。

旧約聖書のイザヤ書56章5には、主のことばとして、「わたしは彼らのために、とこしえの名を与え/息子、娘を持つにまさる記念の名を/わたしの家、わたしの城壁に刻む。その名は決して消し去られることがない」と記されているが、名前は、とくにその名が不滅を目指したものであればなおさら、その名を担う者にとって、大いなる名誉であると同時に、ときとして、あまりに残酷に重くのしかかるものにもなりうるのではないか。

名づけるということについては、たとえばジャック・デリダが、「一つの名がやって来るとき、それはすぐさま名以上のもの、名の他者、端的に他なるものを語り、まさにそれらの侵入をこそ、その名は告げ知らせるのだ」といった議論を展開していたように思うが(『コーラ』守中高明訳、未来社、2004、p.9)、とりあえず措いておこう。ここで念頭に浮かぶのは、むしろ、レイモン・ラディゲの『肉体の悪魔』である。

これは、第一次大戦中に、ジャックという婚約者と結婚することになる年上の女性マルトと懇ろになり、孕ませた挙句に、状況をいかんとも打破できずに、彼女を病死させてしまう10代の少年の物語だった。そしてこの物語は、死にゆくマルトが、自分と語り手である主人公との間の子供に、まさに主人公の名を与えたことが分かる幕切れとなっていた。

「僕はたった一度だけジャックを見かけたが、それは数カ月のちのことであった。僕の父がマルトの水彩画を幾枚か持っていることを知っていたので、彼はそれを見たいと思ったのだった。われわれは、自分の愛している事と関係のあるものは、なんでも見たくなるのが常である。僕は、マルトが結婚を承知した男はどんな男か見たかった。/息を殺し、爪先立って、半ば開かれた扉の方へ歩いて行った。扉まで行ったとき、ちょうどこんな声が聞こえた。/「妻はあの子の名前を呼びながら死んでいきました。かわいそうな子供です! ですが、あの子がいればこそ、わたしも生きていけるというものではないでしょうか。」/絶望的な気持をじっと押さえているこんなにも立派な鰥夫を見て、僕は、世の中の物事は、長いうちにはおのずとまるく納まって行くものだと覚った。だって、マルトが僕の名前を呼びながら死んでいったことも、僕の子供が合法的に立派な生活をしていけるであろうことも、今わかったではないか」(新庄嘉章訳、新潮文庫、p.159)。

『肉体の悪魔』は、フランスの心理小説の伝統に連なる、巧みで鋭い心理分析に満ち溢れているので、若い頃、レオス・カラックスの『汚れた血』などとあわせて、とても熱中したものだが、今となっては、若いときにしかできない読書や映画の体験だったのだろうとも思う。ともあれ、この結末は、妻に先立たれた夫に残された子供には、彼の知らぬ間に、実はまるで無垢なものではない名が与えられているという、衝撃的なものだった。

機知や警句に富んだこの物語に比べると、ラクシモヴの本書は、はるかに重苦しく見える。というのも、ラクシモヴは本書のなかで、自分の名前の由来である伯父が、どこで誰にどのようにして捕えられたかを辿ろうとするからであり、それ以上に、伯父の足跡の探究が、自分と今は亡き母親との、どうしても打ち解けられなかった関係を作り直そうとする試みになっているからである。

彼の家族は、ポーランドからドイツ、そしてフランスへと移ってきた一家だが、大戦中、フランス西部のシャラント県に避難する。シャラントといえば、これまた心理小説の作家で、それまではまるで政治と無縁だったジャック・シャルドンヌが、ナチに迎合する住民たちを描くばかりか、彼自身、突如としてナチを礼賛し始める場所だった。そんななか、ハインツは、フランス警察に逮捕され、ドランシーを経て、アウシュヴィッツではなく、マイダネクに送られた。

「僕はハインツから何も受け継ごうとは思わない。彼は僕にとっては何者でもない、こんな知らない人は。この人は僕を邪魔してきた。この死者は僕の邪魔をしてきた。このもう一人のアンリ。本物の、最初のアンリ。アンリ1世は」と記すにもかかわらず(p.45)、アンリは、シャラントに赴いたり、各地の資料館に問い合わせたりして、彼の誕生以前にすでに亡くなった、この伯父が生存したしるしを執拗に探していく。彼を突き動かすのは、何よりも、母はほとんどそれについて語らなかったにもかかわらず、母との間につねに感じられてきた、伯父の「不在」を捉えようとする意志である。

「僕は、書物によって不在なるものを地中に埋めることができるものだと信じてきた。あるいは反対に、不在を手なづけられるものと。けれども、不在というやつは、言ってみれば、不在が具体的なものとなる場、不在が形作られ結晶化した場で、しかと理解しなければならないのだった。シャラントのジュヌイヤック、シャスヌイユで。それからネクソンの収容所で。それからドランシーの収容所で。それから最終地点であるポーランドのマイダネクで。そこでは、不在それ自体がガスで殺され、燃やされたのだった。そのとき、不在は、文字通り不在という名に値したのだ。何ものも、不在を覆い尽くすことはできないし、不在を黙らせることなどできない、と言えるのかもしれない。どんなことばであっても。沈黙であっても、沈黙でさえも」(p.114)。

18歳で逮捕され、19歳で亡くなったこの伯父は、アンリの祖母にとっては息子であり、アンリの母にとっては兄である。アンリは、母親に対する愛憎入り混じった感情から、とても悲痛な仮説を立てる。「僕の誕生は、祖母にとっては、自分の不幸をいくぶんかは埋め合わせる手段だった。母にとって、僕の誕生は、何も埋め合わせなかった。私が生まれたことで、彼女の損失は活性化されてしまった」と述べたうえで(p.99)、彼は次のように記す。

「僕の命は、祖母から見てどれほど貴重なものであり、25年私より早いもう一人のアンリの命の作り直しに見えたとしても、僕の命は、まさに、これと同じ理由から、アンナ[アンリの母]にとっては恐怖の対象だったのだ。[…]なかんずく、それは、まるで、マトル[アンリの祖母]の愛情の力がかつて自分の息子に向けられていたのは、もはや、今日、その生まれ変わり、すなわち孫にしか向けられないためであったかのように、僕の命は、アンナの母親の目には、厚かましいまでに貴重なものとして映ったからなのだ。だとすれば、そこにいる娘は? 娘だって、母親からの愛情をいくぶんかは受ける権利をもっていなかっただろうか。そんなことは過大な要求だったのか。きっと、これこそポイントだったのである」(pp.100-101)。
母が自分を愛さずに、夜な夜な踊りに行ったりしていたのは、母親自身が、その母親から愛されていないと感じていたばかりか、その母親の愛情を自分、まさに息子にほかならないこの自分が一身に奪い取ってしまったと感じていたからだ、というのである。

というわけで、本書は、アンリにとって、言うなれば「けりをつける」ためにどうしても書かなくてはならない物語だったのである。彼にあっては、ハインツ伯父の足跡、いやむしろ――突然逮捕され殺されているのだから――痕跡を辿ることは、大虐殺という歴史上の出来事を描くことに留まらず、戦後に生きる自分に至るまでの、きわめて私的でドロドロとした、親子の精神的な系譜を辿ることにほかならなかった。

「HD[ハインツのこと]は、1956年まで、彼の母親マトルの心のなかを、悲しみの形で通過し、1996年まで、彼の妹アンナの心のなかを、悔恨の形で通過した。そして今、僕の心のなかを、強迫観念の形で通過している。そしてこれが、彼にとって、旅路の果てとなるだろう」(p.123)。

このように見るならば、本書はあまりに痛切な物語にしか思われかねない。けれども、ラクジモヴは、同じく家族の消失を描くユダヤ系作家ジョルジュ・ペレックと、作品の色合いはかなり異なるものの、彼と同じように、重いテーマを扱いながらもユーモアに事欠いていない。

たとえば、アンリは、ハインツ叔父の成績まで調べてしまう。ところが、これが実のところ、芳しくないのだ。アンリは、「彼も6歳で、1930年10月1日に学校に入学した。[…]彼の先生の「所見」は、僕にはかなり情けないものに見える。思った通りだ。[…]素行は平均以下。怠惰。勉学はきわめて凡庸。努力の形跡なし。進捗なし。僕の母は、こんな愚か者をどうやって愛することができたのだろう」などと、容赦ない皮肉を交えて書き記している(p.117)。

歴史に翻弄された一家の物語を通じて、大虐殺に光を当てながらも、それと同時に自分と母親との関係を構築し直そうという、今となっては不可能な試みである本書は、畳み掛けるような文体と相俟って引き込まれてしまう。だが、それにしても、名づけるとはなんと困難なことであり、そして貴重なことなのだろう。

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子どもの文学

・高橋源一郎『さよなら、ニッポン』(文芸春秋、2011)

本書は、「ニッポンの小説2」との副題が付されており、2007年に刊行された『ニッポンの小説』の続編ではあるが、これだけ読んでも面白い。ただ、『ニッポンの小説』の冒頭でも記されていたような、何らかの現実に対してどのような言葉遣いで語るかということに対する問題意識は、本書にも共通しているように思われる。

本書で繰り返し問題にされているように見えるのは、既存の枠組みとそれがもたらす安直さである。小島信夫の『残光』を皮切りに、いわゆる小説らしさを目指し、読者に小説を読んでいるという安心感を与える文章を打ち破るような作品が、本書では取り上げられていく。そのとき、それらの作品を論じる批評という活動、つまりまさに自分がこれから行なう批評についても、いわゆる評論らしさが不可避的にもってしまう盲点が指摘される。

「[…]なにかある小説(作品)について論じようとする者は、誰でも、自分の意見を正当化しようと考える。その時、誰でもやってしまうのが、自分の意見を証明してくれるような箇所を引用することだ。逆にいうなら、自分の意見を否定するような箇所はなかなか引用してくれない、ということだ。だから、ある小説について書かれたものの中に出てくる引用は、信用してはいけないのである。/だとするなら、全文を引用するしかない」(p.13)。

このように記す著者は、文字通り、論じている作品を全文引用し始め、それが思わず笑いを誘うのだが、これなど、たとえば、『滞留』において、モーリス・ブランショの『私の死の瞬間』という作品を全文引用しながら、証言と文学について論じている、ジャック・デリダによる「テクスト」への取り組み方にとても似ているように見える。いわば、作品やテクストを解剖する前に、まずは、限りない敬意を払うこと。このことほど、あらかじめ確立された自分の考えに作品やテクストをしたがわせること、つまりは既存の結論を論証するために作品を用いることから遠いことはない(というわけで、本書を切り刻んで、自分の好きなテーマに引き付けて引用するこのブログなど、とても暴力的な振る舞いをしていることになる)。だから本書では、「正義のことば」に対しても疑問が呈される。

そういう著者がたどり着こうとするのが、ありきたりの枠組みを取り払われた現実である。カフカの『変身』やケストナーの『エーミールと探偵たち』などを論じられる箇所では、次のように記されている。

「「現実」の風景の特徴は、もう、繰り返し繰り返し、飽きるほど見たので、この風景ならぼくはよく知っている、と思いこんでいることだ。/それから、やはり、飽きるほど見たので、もうあまり見たくないと思っている、ということだ。/[…]「現実」というもののことを、ぼくたちは、ほんとうは知らない。なぜかというと、それを、見てはいないからだ。/「現実」というものは、みんなが見ているといい、そして確かにそれは存在しているともいっているので、自分も、何だか存在しているような気になっているだけなのだ。/しかし、そこで、なにかが起こる。/[…]なにかが起こる、とどうなる[…]。/「現実」の風景が、「現実」の風景のようには見えなくなってくる。/でも、そこになにかがあるのなら、やっぱり、なにかが見えるだろう。/それは、現実の風景だ。「現実」から「 」が抜けた風景が、そこには、ひろがっている」(p.243-244)。

あるいは、詩と小説との共通点について論じている章では、

「なにか表現したいものがあったら、それに向かって、マジメに、まっしぐらに突き進む、/ということです。/しかし、です。/「現実」というものは、そういうものなんでしょうか。/(たいていの)小説家や(多くの)詩人が書いているような、くっきりはっきりした「輪郭」なんて、ほんとにあるんでしょうか」(p.393)。

と述べられる。普通、私たちはすぐに、これは小説や詩だ、これはルポルタージュだ、これは論文だ、と判断できる。というか、そういう判断を意識する前に、そういうものとして読み始める。新聞の第1面を、小説のように読んだら面白いのかもしれないが、普段は文学として読むことはないし、『1984年』をルポルタージュとして読むこともない(『1984年』のような世界、という言い方はしばしばなされるけれど。別の文脈になるが、このところ、証言と体験というテーマに関心を向けている私としては、「物語(récit)」という軸を立てると、現実と文学という問題が少しは整理されるかと思っているが)。

そして、本書は、言葉というものは、現実というものをめぐる解釈の一つの枠組みであること、そして、言葉がある意味では解釈格子にすぎないということがすぐに忘れ去れてしまうということに注意を促す。サドの『ソドム120日』について、それは断じてポルノグラフィーではないとしながら、著者は次のように記す。

「[…]ここでは、作者の強靭な意志の下で、徹底的に「文学」が排除されているのである。/「文学」に繋がりうるもの、この世界の豊かさに繋がりうるものを、なぜ、ここまで、厳しく拒まねばならないのか。/それは、おそらく、かつて「規則」を覚えこまされたことを忘れないためである。/「規則」とは、本質的に「服従」の「規則」である。/その「規則」を忘れるとは、自分が「服従」させられていることを忘れることである。つまり、自分が「奴隷」の身分であることを」(p.496)。

もちろん、自由への恐怖(実際、「あなたのご自由に」と言われて困る局面は多々ある)や、判断や責任の回避(自分で判断することが面倒なときなどしばしばある)に基づく、いわゆる奴隷の幸福といったものは存在している。でも、それはあくまで一つの在り方でしかないということが忘れられて、そこに安住してしまうならば、リアルな現実をありきたりの「現実」に押し込めてしまい、現実の暴走を止めることができなくなってしまうだろう。

そこで、本書に何度か登場するのは、世界の基本的な解読格子たる言語を未だ知らず、大人を真似ることによって言葉を手に入れていく「子ども」である。

「子どもたちは、この世界の「ことば」を知らずに生まれてくる。だから、一生懸命、おとなたちがしゃべる「ことば」を真似してしゃべろうとする。/子どもたちは、その意味をはっきり理解して、しゃべっているのではない。ただ真似るのが嬉しいのだ。真似ることで、おとなたちが反応するのが嬉しいのだ。/その経験を通じて、子どもたちは「ことば」を覚えていく。[…]「ことば」を知らない子どもは、その「ことば」を使うことで、知らず知らず、「ことば」を成立させている「規則」を覚える。いや、強制的に覚えさせられる。/[…]「規則」を覚えた瞬間、その「規則」を覚えようとしていたことを忘れさせるものがある」(p.486-487)。

文学は「子ども」を示してくれる。他の人(「おとなたち」)を反応させ、その反応で嬉しさに満ち溢れている「子ども」のことばとしての文学。と、ここで、私にとって驚くことに、私の師匠の一人であるローラン・ジェニーの言葉が思い起こされてくる。彼は、「文彩(figure)」について論じるなかで、文彩とは、目を引く表現であると同時に、おのれが言語であるということそれ自体に注意を向けさせる出来事なのだという。「文彩」とはありきたりな表現でも、ありきたりな「文学的表現」でもなく、ことばに関心を惹きつける言語表現だというのだ。そして彼は、こう述べていたのだった。

「子どもは、何度でもfort-da遊び(いないいないばあ)を繰り返すよう余儀なくされ、詩人は、文彩としての表現の性格を何度でも作り直して進展させるよう余儀なくされる。[…]それぞれの文彩は、「原初的なもの」の輪を作り直し、ラングをラングの出現の場にまで連れ戻す。[…]「生けるラング」とは、ラングの創設をめぐるたえざる作業に繋がれている場合にしか存在しないし、「生き生きとしたパロール」とは、ラングが問い質されるときにしか存在しない」(Laurent Jenny, La parole singulière, Belin, 1990, p.104-105)。

「生ける言語」は原初なるものに結ばれている。この「原初」を、「」なしの現実、あるいは、ことばを覚えるころの子ども、に置き換えても、それほど原文からは遠くないのではなかろうか。ことばと現実(世界と言ってもいいかもしれない)の関係というか可能性を、文学が見せてくれることは、とても楽しい。(方法を知らないだけかもしれないが、外国語の書籍が右のリストに挙げられないのは残念)

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不可能と語る言葉の不可能性

・福島勲『バタイユと文学空間』(水声社、2011)

まるで昨今の日本を評したかのようだが、ジャン・ポーランは、1941年刊行の『タルブの花』のなかで、「わたしは大政治家たちが戦争のことを考えていながら平和を口にしたり、大量虐殺を考えながら秩序について語ったり、何かしら得体のしれぬことを考えながら高貴さとか献身とか騎士道精神などについて語るようなある世界のことは何もいうまい」と記している(野村英夫訳、書肆心水、2004、p.122)。ここ数年、政治家たちが、選挙などで敗北した際に、「我々の真意が理解されなかった」などと述べるときがある。以前からこのような言葉を口にする人はいたかもしれないが、私はどうも、この表現に違和感を覚えてしまう。というのも、敗北とは、その「真意」とやらが「賛同」されなかった証拠にほかならないのに、この表現には、「真意が理解されさえすれば誰であろうと賛同するに違いない」という無反省な思い込みが見えるからであり、さらに言えば、日頃はいくつもの解釈の余地を残すような言葉遣いに腐心する人々が、釈明のときに限って、「われわれの言葉が理解されさえすれば云々」といって、都合のよい信頼を言葉に寄せてしまうのが透けて見えるからだ。

そのポーランについて、「政治とは、ジャン・ポーランのための場所がない世界だ[…]。いや、ジャン・ポーランのためのというだけでは何も言ったことにならない。つまり、文学のための場所がない世界なのだ」と記したのは、ジョルジュ・バタイユだった。対独協力作家の粛清に反対し、レジスタンス系の作家たちから指弾されていたポーランに対する、見事な弁護である。文学は、政治などというものに対置されるのではない。正しさに根拠を置くのが政治だとすれば、文学は、誰にでも開かれた「公共の大いなる楽しみ」、「誰もが招待されているお祭り」だというのである(Georges Bataille, OC, XI, p.361-362)。

さて、本書は、バタイユにとって、エクリチュール、すなわち「書く」ということにおける「交流(communication)」の意義とその変遷を浮き彫りにしている。「書くことを通して人々に呼びかけること、内的体験という交流の可能性についてエクリチュールを通じて読者たちに語りかけること、そして、誤読と異議提起の可能性とともに読まれることが、バタイユにとっての交流のかたちそのものなのである」(p.135)と記される本書は、手際よく議論が展開されていて、多くのことを教えてくれるし、考えさせてくれる。

交流について語るバタイユにあったのは、おそらく、伝えるべき「メッセージ」というよりはむしろ、やむにやまれぬ「欲望」、本文でも、「バタイユが文学から受け取ろうとしているのはメッセージではなく、むしろその送付の背後にある交流、より正確に言えば、交流への欲望である」と記されるように(p.88)、ただもっぱら「交流への欲望」である。

それはつまり、人間のそもそもの在り方が、どこまでいっても「交流」を渇望するもの、ということではないか。人間はけっして自分一人では自分が人間であることを証明できないということにも似て、人間は、交流を欲することによってのみ人間たりえている、ということではなかろうか。人間は、国籍や職業といった自分の属性を証明することは簡単にできるが、自分が人間であるということだけは、一人きりでは証明できない。自分が人間であるということは、自分が人間と認めた他者から、翻って「お前も人間だ」と認められる瞬間にのみ、確信されるにすぎないからだ。

だが、もちろん、交流の認識は十全な形ではけっして与えられない。というのも、交流とは、完結した主体と、もう一つの完結した主体とのやり取りでもなければ、一体感をもたらすものでもなく、そもそもが未完了な存在者たちの、合一の不可能性という形で生起する現象だからだ。そして、本書によれば、エクリチュールこそが、バタイユにおいてその交流の場を構成しているという。

「<書く>こと、エクリチュールとは、言葉を介して自分に距離を置くこと、また他者たちに対して距離を置くことである。言葉という伝達手段は、<書く>側にも<読む>側にも、言葉と書かれようとしていることのずれをたえず意識させ、合一の共同体という幻想への埋没を許さないからである」(p.112)。

しかし、本書でも指摘されているように、バタイユにはまた、言葉に対する不信感もあった。つまり、言葉を介して距離を置くことになるのは、自分および他者に対してだけではなく、言語そのものに対してでもあるだろう。本書に引用されている箇所で(p.142)、バタイユは、こう記している。

「何を書こうとも、私は失敗する。というのも、可能事の無限の――常軌を逸した――豊かさを意味の正確さに結びつけねばならないのだから」(Georges Bataille, OC, V, p.51)。

ここでは、「合一の不可能性が語られ続けている」こともさることながら(p.142)、エクリチュールに対するバタイユのもどかしさもどかしさもまた、浮かび上がっているように思う。それはつまり、言語それ自体も一つの「他者」になってしまう、という視点である。

何かを語ることができないという事態は、たしかに、その何かが言語を絶している(言葉にならない体験)という事態である。言語という解読格子を通された体験の「現実」は、どうしても言語の網目をすり抜けてしまう。けれども、エクリチュールで表現しえないその現実は、間違いなく存在する。

と同時に、何かを語ることができないという事態は、ほかならぬ理解や伝達の懸け橋たる言語が、その何かの理解や伝達を邪魔してしまう(どう述べてもその言葉が嘘くなくなる)、という事態でもある。そこで、本書では、自己否定的な、「[バタイユの]その口ごもり自体が、複数の話者の登場とディスクールの中断こそが、逆説的ではあるが、読者たちとの交流を導くための雄弁なレトリックを構成するのである」と記されることになる(p.155)。

本書で跡づけられるように、バタイユにおいて、交流という軸は、共同体の模索と挫折から「不一致の一致」へと移行する。だとすれば、言語に対する姿勢は、詩的とも言える『無神学大全』の前後でどのように変化したのか。本書冒頭には、「あたかも右手で書いたことを左手で消していくかのようなこうした[バタイユの]所作の背後にあったのは、単に言語という伝達手段に対する不信だけではない」と述べられているし(p.7)、初期の『眼球譚』という「治療的エクリチュール」から、「運を探すこと」としてのエクリチュールへの移行について触れられているが(p.128-132)、となると、バタイユの言語不信とは、どのような不信だろう。

バタイユの言語は必然的に、その字面のメッセージと同時に、おのれを信じてはならないというメタメッセージの形で記されていることにはならないか。そのエクリチュールは、交流を読者に呼びかけつつも、読者の「誤読と意義提起の可能性」を含むだけではなく、その呼びかけによる交流などありえないのではないかという問いに裏打ちされている――つまり当のエクリチュールを裏切るような形で――とは言えないだろうか。バタイユは詩を書いたけれども、たとえばブランショは詩を書かなかったといったことなども頭に浮かべつつ、本書を読みながら、ふとそんなことを思った。

ところで、このところ、良いモノが売れるとは限らないが売れるモノは良いモノである(だから売れさえすればよい、勝ちさえすればよい云々)、というあまりに薄っぺらい市場論理が幅を利かせてしまい、それに対抗するような形で、贈与ということが脚光を浴びている感がある。そんななか、ナチス・ドイツに対しては、異質な要素を統合する代わりに極度の純粋さを目指してしまうものだと、いち早くその核心を暴いて見せ、ソ連に対しては、生産力を前にして放棄されてしまう至高性という観点から疑義を呈しながら、「有用性」を問い質し続けたバタイユもまた、再び注目されつつある。

それにしても、あらためてバタイユは面白い。先日刊行された『水声通信』34号「”社会批評”のジョルジュ・バタイユ」に参加させていただいたからというわけではなく、文字通り人間の手には負えない事柄が、それこそ日々の営みを囲繞している現在にあって、人間を「可能事の極限」から考えようとし続けたバタイユは、きっと多くを教えてくれるに違いないと思われるからである。

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「愛とは一つの可能性にすぎない」

・Pierre Pachet, Sans amour, Denoël, 2011

あまりにも久しぶりの更新なので、何をどう書けばいいのか、すっかり忘れてしまったが、やはり少しでもメモを残しておかないと、日々の営みに押し流されて、読んだものをどんどん忘れるばかりか、実は、読んでいても頭に入らないのではないかとも感じられ、久しぶりに更新してみようと思った次第(とはいえ、今後も、怠惰なペースになるだろうが)。

さて、本書は、ピエール・パシェの最新刊。これまで彼がかかわってきた、今は亡き妻以外の女性たちを描いた物語。ここに描かれているのは、少年から青年にかけてのピエールの目を、世界に開かせてくれた女性たちばかりである。逆に言えば、それは、彼が強く魅力を感じていた女性たちでもある。

「私は、この女性たちの運命を結び合わせているものを見つけ直して、見えるようにしなければならない。その中心には私が立っている、かつてはこの女性たち、魅力的という以上にこちらをたじろがせるその豊かな胸、彼女たちの、女性であるという秘められた性質といったものに当惑していた観察者たる私が」(p.16)。

と、このようにまとめると、本書は、ある意味では、著者の女性遍歴をつづった赤裸々な物語ではある。実際のところ、「こう考えてみよう。満足の絶頂を体験し、交わって、煙草を味わった。たぶん二人とも。そのとき、ひとはすっかり満たされ、生にもう何も要求しないし、何一つ自分には拒否されていなかったように思われるだろう。[…]ところで、このような幸福、自分を受け入れてくれた生と合致してびくともしないという感覚、自分には見えないけれど、しばしば自分とすれ違った他の人々が感じ取って惹き付けられるあの目映いばかりの快楽。これらは、私たちのうちで、次第に溶けていき、蒸発してしまい、弱まっていき、とうとう世界の砂のなかに見失われてしまう」といった具合に(p.70-71)、性の悦楽ということについても、彼の観察は避けられていない。

しかし、本書は、たとえば、「親愛なる自己よ! わたしの無二の親友よ、わたしのもっとも有力な後楯、もっとも身近な主君よ、ここにわたしはわたしの精神の解剖書をきみに献ずる」などと記して(『ムッシュー・ニコラ』生田耕作、片山正樹訳、『筑摩世界文学大系23』、p.251)、文字通り、自分の女性遍歴を描いたレチフ・ド・ラ・ブルトンヌなどとは、まるで異なっている。というのも、本書は、著者が自分のことだけを書いているように見えながら、その実、女性が老いるとはどういうことか、彼女たちはどのように若い頃の欲望と折り合いをつけるか、あるいは、彼女たちがどのように時代を生きてきたのか(本書に登場する女性たちは、第二次大戦を生き延びたユダヤ人である)という問いを立てながら、女性の側の立場を覗いて分析しようとしているからである。

「年老いた婦人たちは、何も、そのように生まれてきたわけではない。彼女たちは若い娘だったのであり、男たちの視線や、あらゆる視線を惹き付けていたのだ。/彼女たちにふさわしいように彼女たちを眺めるべく、私は、自分の視線を転換しなければならない。つまり、生命力と魅力にあふれた、こうした魅惑的な若い女性たちの方を向くのを止めねばならない。彼女たちの幸せで男を惹き付ける笑顔は、年とともに弱まり、ついに消えてしまうだろうが、だからといって美しさや魅力が失われるわけではない」(p.19)。

若さは魅力だが、それはあくまで一つの魅力にすぎない。ここに読まれるのは、相手に対して、年老いた女性たちに過去の姿を重ねることなく、現にあるがままの姿を見つめるという敬意である。

もちろん、パシェは女性になれない以上、男性である自分自身を通してしか、これらの問いには近づけない。「時間というもの、とくに自分の人生の時間と格闘しているこれらの女性たちの運命は、いったいどうして、私に関係していて、これほどまでに私の注意を惹き付けるのだろう。青年期から、自分の考えや情動についてできるかぎり明晰な言葉で、自分に説明しようとすることに多くを捧げてきた以上、私はこの問いに取り組まなければならない」とパシェは記す(p.139)。

女性からすれば、これとて、あくまで、男性から眺められた女性ということなのかもしれないし、実際、本書には、パシェに対して、「いったいどんな権利があって、あなたはこんなことを話そうとするのか。あなたには分かりっこないことなのに」と問い質す女性が登場する(p.141)。

だが、その詰問に対して、35年間妻と連れ添い、子供の出産は怖くて見届けられなかったものの、妻の臨終に立ち会ったパシェは怒りを覚える。そこで彼は反論する、「私は、手ほどきを受けたし、手ほどきを受け続けているのだ」、と(p.143)。この彼の怒りはおそらく、紋切り型――そもそも常套句は一面では、「そんなことは分かりきっているではないか」という錯覚に基づいている――に対する怒りである。

本書は、末尾の「愛とは一つの可能性にすぎない」という言葉の通り、愛のことだけを書いているわけではない。自分のことを描きながら、でもそれが自分のことだけではなく、誰にでも共通する観察や考察につながるような視点。パシェの本は、いつも、そうした視座の優れた手本を示してくれる。それは、彼が、老いや愛といった普遍的なテーマを扱っているからというだけではまったくなく、おそらくは、彼の足取りがとても細やかで、自分を含めた現実というものを本当に細かく腑分けしてくれるがゆえに、誰のものでもあることばを用いながらも、個々人にとってかけがえのない自分だけの体験や考え、思い、要するに個人的な現実といったものに肉薄できるからなのだろう。

パシェの観察は細かい。ルーマニアに赴いた際のことを綴った本のなかで、彼は、旅先で朝起きるということについて、こう記していた。「[…]自分が、パリの自分のベッドではなく、Casa de Oapestiの2階にいることを思い出し、精神的にも身体的にも方向を変えて、私は、このベッドから出ながら、自分自身に立ち戻ろうとした」(Conversations à Jassy, Maurice Nadeau, 1997, p.11)。枕が違うと眠れなくなるなどとはよく言うが、普段と違う寝床の違和感に対して、パシェは、これは旅先だからと納得してしまうのではなく、一度、心も体もリセットして、あらためて自分が自分であることを確認しようとする。

性急に何らかの結論に至ったり、紋切り型の思考に陥ったりすることを巧みに避けていく、このような細かな歩みは、一見したところ何でもないもののように見えて、きっと、とても難しいのだ。そしてそうした歩みに付き添うのは、とても楽しく、豊かなことなのである(大学で、文学部以外の学生に対して、「文学」などという教養科目の講義をすることは、このような、現実の切り取り方の数々の可能性に気づいてもらうことに他ならないようにも思うし、それは、生を豊かに――もちろん金を稼いだり利益を上げることだけが豊かさではないのだが、この視点もまた現実を解釈する一つの方法だ――してくれるものだと思う)。でも、その楽しさを伝えるのは、私にはなかなか難しい。

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謹賀新年

読書メモとしてこのブログを始めてから6年近くになりますが、ここ数年はすっかり放置しており、済みません。

昨年もまた、怠惰ゆえに更新できなかった(更新しなかった)一方で、書きたいことはたくさんあり、焦りがつのります。とはいうものの、もう少し時間をうまくつかって少しずつでも形にしていくしかあるまい、とも思っています。

とまれ、このブログを訪れてくださる方にとって、今年が良い年でありますようお祈り申し上げます。

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文学の痛快さ

・田尻芳樹『ベケットとその仲間たち』(論創社、2009)

大学の文学部や書店の棚などで、文学というものが、フランス文学、英米文学、日本文学などのように言語で縦割りにされているのは、いたしかたないこととはいえ、とても人工的なものに見えてしまう。まして、そうしたカテゴリーに何の疑問ももたずに研究を進めるということなど、ひどく詰らなく息苦しいものに思われる。

そんななか、本書はなんとも痛快な文学論である。サミュエル・ベケット、それもその小説を主軸にしながら、J.M.クッツェーや埴谷雄高、夢野久作、オスカー・ワイルドなどが縦横無尽に語られているからだ。もちろん、ベケット自身が英仏の境界をまたいで活動していたわけだが、どんな作家でも、他の作家や作品を意識することはあれど、「フランス」文学や「日本」文学にのみ影響されるなどということは考えづらく、本書において、おおよそモダニズムからポストモダニズムの作家が扱われる際に、単なる直接的な影響関係を越えて、国や言語の境が横断されるのは、読んでいてとても楽しいし、何よりたいへん勉強になった。

たとえば、ベケットが『名づけえぬもの』に記し、登場人物としての実質を欠いた物語の機能的装置という文学概念としてフレデリック・ジェイムソンが発展させた、「疑似カップル」なる考えについて、田尻は、ジェイムソンに留保を示しつつ、次のように述べている。

「トム・ストッパードがデビュー作『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』で彼らと『ゴドー』の二人組をあれほど巧みに重ね合わせることができたのも不思議ではない。また彼らが王たちの命令にむやみに忠実な人物であることも重要である。[…]またゴーゴリの『検察官』に出てくるボブチンスキーとドブチンスキー、カフカの『城』の二人の助手もこの文脈で連想される。[…]
 こうした普遍的な原理が文学史の中で初めて前面に躍り出て主役にまで昇格したのが『ブヴァールとペキュシェ』である。そしてそれにはジェイムソンが示唆したような歴史的事情があった。19世紀の半ば頃、物語の推進力が枯渇しすべてが反復となったという空虚な感覚が一人の作家を襲い、凡庸な二人組が人類知習得の失敗をむなしく反復するという倒錯的小説を構想させた。それから約一世紀後、世界の空洞化がさらに進行し生のあらゆる実質が徹底的に失われた中でうらぶれた二人組が意味のない営みを反復する芝居が一世を風靡した。根源的な空虚は反復につながり、さらに疑似カップルという<二>を析出させる。」(106-107ページ)

恥ずかしながらストッパードは読んだことがないのだけれど、『ブヴァールとペキュシェ』を読みながら、大笑いした(自分を嗤ったとも言えるが)だけの私からすれば、フロベールを端緒として、ゴーゴリ、カフカ、ワイルド、ベケットと並ぶ「文学史」とは、わくわくするような分析である。

とはいえ、それぞれの作家の背景が等閑視されているわけではない。たとえば、クッツェーの作品を南アフリカの状況という文脈から完全に切り離せないことは、本書でしかと認識されていて、以前読んだことのある『マイケル・K』についてはこう記されている。

「『マイケル・K』が、普遍主義的傾向を持つ『モロイ』を南アフリカの特定のコンテクストに置き換えているのは象徴的である。モダニズムに発する物語批判は継承されている、しかし特定の文化との関係において。」(182ページ)

作品や作家に対して、秘教的なまでに作品内ないし作家内的な読解に沈んでいくことも大切だとはつねづね思うものの、それだけではけっして見えてこない事柄もまた大きく、しかもそうした事柄はえてしてとても面白いのだとも、私は信じている。作品外の事柄を作品内に読み込みすぎるのは軽薄の誹りを免れまいが、かといって、作品が、作家の置かれた状況や時代、あるいは文学史上の流れなどという、歴史性から生まれることもまた事実だろう。

そのバランスを考えるとき、私にとって、本書の立ち位置はとても参考になるように見える。というのも、本書は単に、各国語の文学史を越えて文学を語ることで事足れりとしているのではなく、この本を書く田尻自身にも、そのバランスの意識が向けられているからだ。つまり、本書が日本語で書かれている理由について、著者はきわめて意識的なのだ。各章の成り立ちについて触れられている「あとがき」では、「[この章を]今回日本語で発表できてうれしく思う」だとか、「やはりこれも日本語で発表して初めて意味を持つ論文だろう」といった文言が読まれる。この点でも、本書は、現代日本の大学で、文学研究(とりわけ外国文学研究)の意味を否応なしに考え、かつ考えさせられる身としては、たいへんに勇気づけられるものに思われるのだった。

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2009年のメモ1

何を読んだのか、日々の生活の中で忘れないためにも、2009年に読んだ本の中から、気になった文章の抜き書きだけでもしておきたい。

・田中純『政治の美学』(東京大学出版会、2008)
 「審美主義は芸術を高めるためにこそ、生から芸術を隔離しようとする。「芸術の指導権」はそれによってはじめて確立されるのだが、そこに生じる疎外の不安ゆえに、審美主義は政治という「汚れた秩序」の革新に向けた接近へと一挙に反転してしまうのである。」(95ページ)
 「「模倣を通じて模倣しえぬものになること」という二重拘束的な命令は、他者から隔絶した「孤立した人間」の身体を獲得するために逆に、アポロン像を目にしたヴィンケルマンのように、みずからの起源を目撃するこのまなざしにおいて、他者へと没入することこそを要求する。主体は主体であるために、まず他者へと疎外されなければならない。」(168ページ)
 「[カール・シュミットの]「表象」概念自体が実は、有機的全体性としての身体をモデルとする以前に、文字通り「表象しえないもの」の「肉」をめぐるキリスト教神学のフェティシズムを淵源にしていた[…]。国家の政体を「表象」として、「イメージ」として可視化することは、フランス革命にともなう近代民主主義の到来を待つまでもなく、「身体」の全体性と「肉」の多型性ないし無型性との葛藤を孕んでいたのだ。」(196-197ページ)
 「「死へ向かう存在」である戦士たちが未開社会に決定的な分化の亀裂を刻み込むとき、社会構造は一挙に反転し、戦士集団とへ別の場所に主権を生成させる。それと同時に、戦士たち自身はそのあらたな国家秩序の外部、死者たちの共同体により近い領域へと弾きだされてしまう。」(338ページ)
 「芸術家に主権を授けるのは亡霊となった死者たちなのである。」(475ページ)

・三島由紀夫『小説家の休暇』(新潮文庫)
 「性的動機だけではその幻想をみたしえないサディストは、対象の苦痛の原因を、愛慾だと考えるよりも、刑罰だと想像することのほうをよろこぶ。決して自分が愛されないという情況の設定が、必要不可欠なものになるのだ。サディストの孤独は絶対的なものになる。」(74ページ)
 「作家はむしろ「書く」という固定観念を、自分が置かれた歴史的状況から与えられ、(自分がそれを歴史的状況から奪取したと思うことは自由だが)、自分が生きている時代と絶対孤独との関係をたしかめるために書き出すというほうが当っている。」(272ページ)
 「表現と鎮魂が一つのものであることは、人間的表出と神的な力の残影とが一つのものであることを暗示する。それはもともと絶対アナーキーに属する情念に属し、言語の秩序を借りて、はじめて表出をゆるされたものである。しかしこれを慰藉と呼んでは、十分ではない。」(320ページ)

・高橋源一郎『日本文学盛衰史』(講談社文庫)
 「人類が誕生してからいままでにいったい何人の人間が死んだのか。問題は、誰も帰って来なかったことなのだが。残されるのは言葉ばかりで、だから、ぼくたちはおおいに死者を誤解する。だが、やがてぼくもまた誤解される側にまわるだろう。」(657ページ)

・Pasacle Roze, Itsik, Stock, 2008
 「イゾックの物語にけりをつけることはできない。その話は、凝縮され光輝きながら、他の話、自分自身の死も終末も知らず、日々なおも、彼方の領域を拡大しにやってくる話の間に置かれる。その話は、私たちの頭上、歩き、起き、寝て、また起きる人々である私たちの頭上にあって、他の話の間に置かれ、開かれたままだ、まるでもう閉じようのない傷口のように。」(119‐120ページ)

・互盛央『フェルディナン・ド・ソシュール』(作品社、2009)
 「「言語学」が出現させた言語は、「語ること」なき「語られるもの」だった。それは「人間の存在」を排除したあとにもある「言葉の存在」である。語る者がいなくても存在する言語である。それは「語ること」を可能にする言語と同じ言語なのか。もしそうでなければ、「言語学」は虚偽の存在を捏造する学問にすぎないのではないか。ならば、その一致はどうすれば確かめられるのか――問いは一挙に噴出する。その問いに肯定的な答えを与えた地点からでなければ、「言語学」は本当は始まることすらできない。」(81ページ)
 「ソシュールの「言語学」が<言語学>[ソシュールが目指しながらも挫折が必定だった、言語それ自体に言語でもって問いかける「一般言語学」の試み]なしになされたことなど一度もなかった。<言語学>を「言語学」に還元することがソシュール自身の企てだったとしても、その企てが二人の弟子の手で完成されたのだとしても、それは<言語学>を抹殺すること以外ではない。だから<言語学者>は死してなお孤独なのだ、と言ってもよい。」(89ページ)
 「言説とは、事後的に振り返ったとき、<時間>をなす肯定的辞項なき差異としての連合と単一空間性をなす連辞の次元をつなげる力なのだ。連辞に発生する「意味する力」は「人が意味するのを欲する」ことにいつもすでに先行されていることが事後的に見出されて初めて「意味する力」でありうる。だからこそ、「意味するのを欲する」のは、いかなる「私」でも「主体」でもなく、非人称の「人」でなければならない。[…]だから、拒絶しなければならない。言説とパロールを混同し、「語らえるもの」が「主体」の「意志」に肝がんされると考えることを。[…]いずれにせよ現れるのは「語られるもの」でしかないが、そうであればこそ、それが「人」の<意志>によってもたらされることを、あらゆる言葉が発されるとき、その向こう側に見なければならない。」(551‐552ページ)

・村上春樹『1Q84』(新潮社、2009)
 「看護婦は言った。「看護婦になる教育を受けているときにひとつ教わったことがあります。明るい言葉は人の鼓膜を明るく震わせるということです。明るい言葉には明るい振動があります。その内容が相手に理解されてもされなくても、鼓膜が物理的に明るく震えることにかわりはありません。だから私たちは患者さんに聞こえても聞こえなくても、とにかく大きな声で明るいことを話しかけなさいと教えられます。理屈はどうであれ、それはきっと役に立つことだからです。経験的にもそう思います」
 天吾はそれについて少し考えた。「ありがとう」と天吾は言った。大村看護婦は軽くうなずいて、素早い足取りで部屋を出て行った。
 天吾と父親はそれから長いあいだ沈黙を守っていた。天吾にはもうそれ以上話すべきことがなかった。しかし沈黙はとくに居心地の悪いものではなかった。」(2、490‐491ページ)

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