シンポジウムのお知らせ

2016年に亡くなったピエール・パシェをめぐるシンポジウムが、以下の要領で開催されます。

「アジアにおける一個人――ピエール・パシェの作品を読む」

2017年1月21日(土) 13時-18時
明治大学駿河台キャンパス
リバティータワー7階1074号室
予約不要、逐次通訳付き

イントロダクション
根本美作子(明治大学) 「ピエール・パシェとの会話」

第一部 個人を考える
安原伸一朗(日本大学) 「無言の言葉を聞く――『父の自伝』について」
裘佳平(レンヌ第2大学) 「『愛なくして』――枯れた女性への理解ある好奇の目」

第二部 生と仕事の毎日
ギヨーム・ペリエ(京都大学) 「本の記憶――『パリから離れて』」
笠間直穂子(國學院大学) 「感覚、アイディア――『日々の営み』」

第三部 中国における一個人
程小牧(北京大学) 「中国旅行記における魂について」
李金佳(INALCO) 「不寝番の中国旅行――感性の政治の試み」

全体討論

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公開研究会のお知らせ

以下の要領で公開研究会が催されます。

「フランス現代文学における第二次大戦の記憶 公開研究会」
趣旨説明 三ツ堀広一郎(東京工業大学)
研究発表 「ショアーと文学:子供たちの言葉」 安原伸一朗(日本大学)
討論

日時:2015年11月28日(土)14:00~17:00
場所:東京工業大学 大岡山キャンパス
西3号館W332講義室
参加自由です。

(2016年9月27日 追記
上記の研究会での発表を基にした紀要論文が、こちらに公開されました)

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半径5メートルの世界

・朝井リョウ『何者』(新潮社、2012年)

学生から薦められて読んでみた。本書は、現在の東京で就職活動に励む大学生たちの物語。さまざまな肩書を記した名刺を配る学生もいれば、人前では就職活動を馬鹿にしながら自分もこっそり就職活動をする学生もいたり、観察者の位置に立ち続ける学生もいる。

自分から見てもかなりリアルな感じがするのは、本書に漂う独特の息苦しさにあるように思う。それは、一般に就職活動と見なされる事柄が、限られたパイの奪い合いのようなものだからであり、本書の主人公が分析するように、「就活がつらいものだと言われる」からだ。それがつらい理由として彼は、「ひとつはもちろん、試験に落ち続けること。単純に、誰かから拒絶される体験を何度も繰り返すというのは、つらい。そしてもうひとつは、そんなにたいしたものではない自分を、たいしたもののように話し続けなくてはならないことだ」という二点を挙げる(40‐41ページ)。そしてそれは、自分がいったい「何者」なのかということを、簡明かつ的確に表現せねばならないという絶えざる必要としてのしかかってくる。

「いつからか俺たちは、短い言葉で自分を表現しなければならなくなった。フェイスブックやブログのトップページでは、わかりやすく、かつ簡潔に。ツイッターでは一四〇字以内で。就活の面接ではまずキーワードから。ほんの少しの言葉と小さな写真のみで自分が何者であるかを語るとき、どんな言葉を取捨選択するべきなのだろうか。」(54ページ)

思い浮かんだことをブログに書き散らしている私からすれば、自分が「何者」であるか、とうてい簡潔には表現できない。けれども、彼ら彼女らには、以前には存在しなかったコミュニケーションツールがあるではないか。ツイッターしかり、フェイスブックしかり、LINEしかり。だから、彼ら彼女らは、普段から簡潔な表現の訓練をしているとも言えるのではないか。私など、授業中もスマートホンをいじらないではいられない学生を見たり、テーブルを囲んでいる学生のグループが、話をするでもなくそれぞれ自分のスマートホンをいじっている様子を目の当たりにすると、なんだか可哀想になってしまうのだが、そんな彼らからすれば、スマートホンを持ってさえいない私の方が哀れなのかもしれない。

とはいうものの、そうしたツールは、いくら四六時中覗き込んでいるにせよあくまでもツールにすぎず、「ほんとうの」自分は別のところに存在しているのだ、と語り手は言う。

「ほんとうにたいせつなことは、ツイッターにもフェイスブックにもメールにも、どこにも書かない。ほんとうに訴えたいことは、そんなところで発信して返事をもらって、それで満足するようなことではない。だけど、そういうところで見せている顔というものは常に存在しているように感じるから、いつしか、現実の顔とのギャップが生まれていってしまう。」(147ページ)

なるほど、主人公たちも、言葉に表現された自分と、「ほんとうにたいせつな」事柄とのギャップに息苦しさを感じているわけだ。しかし、登場人物の一部は、その息苦しさから逃れるにあたって、なんと、別のアカウントのツイッターで「本音」を吐露するのだ。あたかも、「ほんとうにたいせつな」自分は、別名のアカウント上に存在するかのように。

このところ、若い学生と話をしていて驚くことがままある。いわゆる「勉強」はそれなりにできるのに、世界のニュースをまるで知らないというか、ほとんど関心を抱いていないのだ。自分の力ではどうにもならないことが多すぎるという無力感もあるだろうが、本書を読んでなんとなく、その理由の一端が分かったような気がする。本書の登場人物たちは、遠くの人、それも見知らぬ匿名の人と瞬時にやり取りしているかに見えて、半径5メートルの世界に住み続けているのだった。

それは、就職活動という試練を前に、彼ら彼女らが、「あなたは何者ですか」と問われ続け、自問し続けて迷い込んだ、迷路のような空間なのだろう。さしずめ、「スマホを捨てよ、町へ出よう」といった感じだろうか。

「どうして、就職をするためには、「何者」かでなければならないんだろう。そもそも、ほとんどが「何者」でもない若者たちを、どうして、強制的に「何者」かであるように振る舞うよう仕向けるのだろう。[…]だが、それは、若者たちだけのことなのだろうか。人びとは、やはり「何者」であるよう仕向けられてはいないだろうか。/最初に、目指すべき「何者」があり、それに向かわねばならない、と思いこまされてはいないだろうか。」(高橋源一郎『「あの戦争」から「この戦争」へ』文芸春秋、2014年、206‐207ページ)

自分が何者なのかなど、だいたい「自分」に分かるものなのだろうか。犯罪者から見れば警官はいつでもどこでも警官だが、その子供からすればどこからどう見てもパパである。医者から見れば患者はいつでも患者だが、家族からすればかけがえのない一員である。それに、ヘーゲルの「主と奴の弁証法」を持ち出すまでもなく、「何者」かというのは、「ある」のではなく、労働などの活動を通して「なっていく」のではないか。「何者」かというのは、働き始めることによって初めて、「あぁ、自分はこういう仕事をしているのか」と気づく類のことではかろうか(だから私は学生には、「何者」でなくでもいいけれど、働いてみなさい、とは言う)。「何者」には、時間が必要なのだ。

だとすれば、現在の姿から遡る形で、過去は、まるで自分がその姿に向かって生きてきたかのように組み替えられることだろう。ジャン・ポーランは、それを「過去の予見」と呼んでいた。彼は、女性を口説く男性が、自分はまさに目の前の女性と恋に落ちるべく生まれてきたのだと錯覚する様を次のように論じている。

「ドラ[女性]――その言葉をこれまで何人の女に言ったのよ。
クロード[男性]――あぁ、でも、今回ばかりは別なんだ。

もっとも奇妙なのは、クロードが、「だって僕には、こうして君に出会うかもしれないなんて予想できなかったんだよ」と言い足すこともありうるということだ。まさにそのとき、彼は、まるでいつの日かドラにめぐり会うはずだとずっと以前から知っていたかのように、自分の過去の恋愛遍歴を組み替え作り直してしまうのだけれどね」(拙訳『百フランのための殺人犯』書肆心水、2013年、53ページ)

大学に通った人が「大学教育は無意味だった」などと言えるのも、もちろんこの「過去の予見」によるわけだが、この錯覚によって、人間がより人間らしくなる一面もあるように私は思う。ゴールを設定して、それまでの道程表をつくり、一つずつ「夢の実現」に向けて努力する、という姿勢は、ともすれば、目標達成に関係がないと思われる事柄を容赦なく切り捨てて余裕をなくすといったきわめて硬直したものになるか、ゴールまでの最短距離を最低の努力やコストで駆け抜けようとする小賢しい姿勢になってしまうからだ。

ここでふと、レイモンド・チャンドラー『ロング・グッドバイ』(村上春樹訳、早川文庫)の冒頭にある、レストランの駐車係の一節を思い出す。フィリップ・マーロウが、泥酔したテリー・レノックスを初対面ながらも放っておけないのを見た駐車係は、「お客さん、人がいいね。俺だったら、そんなやつは道ばたに放り出してとっとと行っちまいますがね。[…]俺にはね、こういうことについちゃひとつ哲学があるんです。このとおり弱肉強食の世界だ。ボクシングで言えば、人はなるたけクリンチに逃げて、いざというときのために力を蓄えておかなくちゃ」と講釈を垂れる。それに対してマーロウは一言、「そうやってここまでのしあがったわけだ」(11ページ)。

若い学生を対象とした「キャリア教育」なるものがどのようなものなのか、私は詳らかにしないが、もしそれが、「何者かでならなければならない、何者かにならなければならない、そのためのロードマップを作らねばならない」などと説くものなのであれば、私は思わず、その講師に対して、マーロウと同じ言葉を口走ってしまいそうだ。

子供の頃からの夢を実現した人の話は美しい。けれど、我が身を振り返れば、幼稚園の頃には電車の運転士になりたかったし、小学校の頃には科学者を目指していたし、高校時代にはゴダールやカラックスやドワイヨンを観て映画の道に憧れ、IDHEC(Fémis)に行ってみたいと仏文科を選んで、一時期は進級も覚束ないほど映画館でアルバイトしていたにもかかわらず(それでも、留学中に一度、韓国のドキュメンタリーを観にFémisに足を踏み入れた時には何だか感動してしまった)、結果としては教員になっているわけで(それすら「何者」なのかよく分からないけれど)、「何者かになる」というのは、目標なのではなく、こういう紆余曲折を経たうえでの結果なのではないか。

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時間は大切だが金ではない

・水野和夫『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書、2014年)

本書は、数百年に亘る利子率に注目し、ここ20年ほど日本で続く低金利が、16世紀末から17世紀初頭のイタリア以来の現象であることを指摘しつつ、16世紀のヨーロッパで起こったのが「荘園制・封建制から資本主義・主権国家システムへの移行」という根本的な変化だったとすれば、現在の世界においても、資本主義・主権国家システムから別のシステムへの根底的な変容が起こるのではないか、と問う刺激的な書物。そして、できる限りその移行を滑らかに行うかが検討されねばならないのであり、つまりは、「長い21世紀」の始まりに「脱成長という成長」を検討する局面に私たちは直面しているのだ、と主張する。

著者によれば、「グローバリゼーションとは、「中心」と「周辺」からなる帝国システム(政治的側面)と資本主義システム(経済的側面)にあって、「中心」と「周辺」を結びつけるイデオロギーにほかな」ならない以上(42ページ)、途上国が成長して新興国に転じつつある現在、「周辺」はサブプライム層や非正規社員という形で生み出されつつある、という。

とてもスケールが大きく、説得力のある興味深い分析で、素人の私にとってはたいへん勉強になったが、なかでも面白かったのは、以下のような記述だった。

「低金利であるということ、つまりゼロ金利に近づくということは、次のように解釈できるはずです。もともと利子は、神に帰属していた「時間」を人間が所有することを意味していました。その結果、たとり着くゼロ金利というのは、先進国12億人が神になることを意味します。これは、時間に縛られる必要から解放されたということ、「タイム・イズ・マネー」の時代が終焉を迎えるということです」(129ページ)。

なるほど、私たちは、「24時間働けますか」というかつてのコピーに端的に見られたように、より速く遠くへとつねに急いで、さらに多くのものを手に入れようとするシステムの時代から、何らかの別のシステムの時代へと少しずつ移っているのだろうし、とりわけ、かたちではなくあり方という面で――金儲けや消費ではなくモノづくりに関心をもつ若い人が増えてきたという印象が、少なくとも私にはある――、その移行は実感されるのかもしれない。

そして、時間ということで言えば、まずはミヒャエル・エンデの『モモ』(大島かおり訳、岩波少年文庫)が思い浮かぶ。主人公の「モモ」が何をするかと言えば、むろん、人々から時間を盗んで人々を急き立てる「時間どろぼうたち」から時間を取り戻すことなのだが、それよりも特徴的なことに、彼女は人の話を聞くのだ。

 「小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、あいての話を聞くことでした。なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。話を聞くなんて、だれにだってできるじゃないかって。
 「でもそれは間違いです。ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです。そしてこのてんでモモは、それこそほかにはれいのないすばらしい才能をもっていたのです」(23ページ)。

聞くこと、それが待つことと不可分であることは以前にも考えてみたし、本書でも実際、「待つこともできなくてはいけないね」と時間の主「マイスター・ホラ」が「モモ」に諭している(245ページ)。また、この作品が「それぞれの人間の生活における固有の時間性の回復というもう一つのテーマに深く結びついて」いる点も大いに考えさせられるし、それは、メディアをどのように受容するかという問題へと拡げられるだろう(石田英敬『記号の知/メディアの知』東京大学出版会、2003年、200‐201ページ)。

でも、ここで私の関心を惹くのは、「時間どろぼう」である「灰色の男たち」の没個性、一様さである。そもそも彼らは、「BLW/553/c」というように、記号以外の名前をもたないのだった。

「ぬすんだ時間だけでできている」彼らは(352ページ)、「人生でだいじなことはひとつしかない。[…]それは、なにかに成功すること、ひとかどのものになること、たくさんのものを手に入れることだ」と人間たちに吹き込み、「きみがいることで、君の友だちはそもそもどういう利益をえているかだ。なにかの役にたつか? いや、たっていない。成功に近づき、金をもうけ、えらくなることを助けているか? そんなことはない」と人間たちを説得して回る(141ページ)。面白くもあり、恐ろしくもあるのは、今日の私たちにとって、こうした言葉がある程度の説得力をもっている点だ。それでもやはり、「役に立つ/役に立たない」という尺度「だけ」で、人間や世界が判断されてはなるまい。それは、「個であること」を否定することになるからだ。

そういえば、「時は金なり」という趣旨の話を残した「アメリカ建国の父」の一人、ベンジャミン・フランクリンを冒頭に引用しながら、マックス・ウェーバーが行ったのは、カルヴァン主義の「禁欲」が、天職を全うせんとする勤勉へと転化して、合理的な資本主義の精神を形成していった過程の分析だった。そして、ウェーバーを論じつつ、同じく「時は金なり」というフランクリンに言及しながら、「宗教改革の諸教理の所産が日の目を見るのが遅れたわけを説明するものは、資本主義の先天的にほとんど弁護不可能な特性である。資本主義の精神と倫理が純粋な状態で表示されたことがほとんどなかったのは注目すべきことだ」と記して、資本主義の根本的な図々しさを強調したのは、ジョルジュ・バタイユだった(『呪われた部分』生田耕作、二見書房、1973年、168ページ)。

そのバタイユは、生産/消費という枠組みではなく、豪奢に消尽されてきたはずの「過剰・剰余エネルギー」を考慮に入れた「普遍経済学」を考察しようとしていたが、その根本には「贈与」があった。「現状においては、富をその本分に、すなわち返報のない贈与、浪費に復帰させようとする基本的動きを、すべてがよってたかってごまかしにかかっている」と彼が記したのは(49ページ)、今から70年近くも遡る、1949年のことだった。

ともあれ、バタイユが「至高性」を「瞬間」と関連づけていたことを勘案すれば、「モモ」が取り戻す「固有の時間性」の一つのあり方は、「瞬間」になるのではないか。「瞬間」の積み重ねとして生きられる時間。それがどのような可能性をもつかは思いつかないけれど、少なくとも、それが、美的な時間でないとは言い切れまい。

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五感に触れる物語

・小野正嗣『九年前の祈り』(講談社、2014年)

表題作のほか、3つの短編が収められた作品集。作品はいずれも、例によって大分南部の「浦」が舞台になっている。

「九年前の祈り」は、障害をもつと思しき幼い息子をもつシングルマザーの「さなえ」が、故郷の「浦」に戻っていたところ、九年前に町内から一緒にカナダへ旅行した中年女性の「みっちゃん姉」の息子が病気らしいと母親から聞かされたことをきっかけにして、その旅行での諸々の出来事などを思い出し、自分の過去や、自分と息子の関係を見つめ直す物語。

この表題作は、まさに五感に触れる物語だ。普段、私たちは、頻繁にメッセージのやり取りをしている。そもそもそうしないと、仕事も生活も、何一つ回っていかないからだ。言ってみれば、四六時中、私たちは意味に取り囲まれていている。

けれども、この物語は、のっけから、「意味」ではなく「声」に注意を向けさせる。

「何かよいことが起こったとき、人に話すと幸運の効果が失われると信じている母は、否定的なことを口にすると、それによって不幸や悪運を招き寄せると信じていた。まるでインフルエンザのウィルスは「インフルエンザ」という単語によって耳から感染し、「癌」という言葉の響きが患者のがん細胞を刺激し増殖させるかのように」(16ページ)。

そして、主人公「さなえ」の母を形容したこの記述は、実のところ、主人公の「さなえ」にこそ当てはまるようであり、実際、彼女は、物語のなかで、しばしば「声」を耳にする。それは他人からすれば幻聴でしかないだろうが、彼女にとっては、本当に聞こえる声なのであり、何より、触れてくる音なのだ。嫌ならそのまま瞼を閉じればすむ視覚や、そのまま吐き出せばよい味覚と異なって、聴覚は、手や道具を用いなければ、不快な音や声から逃げられないし、手や道具を用いても音や声からは逃げられないときさえある。その意味では、聴覚はとても受動的な感覚だ。

そういえば、本書に収められた他の作品でも、意味に囚われない聴覚をめぐる印象的な描写がたびたび読まれる。「死者と生者が一緒に暮らしている――その聞こえてきた声を発しているのは誰だかわからなかったが、その声のおかげで、生者と死者が一緒に暮らしていると思った、感じた、理解したのはまぎれもなく雄真だった」(「ウミガメの夜」138ページ)。あるいは、「言葉の響きに敏感な耳を持った人がいる。「まち」の飲み屋で働くアリサも矢野リンメイもそういう感度のよい耳の持ち主だった」(「お見舞い」189ページ)。本書の「浦」に生きる人々は、そうした五感を研ぎ澄ませているかのようだ。

声には、意味だけではなく、というより意味よりもまず、肌理とでも呼べるものがある。声の大きさや響き、声音、訛りなどなど。そして、実のところ、意味以上に伝わるのが、そうした言葉や音のもつ質感である。興味深いことに、このことは、たとえば、瀕死の状態から奇跡的に生還した漫画家による、自伝的漫画にも記されていた。この漫画家は、意識不明の状態をさまよっていたときのことを次のように描いている。

「制作業、自営業の人がいきなり倒れてそのまま死んでしまう
よくある話です。
「わたしもそのうちの一人だったのでした。
「絵なんか描いているせいで、家で仕事してるせいで、命を失ったんだ
周りの人は口をそろえて言ってきたと聞いています。
「絵を描いてそのあげくに死ぬ、脳が壊れてしまう
ということを目の当たりにした家族はやはり、それに対して異論を唱えられませんでした。
「ベッドに寝ているわたしの上を色々な言葉が飛び交っていました。
「頭がおかしくなっていても
容赦のない言葉は届くのです。
「言葉の意味が分からなくても、責められているということはわかるのです。
「知能に影響が出たせいで、それらの言葉は、ダイレクトに悪感情としてわたしに降りかかってきていました」(村上竹尾『死んで生き返りましたれぽ』双葉社、2014年、43‐44ページ)

あるいは、以前にもメモした言葉だが、村上春樹の『1Q84』にも似たような記述が見られた。

「看護婦は言った。「看護婦になる教育を受けているときにひとつ教わったことがあります。明るい言葉は人の鼓膜を明るく震わせるということです。明るい言葉には明るい振動があります。その内容が相手に理解されてもされなくても、鼓膜が物理的に明るく震えることにかわりはありません。だから私たちは患者さんに聞こえても聞こえなくても、とにかく大きな声で明るいことを話しかけなさいと教えられます。理屈はどうであれ、それはきっと役に立つことだからです。経験的にもそう思います」」(第2巻、490ページ)

だが、小野のこの物語にはもう一つの受動的な感覚、すなわち嗅覚が、わずかしか言及されないがゆえに、かえって印象的に登場している。「さなえ」が、連れ子のある中年男性と男女の仲になり、その子供たちを紹介された席で、彼女は「男が注いでくれたビールを口に近づけた説き、コップの縁に生臭さを感じた」のだった(45ページ)。むろん、二人の関係は破局を迎える。あるいは、「さなえ」とともに故郷の町からカナダへ旅行した中年女性たちは、地下鉄車内に立ち込める体臭に困ってしまう。「「なんのにおいかーい? くせえのお」と後藤のえーこ姉の声が聞こえた。「まこと、ガイジンはシャワーを浴びるだけで風呂には入らんちゅう話じゃもんのお、くさや、あたしゃ気持ちが悪い、吐きそうじゃ」とふっちーが呻いた」(100ページ)。

こうしてこの物語は、最後に、手を繋いだり離したりという、触覚にたどり着く。「不安は消えなかった。息子の手はひんやりと冷たかった。だからさなえは手に力を込めた」(114ページ)。そしてこの触覚をきっかけに達成されるのは、五感そのものへの注視である。

「人間が原初的に無力であることはあらゆる道徳的動機の究極的源泉である」と記したのはフロイトだが(「心理学草案」『フロイト全集第3巻』岩波書店、2010年、30ページ)、それは、誰であれ人間は、泣き叫ぶ赤子として全面的に周囲の世話――乳をやり、おむつを替えるなどといった日常的な世話――に依存するという形で生まれてくる、ということには留まらない。それは、何よりもまず、泣き叫ぶ赤子のすべてがまずは周囲に受け入れられねばならない、ということだ。

そして、すべてを受け入れるとは、意味を超えてその存在を抱き留めるということにほかならない。だからこそ、本書の末尾で、「さなえ」が「希敏」を受け入れる瞬間は、「意味」を伴いがちな視覚と聴覚が退いていき、それに代わって、知覚そのものの肌理へと迫るかのように他の感覚が研ぎ澄まされていく過程が、段階を踏んで記されることになる。

「目を閉じて頭を垂れた。悲しみはさなえの耳元に口を寄せ、憑かれたように何かをささやいていた。聞きたくなかった。聞いてはならない。」

こうして視覚が閉ざされると、もはや、意味を伴わぬ「声」さえ排除される。

「顔をさらに息子の顔に、柔らかい髪に押しつけた。熱を感じた。」

このように、あらためて触覚を経たのち、五感のうちで残ったもの、すなわち、もっとも意味を担いにくい味覚と嗅覚が登場して、他なる存在の無条件的な受容が成就する。

「かすかに潮の味がした。息子のにおいが鼻いっぱいに広がった」(114ページ)。

というわけで、この物語は、救済の物語ではなく、それに先立つはずの受容の物語である。その受容によって守られるのは、「この世界にあることの驚きとでも言えばよいのか。生きていくうちに摩耗し、消えていくはずの驚きがいまだにある」存在であろう(「悪の花」206ページ)。そして、この文字通り殺伐とした世界のなかで今もっとも必要とされているのは、おそらく、「あらゆる道徳的動機の究極的源泉」としての、受容ということなのだ、と私は思う。

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謹賀新年

読書メモとしてこのブログを始めてから早いもので10年近くになります。昨年後半から、少しずつブログを復活させつつありますが、読んだ本をすべて書き留めているわけでもなく、どんどん忘れていってしまいます。それでもやはり、一歩一歩、形にしていくしかないのでしょう。

ともあれ、このブログを訪れてくださる方にとって、今年が良い年でありますようお祈り申し上げます。

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「かたち」と「あり方」

・田中康夫『33年後のなんとなく、クリスタル』(河出書房新社、2014年)

授業で『なんとなく、クリスタル』(新潮文庫)に言及することもあり、1980年代の日本で記号としての生活を送っていた登場人物たちはいったいどうなっているのだろうと興味が湧き、読んでみた。

『なんとなく、クリスタル』と同じく膨大な註が付され、これまた同様に表参道で締めくくられる本書を読み終えた時、なるほどそうだよね、と思うことがあった。それは、『なんとなく、クリスタル』もまた、本書と同様に、実は、「かたち」ではなく、「あり方」をこそ描いていたのだ、ということだ。

「恋愛や経済だけでなく政治も社会も、その「かたち」ではなく、その「あり方」こそが、常に問われている。戦争の終結に象徴される大多数の人々が待ち望んでいた「大文字」の変化が実現した後、それぞれ多種多様に異なる「小文字」の改善を人々が求め始める局面においては、とりわけ。」(232ページ)

『なんとなく、クリスタル』の登場人物たちは、「主体性がない」などと批判されたようだが、学生運動が退潮した後、消費社会の到来とともに生き始めた彼ら彼女らは、大きな枠組みではなく、周囲の空気のなかで「ちょっぴり贅沢な渇き」を抱きながら生きていた(251‐252ページ)、ということなのだろう。末尾に合計特殊出生率や老年人口比率の予想データが掲載されていた以上、あの物語は明らかに、時代の雰囲気を切り取った批評的散文だった。

人口が減少するなら、小さい規模での社会の幸福を考えればよいのに、なぜか右肩上がりの思考法だけは問われることがないままに、右肩上がりを持続させる方策ばかりが論じられてしまう。「飢餓や疾病に苦しむ、凄惨な状況ではない。けれども、日々の暮らし向きの中で人々は、少なからず”喉の渇き”を感じているのだ。”思想や良心”といった一人ひとりの立ち位置を超えて誰もが、日本の現在に、そして未来に」と、やはり本書もまた、時代の雰囲気をスパッと切り取ってくれる(252ページ)。

そして、登場人物たちが、二度の大震災を経た今日の日本を生きる本書では、「出来る時に出来る事を出来る人が出来る限り」ということばが幾度も繰り返され、登場人物たちを突き動かす原動力になっているかのようだ。そしてその言葉は、なかでも、南アフリカで眼鏡を通じて社会貢献を行おうとする由利を支えている。

貧しい国で、眼鏡を無料で配布するのではなく、誰もが手の届く値段で販売し、さらに、検眼から販売に至る過程を現地の人に研修していくというそのプログラムについて、「差し上げるだけなら、単なる施しでしょ。この取り組みは違うの。そこに私は共鳴したのよ」と言う彼女は、「尊厳と言ったらおおげさかな。でも、自分で自分の眼鏡を選ぶ喜びを得られるって、とても大切なことだと思うの。自分に合った眼鏡があれば、仕事も勉強も、そして家事や育児にも、意欲が湧いてくるでしょ。売ったらそれで終わりではないのも、私はいいなぁと思った。[…]」と語る(155ページ)。

言葉や触れ合い(「ペログリ」)だけではなく、商売もまた、単なる利潤の追求を超えて、本来は人と人を温かく繋ぐものだったはずだ。

精神障害を抱えた人々が共同生活を送る北海道は浦河の「べてるの家」にかんする本には、「べてるの家」が商売を始めた頃について、次のような記述がある。

「「医療」や「福祉」や「行政」の枠のなかにいるかぎり、彼らはいつも病人、すなわち治すべき人びとである、障害者、すなわち社会復帰しなければならない未完の存在だった。[…]ところがそこから一歩出て商売の世界に入れば、医療の世界にはけっしてありえない出会いがあり、連帯があった」(斉藤道雄『悩む力』みすず書房、2002年、84ページ)。

金銭がさらなる金銭を生み出す大きな動きに個人が翻弄されかねない時代にあって、利潤を追求しないというあり方もあるかもしれない。けれど、利益を上げない限り、「施し」の対象に固定されてしまいかねないのならば、まずは商売の可能性を広げてみるというあり方もあるのだろう。

障害者の就労を目指す「施設」ではなく、障害者が戦力となる「商売」。それを、スワンベーカリーで成り立たせている小倉昌男は『福祉を変える経営』(日経BP、2003年)で何度も、経営の観点を福祉に導入する可能性と重要性について語り(とはいえ実のところ、本書は業績を誇る言葉が繰り返される印象があり、ビジネスマンの本を読み慣れない私にはいささかしんどいものではあった)、知的障害者を主とする障害者雇用率7割の日本理化学工業の大山泰弘は、『働く幸せ』(WAVE出版、2009年)のなかで、チョーク――ちなみに、私の勤める日大商学部もこの会社のチョークを導入――の製造ラインを工夫することで、その製造はほぼすべて障害者に任せられるようになったばかりか、彼ら彼女らが誇りをもって働くようになったことを記している。

社会や国の「かたち」を考えることはもちろんとても大切なことなのだろうが、そればかりに囚われてしまうと、障害者や貧しい人は「施し」の対象にしかならず、「だから保障費が必要なのだ」という議論になりかねない。それに対して、ひとたび「あり方」を考えてみるならば、社会や個々人が障害者や貧しい人から学ぶということがあっても、なんら不思議ではない。

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生き残ろうとする理由

・Gabriel Wachmann, Daniel Goldenberg, Evadé du Vel d'hiv, Calmann-Lévy, 2006

1942年7月16日早暁から17日にかけて、パリに住む、子供を含めた外国籍ユダヤ人の一斉検挙が、フランス警察によって行われた。4000人を超える子供、3000人ほどの女性、約1100人の男性のうち、独身者や子供のいない人は直ちにドランシーに送られる一方、子供のいる人々はパリの冬季競輪場に収容された。彼ら彼女らはその後、フランス国内のピティヴィエやボーヌ・ラ・ロランド収容所を経て、まずは大人が、次いで親と引き離された子供たちも、最終的にアウシュヴィッツへと移送された。通称、ヴェルディヴ事件である。

「一般的には、この乱暴な一斉検挙は広範な無関心によって迎えられたと言って差し支えないが、子供たちも連行されたことが知られるようになると、同情心がこの冷淡さに取って代わることになる」と、自身もヴェルディヴ事件で検挙された作家・歴史家モーリス・ラジスフュスが記しているとおり(Maurice Rajsfus, La rafle du Vel d'hiv, col. Que sais-je ?, p.36。発音は「ラジスフュス」でいいのだろうか)、子供たちも検挙され、親と引き離された挙句に虐殺されるという点で、これは絶望的な事件だった。

本書は、ポーランドからフランスにやって来た仕立て屋のヴァクマンの家族がヴェルディヴへと連行され収容されるなか、14歳のガブリエル少年が、姉のロゼットおよび友人のファニーと一緒に、ヴェルディヴを脱出した証言である。ヴァクマンが記した一人称の証言を、作家であるダニエル・ゴールデンベルクが三人称の物語とした作品。このような作品に是非はあろうが、「読者には、再発見されたドキュメンタリー・フィルムを前にした観客のように感じてほしいし、この恥ずべき過去が、その本当の歴史的恐怖をまとった姿で読者の目に再構成されんことを。そして、ガブリエル・ヴァクマンがこの経験をしたのが14歳の頃であることをつねに念頭に置いていただきたい」という彼の狙いは(p.7)、成功しているものと思う。

本書に描き出されているのは、次第にユダヤ人対する締め付けが強まるドイツ占領下のパリにいながら、日常生活を送るなかで、なかなか危機感を抱けない人々や、手をこまねいているしかなくなってしまった周囲の人々の姿であり、同時に、立場の違いはあれど実にさまざまな人がいるということである。

たとえば、「ただで数少ないトイレは詰まっていて機能せず、直せる人は誰もいなかった。みんな、壁際に排泄するよりほかなかった」というヴェルディヴに収容されながらも(Maurice Rajsfus, op.cit., p.67)、「ピッチには子供たちの一団がいて、踊っている女の子や男の子さえいた」ことが報告され(p.63)、子供たちだけでも自分と一緒に脱出する道を探ろうというガブリエルの提案に対して、「あんたは母親から子供を取り上げるというのかい? 男たちは労働収容所に行くことになるだけよ。そして女と子供は解放されるんだわ」と怒りを露にするガブリエルの叔母の姿が記される(p.65)。

また、「[パリ郊外の]ノジャン=シュル=マルヌ県の警察官が一人だけ、この一斉検挙の翌日に職を辞しているが、これは唯一の例である」のが事実としても(Maurice Rajsfus, op.cit., p.43)、ガブリエルの父親に出頭命令書を持ってきた警官は、玄関に出たロゼットに対して、「お父さんにこの書類を渡すんだよ」と念を押しつつも、「お父さんに、この出頭命令に従っちゃだめだと言うんだ! 分かったかい」と注意を促している(p.39)。どのような状況であれ、誰においても、どれほど僅かであろうと人間的に振る舞う余地はあるのではないか、と思わされる箇所だ。

そしてガブリエルは、ヴェルディヴに着いた時、自分が激しい恐怖を感じていることを知る。

「この時まで、ガブリエルは腹を締め付け麻痺させているこの恐怖を押し隠していた。もうたくさんだ! 彼はこのひどいヴェルディヴを探検し、隅々まで知ろうと思った。ほどなく自分のしたいことがはっきりしてきた。逃げることだ!」(p.55)

そうしてガブリエルは、屋上からの逃げられることを発見して、巧みに脱出を果たすのだが、本書では、それ以降、終戦を迎えるまでのさまざまな冒険が語られる。彼の一家を密告しようと見張っていた管理人、脱出した彼を匿ったバルビエ家、自由地帯へと脱出させてくれたナブーレ氏、彼を雇った農場主、彼が身を寄せたパリの職業学校のレヴィ氏といった人々に加えて、彼の参加したレジスタンス活動や、過去の自分の住まいが接収されているなど以前の生活がすっかり破壊されたという事実…… 「許しでも忘却でもなく、という二つのことばが、彼らの考えていることを的確に要約している」(p.133)。

ところで、本書でとりわけ興味深いのは、戦後の紆余曲折を経てメキシコで実業家となっていたガブリエルが、過去の体験を証言しようとしたきっかけが、これまた間一髪で助かった経験をしたからだ、という点だ。1985年9月、巨大地震をメキシコが襲ったのである。

「1985年9月19日、メキシコシティから数百キロのサンタ・エレナで、ガブリエル・ヴァクマンは、この地震で自分が死ぬだろうと思った。57歳だった。数秒の間に、自分の生涯が脳裏をよぎった。自分や家族が無事だとわかると、これは単なる地震ではなく、一つの徴であることが彼にははっきりしているように思われた。今や、フランスに戻ってゼロから再出発し、とりわけ、証言せねばならないのだった」(pp.144-145)。

ここで思い出されるのは、人間の活動力を、生命過程を可能にする「労働」、道具の世界を作り上げる「仕事」、そして意味を生み出す「活動」に分けた、ハナ・アーレントの次のような言葉だ。

「真実の物語と虚構の物語の違いは、まさに後者が「作り上げられる」のにたいして、前者はけっしてつくられるのではないという点にある。私たちが生きている限り関与している真実の物語は、眼に見えるか見えないかにかかわらず、いかなる作者をももっていない。なぜなら、それは作られるものではないからである。この物語が暴露する「ある人」だけが主人公である。そして、他人と異なる唯一の「正体」は、もともとは触知できないものであるが、活動と言論を通じてそれを事後的に触知できるものにすることができる唯一の媒体、それが真の物語なのである。その人がだれであり、だれであったということがわかるのは、ただその人自身が主人公である物語――いいかえればその人の伝記――を知る場合だけである。」(『人間の条件』志水速雄訳、ちくま学芸文庫、301‐302ページ)

どのような人間であろうとそれぞれの人生はかけがえがないわけだが、そのかけがえのない意味が見出されるのは、あくまで、人生という「物語」が完結する「事後」でしかないという。ガブリエルは、歴史の波に呑み込まれながらも、死がほんの身近に迫ったときに初めて、過去を語ろうという決意を抱いた。こうして、数々の危険を冒し、多くの人に救われながら、がむしゃらに自分が生き延びようとしてきたのは、証言するためにこそなのだ、ということが彼自身にとって、事後的に明らかになったのだろう。だとすれば、証言者としての人生は、余生と言えるのかもしれない。だがそれもまた、言うまでもなく、かけがえのない生なのだ。

(2015年7月31日追記) このヴェルディヴ事件をめぐって、「ヴェルディヴ事件の子供たちとパリの文壇」という論文を発表しました(日本大学商学部『総合文化研究』第21巻第1号)。この紀要はそのうち、本学のHPに公開されるはずなので、そのときにはリンクを張ります。

(2016年5月2日追記) ようやく上記の紀要がHPに公開されました。

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「本音」の関係?

・中島岳志『秋葉原事件』(朝日文庫)

今から6年以上前の事件だが、学生の記憶にも新しい事件ということから、読んでみた。犯人の生い立ちから家庭環境、仕事の様子から交友関係、そして事件へと至る道筋が詳細に調査され、見事にまとめられたルポルタージュであり、加藤智大という存在が、実のところ私(たち)にどれほど近いかをまざまざと見せてくれる。

 「彼は「ベタ」な現実を「ネタ」化したが、一方で、その「ネタ」が「ベタ」な現実に跳ね返ってきた。現実のデフォルメを繰り返していると、虚実の境目が曖昧になっていった。
 「すべてフィクションの「ネタ」であれば、「ネタ」の強度だけで楽しめただろう。[…]しかし、彼は現実の延長上で「ネタ」を大量生産した。「ネタ」と「ベタ」は、どこまでも地続きだった。
 「また彼は「ネタ」で繋がった人間との「ベタ」な付き合いを重視した。彼にとって「ネタ」への評価は「ベタ」な自分への承認だった。」(166ページ)

この分析など、「ネタ」を「建前」、「ベタ」を「本音」と言い換えれば、ごくありふれた日々の生活にも見えてくる。

しかしながら、読み進めながら、私にはどうにもすっきりしないことがあった。

それはつまり、「本音の関係」なるものの存在が前提されているように見える点だ。実のところ、加藤は、「本音」の関係というものが幻想に過ぎないということを認識していなかったのではないか。彼は、ほとんど唯一と言っていい例外を除いて「本音の関係」を築けなかったというのではなくて、どこかにあるはずの「本音の関係」を追い求めてしまったがゆえに、誰しもが抱える自分の孤独や自分のうちなる深淵に向き合えなかった、ということではないか。だから、「本音の関係」を求める加藤智大という人物は、逆説的にも、「勝ち組」などというきわめて紋切型の軽薄な言葉遣いをしていたのではなかろうか。

「加藤は、リアルな他者と「本音の関係を構築したかった。自分の思っていることを率直に吐露しても、それをしっかりと受け止め、本当の自分を承認してくれる他者がほしかった。」(116ページ)

全面的に受容される経験が、幼児期にはきわめて重要だということはしばしば論じられるが、大人になってみれば、全面的に許容される経験や関係など、少なくとも私にはありえない。でも、人間とはそんなものだろう。なにも、建前だけの生活が人生というわけではない。そうではなく、全面的に肯定されるという関係など幻想にすぎないと承知し、おのれのうちに孤独を抱えながら、なお承認されたいという幻想に身を投じようとする、という程度の自己認識を誰しももっているものではないか、ということである。

だからこそ、誰しも、自分の底なしの孤独を前にしてやりきれないときもあれば、逆に、その深淵にこそかけがえのなさを感じる幸せももっているのではあるまいか。

好きという気持ちだけでは共同生活などできやしない(むろん、それは経済的要素が最重要ということなのではさらさらない)。共生ということで言えば、石原吉郎が浮かんだりもするが、それは、相互理解など絶望的だという地点からしか成立しない。恋愛関係の破綻をすべて「不細工」の一言で片づけてしまうのは、子供の論理である。

そんななか、星野智幸『俺俺』(2010年、新潮社)という物語で興味深いのは、徹底して軽薄なものとなった無数の「俺」からなる集団が、人間的な集団として再生するきっかけとなるのが、食べ物を作る「共同作業」だという点である。

 「想像のうちでまた、雪の溶けた山を俯瞰する。斜面では俺らが何人も土をいじっている。俺らは食う物を、自分たちで作ることができるはずだ。なぜなら、俺は今、を信用しているので、共同作業ができるから。」(242-243ページ)
 「俺は全部で14人が暮らすその小さな集まりの一員に迎えられ、一緒に食い物を作っていくのだが、それはまた別の物語だ。」(249ページ)

共同作業は、「本音の関係などありえないということを熟知しながら、なお本音の関係という幻想に身を投じてみる」という信頼関係から成り立つ。そして共同作業から始まって、受容されるという経験が生まれるのだ。そして、本書の共同作業が、食糧を作るという、生きていくための根本的な作業である点もまた、重要なのだろう。だとすれば、加藤智大が入り浸っていたインターネットではやはり、そうした共同作業は難しいのかもしれない。

ともあれ、そうした幻想に飛び込むことで始まる共同作業は、どんなときにも、ゴールや見返りを設定してしまう姿勢の対極にある。たとえば、これを勉強すればこういうメリットがある、などと考えて始める勉強はやはり寂しいものであり、しばしば、そうした勉強のなかの寄り道の方が楽しかったりする。そして、面白そうだからやってみた事柄は、本当に面白いことが多い(研究はその最たるものだ)。

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「本音」の悪魔のような囁き

・フランツ・ルツィウス『灰色のバスがやってきた』(山下公子訳、草思社、1991年)
・田野大輔『愛と欲望のナチズム』(講談社メチエ、2012年)

今日では、ナチスによる大量虐殺が、ユダヤ人やレジスタンスやロマやエホバの証人の信徒、同性愛者だけではなく、さまざまな障害者たちをも対象にしていたことは、よく知られている。でもなぜ、障害者が抹殺の対象なのか。それは、彼ら彼女らが、「生産」しないとされたからである。

本書は、教会が運営する障害者の福祉施設を舞台に、「安楽死」作戦とそれへの抵抗に題材をとったノンフィクション・ノベル。この作戦は、ドイツ各地の福祉施設で生活していた障害者たちをガスや薬物投与によって「安楽死」させるもので、1939年から41年まで続けられ、その後も終戦間際まで、統制の形を変えて続行された。40年4月からは、安楽死管理局がベルリンのティーアガルテン通4番地に設置されたことから、T4作戦とも呼ばれる。

これは、ユダヤ人絶滅作戦の地ならしでもあった。というのも、T4作戦に従事していたイルムフリート・エーベルルやフランツ・シュタングルはトレブリンカに、クリスチャン・ヴィルトはベウジェッツをはじめとした各絶滅収容所に勤務するなど、人事が繋がっていたからだ。「ユダヤ問題の最終解決」を目指したラインハルト作戦に従事する職員の「約20%がT4中央執行機関で働いていた職員」だったという(木畑和子「第二次世界大戦下のドイツにおける「安楽死」問題」、『1939――ドイツ第三帝国と第二次世界大戦』同文館、1989年、258ページ)。

「「T4作戦」は、大量殺戮の精神面、技術面の母胎である。「安楽死」と「ユダヤ人問題」とは時系列的につながる。どちらも同じ生物学的な論理をもつ。[…]/強制収容所での拘束とジェノサイドは、生物学的言辞を弄する全体主義思想、つまり生命の完全なる政治的支配の欲求にその根本が見つけられよう。「T4作戦」は、生権力の到来を犯罪的なまでに浮かび上がらせる。」(ジョルジュ・ベンスサン『ショアーの歴史』白水社、文庫クセジュ、69ページ)

これ以前にもすでに、障害者が生まれないようにすべく、20世紀初頭から、各国で障害者に対する断種が行われていたし、ドイツでも、1933年に断種法が制定されていた。だがドイツでは、第一次大戦の傷跡も生々しい1920年に、『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』(『「生きるに値しない命」とは誰のことか』森下直貴・佐野誠訳、窓社、2001年所収)が法学者のカール・ビンディングと医者のアルフレート・ホッヘによって発表されていた。これは、治癒不可能な「白痴」が、勤労者や兵士たちが命を落としているなかでも手厚い保護を受けていることの「不条理」を解消すべく、医師による彼ら彼女らの死を合法化する、という主張だった。

「法益たる資格が甚だしく損なわれたがために、生[命]を存続させることが、その担い手自身にとっても、社会にとっても一切の価値を持続的に失ってしまったような人の生[命]というものは、あろうか」とビンディングが記せば(36ページ)、「経済面に関するかぎり、極度知的障害者こそは、完全なる精神的な死のすべての前提条件を一番に満たすと同時に、誰にとっても最も重荷となる連中となろう」とホッヘが歩を進めて答えるのだった(77ページ)。

そもそも、「医師層はナチ党への加入率が国民全体平均の加入率よりもはるかに高い層」だったにしても(ティル・バスチアン『恐ろしい医師たち』山本啓一訳、かもがわ出版、2005年、41ページ)、ここには、他人の命よりカネが大事、という前提がはしなくも露呈している。それゆえ、ルツィウスのこの物語のなかでも、安楽死施設の看護人から次のような台詞が出ることになる。

「平然として看護人はヴィリー〔60年間施設で暮らしてきた精神障害者〕に向かって言いはなった。「60年もエッセンの施設にいたんだって? そいつはちょっとエサのやりすぎだあな、じいさんよ」」(158ページ)

この言葉はいったい何なのか。これは、えげつない「本音」にほかならない。自分たちが苦しんでいるのは、役立たずのこいつらの割を食っているからだ、という浅ましい考えだ。社会が窮屈になればなるほど、勢いを増すであろう態度でもある。だが、いったい誰が、どんな権利の下に、他人を「役に立つ/役に立たない」などと判断できるのか。それができるのは、時間を超越した存在だけなのではないか。そもそも「役に立つ」などという基準は何なのか。

人間はどれほど多面的に物事を考えようと、そこにはつねに限界がある。そして、その限界がどのようなものかは分からないが、ともかく限界があるということは分かる。ジャン・ポーランはそれを、「全体性の幻想」と呼んだのだった。

「警察が半年前から捜していたエドゥアール・ジャリの殺人犯は、ひょんなことから足がついた。ある日、通りにいた一人の男性が、突然走り出し、一件の住宅に飛び込み、管理人を突き飛ばした挙句、階段を駆け上がって屋根の上に逃げていったのである。みんな呆気にとられてしまったものの、警報が鳴らされた。警察が現場に到着。その男性は6時間後、女中部屋で見つかった。彼は、自分が当の殺人犯であり、司直に追われている人物であることをすらすらと自供した。――ではなぜ、彼は逃げたのか。それは、彼が、自分の方へ一人の警官が走り寄ってくるのを見たからだった。調査の結果、彼に走り寄ったというその警官は、家族をもった良きパパであり、バスに乗り遅れまいとして走っていただけであることが判明した。」(『百フランのための殺人犯』書肆心水、2013年)

犯罪者は、警官が24時間警官であり続けると思ってしまう。考えることのできる人なら誰しも、何事につけ、この犯人と同じような推論をしてしまうものだが、自分もその例に漏れないということだけは意識することができるはずだ。

また、ルツィウスの本書は、「「生きる価値なき」生命を救うための、安楽死に対する闘いの敗因は、施設責任者、看護婦、施設役員、職員にあったのではない。教会がこの戦いを敗北に導いたのである」と断じている点でも(169ページ)、注目される。ドイツのガレン司教が抗議の声を上げたことで、「安楽死」作戦は中止されたと見なされてきたからである。だが実際は、この作戦はより隠密に継続されることになってしまうのだった。

ところで、以前読んだ、メヒティルト・ボルマンの『沈黙を破る者』(赤坂桃子訳、河出書房新社、2014年)では、第二次大戦直前から大戦中の若者たちの恋愛――異性愛、同性愛、外国人との恋愛――が大きな役割を果たしていたので、実際のところ、この点で当時の人々はどのような私生活を送っていたのかと思って読んだのが、『愛と欲望のナチズム』。

抑圧的と思われがちなナチス時代、ドイツでは、実のところ、市民道徳が偽善として批判され、性の解放が主張されていたという。

「性愛の賛美は、子孫の繁殖をめざす出生奨励策の装飾にとどまるものではなかった。重要なのは、ナチズムが旧来の禁欲的な性道徳を否定し、現生肯定的・自然主義的な世界観を提示することで、性愛の喜びを享受するよう人々を鼓舞していた点である。欲求の充足を促された個々人は、そのことによって体制への忠誠心を高めるとともに、子供の出生を通じて体制に奉仕し、公的な栄誉を獲得する。」(22ページ)

性愛が体制から肯定されることで、人々は私生活をも動員されることになるというのだ。こうして、「健康で美しい」ヌードが氾濫し、「自然な」性欲が掻き立てられる一方で、男性の同性愛は、親衛隊をはじめとする男性集団に広まる恐れがあるとして、「再教育」や処罰の対象とされたという。ただ、同性愛の原因を探ろうとするヒムラーの関心もあって、「同性愛者が強制収容所にいたるまでの過程は複雑で、迫害の理由も一貫していなかった」(77ページ)。

そして、外国人とドイツ人女性の恋愛は『沈黙を破る者』でも重要なエピソードとなっていたが、ナチスは、ドイツ人の血の純潔を唱えていたにもかかわらず、「処罰の対象とされたのはドイツ人女性と外国人男性の性的関係だけであり、ドイツ人男性と外国人女性の関係はほとんど問題とされなかった」(209ページ)。フランスでも、ドイツ兵と懇ろになった女性が公衆の面前でリンチされたり、彼女たちの子供が「ボッシュの子」と蔑まれたという話があったが、父親たる男性は、なるほど、処罰の対象にはならなかったわけなのだ。

ともあれ、こうして眺めると、「能力のない人々が、自分たちの税金でただ飯食ってるのは許せないだろ」だとか、「いい女と寝たいだろ」といった、本来は後ろ暗い「本音」めいた事柄が、誰憚ることなく声高に主張されるようになってしまうのは、とても危険なことだと思う。こうしたタイプの立論には何を言っても無駄であるように思われるのが、恐ろしくもあり、歯痒くもある。というのも、誰にだって生きる権利はあるはずだと反論すれば、「お前は自分のカネが惜しくないのか」というようにすべてを金に還元されてしまうし、貞操によって守られるものがあるはずだと反論すれば、「きれいごとはうんざりだ」と市民的道徳観を嘲笑されてしまうのがオチだからだ。そしてナチスは、「健全」を旗印に、悪魔の囁きのようなこういう「本音」を厚かましくも公然と掲げたのだろうし、だからこそ大衆の支持を集めたという部分もあるのだろう。

今の社会にも、「本音」をめぐるこうした雰囲気が瀰漫してはいまいか。たとえば、「使える/使えない」という言葉遣いが、日常的に他の人間に対して用いられる状況を目の当たりにすると、私などは落胆してしまう。そんな言葉が人間に対して用いられるということは、第一、とても気色悪い、グロテスクなことではないか。でも、ひとたび「使える/使えない」という枠組みに囚われてしまうと、自分も他人から「使える」人間として評価されるべく努力せざるをえなくなるのだという点は、たとえその枠組みのなかで生きるにしても、意識しておいた方がいいのだろうと思っている。それこそはきっと、失ってならないかけがえのないものを失わないための数少ない方法の一つだろうから。

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勇気に威勢はない

・メヒティルト・ボルマン『沈黙を破る者』(赤坂桃子訳、河出書房新社、2014年)

本書は、ドイツを舞台に、ひょんなことから亡父の過去を探ることになった男をきっかけとして、現代に起こった殺人事件から、第二次大戦期や戦争直後の出来事が次第に明らかにされていくミステリー。出来事とはいえ、それは、大きな歴史に呑まれてしまう日々の営みがつねにそうであるように、複合的で容易な整理を許さない類のものだ。しかも、物語は、各章に日付が記され、現在と過去とを往復しながら展開されていくので、過去というものがどれほど現在の一部であり続けるものなのか、ひしひしと感じられる。

1930年代末、とても仲の良かった6人の若者は、戦争が始まるや、それぞれの道を突き進んでいく。ある者は親衛隊に入り、ある者は労働奉仕団に入団するが、面白いのは、彼ら彼女らのそれぞれが、恋愛感情という非常に個人的な動機をもって運命に飛び込んでいくことだ。非常時には誰もが恋愛を思い煩わなくなるなどということはないだろうし、どのような状況下であれ、人々、とりわけ若者は、愛し愛されたいという当たり前の欲望を抱くものだろう。

と同時に、本書の登場人物は、ほとんど全員が、深い悲しみを抱えているように見える。でも、「悲しむ時間がないというのは、人間存在のひとつの次元を失うこと」と登場人物の一人が述べるのが過去を回想しながらであるように(212ページ)、今という瞬間に束縛されざるをえない非常時――そもそも非常時とは、今のことしか考えられなくなる事態なのではないか――から時を隔てて初めて認識される感情というのもあるだろう。それは、幸せかどうかは別として、きわめて人間的で豊かな感情であるに違いない。

そして目を惹くことに、本書のなかで、色々な人を匿うへーファー家の父親や、当局から睨まれながらも医師として活動し続けたテレーゼの父親、そして現在の殺人事件を捜査する警察官カールといった、義を通そうとする人がおしなべて、物静かな人として描かれているのだ。本当の勇気には、大言壮語はおろか、威勢の良さなど、無縁なのだろう。

この点で思い起こされるのは、カナダの作家ジェニー・ウィテリック『ホロコーストを逃れて』(池田年穂訳、水声社、2014年)。これは、第二次大戦期、ドイツ支配下のガリツィア(現在のウクライナ西部)で、ユダヤ人ばかりか、ドイツの脱走兵をも自宅に匿った、女性の実話に基づいた小説。

娘のヘレナと二人で暮らす主人公のフランチシカは、自宅に彼らを匿っているにもかかわらず、ドイツ軍の指揮官を夕食に招待する。そうすることで、占領者たちの注意が自分に向かわないように図るのだ。そして、その様子を屋根裏から覗く脱走兵ヴィルハイムは、こう呟くのだった。

「僕は、いつでも、勇敢な人間というのは怖がらないものだと考えていた。フランチシカとヘレナに出遭って、僕は勇敢な人間も他のみんなと同じで怖がっているのだと分かる。勇敢な人間は、怖いにもかかわらずそのように振る舞うのだ。」(173ページ)

恐怖を超える落ち着き。それが恐らく、勇気と呼ばれるもの、あるいは少なくともその一面である。

だが、単なる偏見なのだが、本書は、ヨーロッパ大陸を舞台にしているにもかかわらず、ヤード法の度量衡が記されてしまうあたりに詰めの甘さを感じてしまい、率直なところ、第二次大戦期の東欧市民たちの目立たぬレジスタンスが、小説のネタとして単に「利用」されている感が拭えなかった。

虚構を通じて、過去の時代の雰囲気がそこはかとなく感じられるようになる経験はたびたびあるし、過去の出来事はいろいろな形で語り継がねばならないとしても、それでもやはり、困ったときのネタのように、戦争やナチが舞台に乗せられるというのは、「ホロコースト産業」を前にしたときのように、いささか食傷しかねない。そんななか、『沈黙を破る者』は、戦争を知る世代の父親がひた隠しにしてきた事柄にけりをつけるのも、事情を知らぬまま先行世代の過去に土足で立ち入ろうとして犠牲になるのも、どちらも、その子供の世代であるという点で、きわめて興味深い。まるで、過去については、語り続けよ、だが理解したとは思うな、という相反する命令が、過去を経験していない人々に対して下されているかのようなのだ。

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寄り添うこと、待つこと

・高橋源一郎『101年目の孤独』(岩波書店、2013年)

文学なるものが、賢い人たちのものになっているように見えるのはなぜだろう。なんだか息苦しいというか、堅苦しいというか。もちろん、現在では、話を聞いたり物語ったりするよりも、文字を書いたり読んだりすることを通じて作品に接することがほとんどだから、文字を読むことのできない人にとっては、文学は、残念ながら遠いものになってしまうのかもしれない。とはいえ……

私が高橋の作品を好きなのは、彼が、どのような言葉をもまずは受け取ってみるという姿勢において揺るがないからだ。たとえば、手洗いに飾る家もあるくらい人気なのに、あまり正面から取り上げられない相田みつをの詩を、きちんと読んでみるのだ(『国民のコトバ』毎日新聞社、2013年)。

本書は、そんな著者が、「みんなの心に冷たい風のようなものが吹いているような気がする」「ニッポンという国」で(viページ)、その周縁に位置づけられているかのような人々――絵を描く障害者や障害者の劇団、ホスピスの子供たちなど――に寄り添おうとした記録。そう、本書には、寄り添うという言葉がしっくりくる。

もっとも、たとえば、「脳性麻痺でまともにあるけずしゃべれない役者や、手や脚がなく、転がることしかできない役者たちが、テレビに出てきて、コメディをやり、コマーシャルで商品を宣伝する。それは、この資本主義の世界にミサイルを打ちこむようなものだろう。それは、原発がない世界よりも、もっとずっと遥かにすさまじく、新しい世界だろう。/そんな日がいつか来るのだろうか。わたしにはわからない。けれども、その世界に住む人びとは、いまよりもずっと幸せな気がするのである」という言葉などは(32ページ)、いささか楽観的にすぎるという気もする。

あくまでも寄り添うつもりの人からすれば、そのような場合、たしかに、幸せな驚きが生まれるのかもしれない。そういう人は、当事者から見て、「笑わせる」対象になったりもするだろう。

でも、同情するばかりの人や馬鹿にするだけの人など、寄り添う気のない人からすれば、そうした役者たちは、「笑われる」だけの状態に陥ってしまうのではないか、それでは単なるいじめになってしまうのではないか、と思うのだ。それに、彼らの日常は続いていくにもかかわらず、そのような彼らが資本主義の世界に取り込まれると、すぐに「消費」され、飽きられて――いわゆる「泣ける」対象に祭り上げられて――、直ちに忘れ去られてしまう懼れはあるまいか。とはいえ、「笑われる」状態から「笑わせる」状態が生じるかもしれないと考えると、「笑われる」ことを心配しすぎてもいけないのかもしれない。

ともあれ、著者は、社会のメインストリームからは退けられる「弱さ」なるものが、けっして「弱さ」などではないということを強調する。そしてこのことは、無反省に「弱者」だとか、「被抑圧者」といったレッテルを張ってしまう「善意」の人たちに対する警告でもあるだろう。つまり、「弱い」のは、おのれの弱さを忘れている「ふつう」の人としての「わたしたち」ではないのか、と。

「彼らの住む世界は、わたしたちの世界、「ふつう」の人びと、「健常者」と呼ばれる人びとの住む世界とは少し違う。彼らは、わたしたちとは、異なった論理で生きている。一見して「弱く」見える彼らは、わたしたちの庇護を必要としているように見える。
 だが、彼らの世界を歩いていて、わたしたちは突然、気づくのである。彼らがわたしたちを必要としているのではない、わたしたちが彼らを必要としているのではないか、ということに。
 彼ら「弱者」と呼ばれる人びとは、静かに、彼らを包む世界に耳をかたむけながら生きている。[…]ゆっくりと生きていると、目に入ってくるものがある。耳から聞こえてくるものがある。それらはすべて、わたしたち、「ふつう」の人たちが、見えなくなっているもの、聞こえなくなっているものだ。[…]彼らこそ、「生きている」のである。
 「文学」や「小説」もまた、目を凝らし、耳を澄まさなければ、ほんとうは、そこで何が起こっているのか、わからない世界なのだ。」(118ページ)

耳を澄ますこと、目を凝らすこと。著者はこうして、文学というものがこうした「「弱者」とよばれる人びと」に似ていることを指摘する。文学が遠くなったように感じるのは、私が見方と聴き方を忘れてしまったせいなのかもしれない。ここでは、鷲田清一による、「ことばが「注意」をもって聴き取られることが必要なのではない。「注意」をもって聴く耳があって、はじめてことばがうまれるのである」という指摘が思い浮かぶが(『「聴く」ことの力』、阪急コミュニケーションズ、1999年、163ページ)、実のところ、この高橋の文言と似たような言葉が、文学の対蹠点にいる医師の文章に読まれるかに見えるのは、別段、驚くべきことではないのかもしれない。

「障害新生児を授かるというのは誰にとっても耐えがたい不条理な苦痛である。しかしだからと言って、子どもを手放したり家庭を棄ててしまう親はほとんどいない。逃げることは叶わずその辛さに向き合わざるを得ない。長い時間をかけて、受け容れたり反発したりしながら、徐々に前へ進んでいく。医療関係者はそのことを知らなければならない。建前だけの倫理で家族を説得し従わせるのは実は倫理的ではない。時間はかかっても、両親はやがて新しい価値基準を構築し始めるはずだ。家族が悲哀の底から立ち上がるのを、待ち続ける根気を医師は持たなければならない。」(松永正訓『運命の子』小学館、2013年、218ページ)

これは、13トリソミーという重度の障害のある子供とその家族に寄り添いつつ(実際、本書では「寄り添う」という表現が多用されている)、生命倫理を考え続ける小児外科医の記録。いくつもの症例や家族に向き合ってきたうえで到達されたこの「待ち続ける」という境地は、目を凝らし、耳を澄ませるということにほかならないか、少なくとも、きわめて近いことのように思われる。

というのも、「おのずからという、そういう自生が起こるやもしれないひとつの「場」が生れるように、しかしあくまでそのためにではなくその意味が見えないままに日々くりかえされる小さな、丁寧すぎるくらいのふるまい、それらが折り重なるなかで、「場」の信頼感というものが醸成されてくる」のが、目的語をもたぬ「待つ」ということなのだとすれば(鷲田清一『「待つ」ということ』角川選書、2006年、191ページ)、まさに「私の中の曖昧な生命倫理観はいったん解体され」たことの帰結としての「待ち続ける」という松永の覚悟は(217ページ)、この意味での待機という構えに重なるからである。それは、世界に対する根源的な信頼にのみ裏付けられた、身を開くという姿勢なのだろう。

そして、障害児にかかわる物語と言えば、しばしば短い命の話が読まれるが、それとは反対に、生きるということに目を向けることで、医学的には「短命という宿運から逃れることはできない」(220ページ)であろう子供の来たるべき最期を、いっさい記すまいという著者の寄り添い方には、不可避の死から逆算せずに今の命を見据えるという点で、とても説得力がある。

このように見ると、トルストイやレーモン・クノーが言うような、幸福な家庭はどれも同じようなものだが不幸な家庭はそれぞれの形で不幸である、といった趣旨の言葉は、「それぞれの家庭にはそれぞれの形の幸福がある」というこの著者に倣って(207ページ)、やはり反転させたくなる。つまり、幸福にはそれぞれの形があるが、不幸には定型があるのだ、と。

ところで、高橋は『101年目の孤独』の冒頭で、日本の混んだ電車で誰からも席を譲られなかった妊婦が、フランス人らしき青年に席を譲られる、というエピソードを語っていた(viページ)。なるほど、個々のフランス人はおそらくはかなり親切なのだろうし、私の実体験からしても、強くそう思う。

しかしながら、フランスで言われる「人権」には、知的障害者は想定されていないようなのだ。いや、これは言い過ぎなのだが、それでも、フランスには、胎児の不治の重篤な疾患を理由とした堕胎を認める胎児条項があるし、従来より簡便かつ精緻な出生前診断の普及によって、産まれてくる染色体異常の子供が、フランスでは減少しているという。産科婦人科全国医師会の副会長が、21トリソミーの子を産むことは負担と考えるかとの問いに対して、「精神的にも、金銭的にも、とんでもない負担だと思います」と述べてしまう国である(坂井律子『いのちを選ぶ社会』NHK出版、2013年、92ページ)。もちろん、こうした流れに反対する勢力も存在しているが、過去には産まない権利を目指して女性運動が展開されてきたという経緯があるにせよ、ある種の「弱さ」のもつ豊かさに向き合う点では、フランス社会は貧相で可哀想なのかもしれないと思う。

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笑うことの無力と罪

・ティムール・ヴェルメシュ『帰ってきたヒトラー』(森内薫訳、河出書房新社、2014年)
・フィリップ・ロス『プロット・アゲンスト・アメリカ』(柴田元幸訳、集英社、2014年)

『帰ってきたヒトラー』は、タイトルの通り、自殺したはずのヒトラーがそのまま21世紀初頭のドイツで目を覚ます、という話。語り手がヒトラーということもあって、たいへん物議を醸したらしい。

その甦ったヒトラーは、事態が呑み込めないまま、当時の姿で振る舞うのだが、それが今日の人々にはコメディにしか見えない。実際、広場で目を覚ましたヒトラーに対して、サッカーをしていた少年たちが声をかける冒頭の場面など、両者のあまりの齟齬に、思わず吹き出してしまった。

「おそらく私は、助けを必要としているように見えたのだ。三人の少年は、それを正しく理解してくれた。さすがはヒトラーユーゲント。彼らはサッカーの試合を中断し、敬意を払いつつこちらに近づいてきた。当然だ。ドイツ帝国の総統が突然、手を伸ばせば届くほど近くに出現したのだ。[…]
 少年たちはやや距離をおいて私を取り囲み、私のことをじろじろと見た。その中からいちばん体の大きな、おそらくはこのグループのリーダーだろう少年が、私のほうを向いてこう言った。
 「だいじょうぶ? 大将」
 大将?
 まさかとは思ったが、だれひとりドイツ式敬礼を行わない。」(15‐16ページ)

文字通り息を吹き返したヒトラーは、自分が総統であることをいささかも疑わない。彼はしばらくして、自分の部下たちがいなくなったことを理解し、次第に現在のドイツの生活に馴染み、携帯電話さえ用いるようになるのだが、その信念は何一つ揺るがない。それどころか、ますます強固なものになる。そして彼の発言は、メディアを通じて、痛烈な皮肉として人々に面白がられ、消費され、体内化されていく。荒唐無稽な話に見えるのに、読み進めながらまるで違和感が生じないのは、細部が綿密に書き込まれているからだろう。

でも、だからこそ、そうして笑いながら読み進めるうちに、この話の舞台がほかならぬ現在であることを痛切に思い知らされる。そのとき、笑いは引き攣り、背筋が凍ってしまうのだ。急に現実に引き戻されるのは、本書を読んでいくと、たとえシニカルな冷笑でなくとも、ただ面白がって笑っているだけでは、何一つ事態の悪化を止められないではないかということに、否応なしに気づかされるからだ。

以前、歴史の激動にも毀されることのない人々の日常の逞しさを、戦時下のジョークを読んだときに感じたものだが、本書は、その日常そのものが異様なものに化けていくという事態を描いているだけに、なおさら恐ろしい。

状況の悪化を食い止めたいという善意から行動しながらも、気がついた時にはすでに手遅れで、いつの間にか、後戻りもできず、これまでの路線を先鋭化させていくよりほかないというのっぴきならぬ事態に陥っていた人々としては、先日再掲した第二次大戦期フランスの対独協力作家たちの姿がまずは思い浮かんだりもするが、そうした出口なしの状況の皺寄せは、誰よりもまず、社会の周縁で生きる人々に及ぶ。

そのことをまざまざと見せてくれるのが、『プロット・アゲンスト・アメリカ』だった。1940年のアメリカで、ローズベルトではなく、反ユダヤ主義者でナチから勲章をもらっていたパイロットのリンドバーグが大統領になっていたら、ロス家を髣髴させるアメリカのユダヤ人一家はどうなっていただろうか、という物語。

両親や兄、そして従兄と暮らす、10歳に満たない男の子の視点から描かれるのは、アメリカという国の自由の価値を信じて疑わず、自分たちではなくリンドバークこそ出ていくべきだと繰り返す父親や、その父親に同調しながら彼以上に芯の強さを見せる母親、「同化したユダヤ人」の成功例として出世を遂げようとする兄やその後援者となる叔母、ヨーロッパでの対ドイツ戦争に参加して負傷したのち、帰国後は同盟国に対して戦った「売国奴」と見なされてしまう従兄、そして自分の周りの子供たちや大人たちの姿である。

だが、それ以上に、そこに描かれる雰囲気が何とも生々しく、重苦しく、私は、読み終えた直後、すっかりその時代に浸かってしまったかのような感覚に捉われ、くたびれていた。登場人物たちは皆、日々を送るなかで、自分の判断に基づいて状況を打開しようとするのだが、真綿で首を絞められるかのように八方ふさがりの状況に追い詰められていく。それゆえ、ところどころに現れる書き手の省察は説得力に満ちている。

「[…]容赦ない不測の事態も、180度ねじってしまえば、私たち小中学生が教わるところの「歴史」に、無害な歴史になってしまう。そこにあっては、当時は予想もできなかったことすべてが、不可避の出来事としてページの上に並べられる。不測の事態の恐ろしさこそ、災いを叙事詩に変えることで歴史学が隠してしまうものなのだ」(155‐156ページ)。

これこそ、文学というもののの一面にほかならない。たとえば、ショアは600万人が虐殺されたという悲劇なのではなく、一つ一つのかけがえのない悲劇が同時期に600万回起こったということなのであり、そのことを忘れさせないのが文学なのだ。

ところで、大きな歴史の流れのなかで気がつかぬまま追い込まれてしまう人々と言えば、アハロン・アッペルフェルドの『バーデンハイム1939』(村岡崇光訳、みすず書房、1996年)などが思い浮かぶが、子供の視点ということで言えば、まずもって、ハンス・ペーター・リヒターの『あのころはフリードリヒがいた』(上田真而子役、岩波少年文庫)に思い至る。これまた、人々がいつの間にかどうにもならない事態に立ち至る過程が見事に描かれる作品だった。語り手の男の子「ぼく」は、ユダヤ人の友達が助けを求めに来た時、そして彼らを助けることが自分や両親の身を直接的な危険に晒すことになると知った時、「わからない、ぼくはどうすればいいのか」と「低い低い声で」無力を吐露するしかなくなってしまうのだった(193ページ)。

それにしても、陰鬱な空気になってきた。「嫌」だの「卑」だの禍々しい文字が書店に並び、「反日」や「売国奴」などといった猛々しい言葉が新聞広告に溢れている。これらは、自分の言葉に酔っていないとすれば、到底使えない言葉ではなかろうか。翻って、「愛国心」については、いつも、ジャン・ポーランの指摘が私の頭に浮かぶ。

「普遍理性的愛国者は感情的愛国者に非常な軽蔑を示す。彼は相手のことを狂人、排外主義者と呼ぶ。しかし感情的愛国者も相手に対して理性的愛国者におとらぬ軽蔑をいだいている。あいつは愛国者でないとまでいう。きわめて厄介なことは、それら両者のいずれもが、まったくまちがってはいないということである。
 というのは、いずれもそれぞれの仕方で母国を裏切っているからである」(『祖国は日夜つくられる』木場瀬卓三ほか訳、月曜書房、1951、14ページ。訳文を若干変更。拙訳『百フランのための殺人犯』書肆心水、2013年に引用)。

つまり、等身大のあるがままの祖国の姿を正面から見据えることが、どちらの陣営もできていない、というのである。ポーランは、対独協力者に対する粛清の嵐が吹き荒れる第二次大戦直後のフランスで、このような発言を繰り返したのだった。

ともあれ、子供にとって「容赦のない不測の事態」は、たしかに、大人にとっても「不測の事態」なのかもしれない。だがそれでも、大人はその皺寄せを子供たちに向けない義務があるようにも思う。そして、そうした事態のなかには、無関心や冷笑だけでは太刀打ちできなくなる局面というものもまた、あるのかもしれない。

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呪われた作家たち12

 1944年、ジャン・ジロドゥが逝去した際、ピエール・ドリュ・ラ・ロシェルは日記に、「ジロドゥ死去。これほどわたしに反感をもよおさせる性格と、腹立たしい状況認識の才人を、そういつも褒めたたえてきたわけではない。彼はわれらがフランス人、特に1920年から1940年のフランス人の典型だ。[…]口先だけの好戦家をボロクソに言った『トロイ戦争は起こらないだろう』を書いておきながら、『大権』を発表、プロパガンダ大臣に就任するという卑劣な改詠詩でとどめを刺した」と記して(『ドリュウ・ラ・ロシェル日記1939-1945』有田英也訳、メタローグ、痛烈にジロドゥの変わり身を批判した。

 ジロドゥは、対独協力作家ではない。しかし、文学でも政治でも彼の存在は大きく、大戦間期から第二次大戦中のフランスの文壇を知るには欠かせない人物である。
1882年生まれの彼は、1909年に『田舎の女たち』でデビュー。その後、外務官僚になり41年に退職するまで、作家であり外交官であった(この頃のフランスの外交官には、ポール・クローデルやポール・モランなどの作家がいた)。

 ドリュが揶揄しているように、たとえば、トロイのヘクトールとギリシアのユリシーズが何とか戦争を回避しようとする努力(結局は水泡に帰すのだが)を描いた『トロイ戦争は起こらないだろう』をはじめとして、第二次大戦以前にジロドゥの描いた著作には、仏独協調の夢がしばしば読み取られる。


 ユーモアを放つ気取った、まさにprécieuxな文体を駆使したジロドゥだが、
30年代に発表した文章を集めた『大権』では、同化政策を担当する「人種省」の設立を唱え、今日から見れば驚くべき次のような文章を発表していた。「この国は軍事境界線だけでは一時的にしか救われまい。国が完全に救われうるのはフランス人種によってでしかなく、私たちは、一つの政策は人種的であるときに初めて優れた形をとると言明するヒトラーにまったく賛成である。なぜならそれはまた、コルベールやリシュリューの考えでもあったのだから」(Jean Giraudoux, De Pleins pouvoirs à Sans pouvoirs, Julliard

 なるほど、これは官僚の視点で人口の増減について論じたものであるし、当時の
raceという言葉も「人民」というほどの意味合いだったとは言える。だが、ナチスを逃れてライン川以東から多くのユダヤ人が移住してきた当時のフランスでは、ナチスを警戒するジロドゥのような人からもこのような発言がなされていたのであり、少なくともこの点で彼は、「フランス人の典型」として、頽廃した純然たる祖国を再建すべしという社会の雰囲気を象徴していたのだ。

 そして、戦争が不可避だと予想された
19397月、フランス政府は、国防の観点から、ゲッベルスが宣伝相を務めるドイツに対抗すべく、プロパガンダと検閲を任務とする情報局の総裁にジロドゥを任命する。彼は粛々とこの新たな任務を引き受け、仏独間で交戦が起こらなかった「奇妙な戦争」の間、共産主義者の書物などを禁じ、総動員についてラジオで国民に語りかけ、ドイツではなくヒトラーに対する戦争なのだとアメリカに向けて訴えた。

 
1940年夏、フランスの敗北に及んで総裁を辞したジロドゥは、ペタンに信頼を寄せはしたが、41年初めに政府から退職勧告される。そして「ドイツおよび仏独協働や新生ヨーロッパ、反ボルシェヴィキ戦線やその他のあらゆる対独協力的なテーマについては、ただの一行も記さなかった」(Jacques Body, Jean Giraudoux, Gallimard

 しかし彼は、
41年刊の評論集『文学』の序文において「フランスの詩人や作家、哲学者たちが考えてきたようなフランスの運命は、人類がその普遍的な運命に抗して見出した、もっとも精妙な拠り所なのである」と記してフランス文化の誇りを守ろうとし(Jean Giraudoux, Littératures, Gallimard、実際に二つの戯曲を発表する傍ら、検閲官ゲルハルト・ヘラーには、自分は英米に対する仏独の友好を信じると述べたのだった。

 そんななか、
19441月末、唐突な死がジロドゥを襲う。その死はあまりに突然だったため、当時はドイツ側による毒殺ではないかとの噂が流れたほどだ。葬儀には、大使や高級官僚、そしてヘラーのほかに、ガストン・ガリマール、ジャン・ポーラン、マルセル・ジュアンドー、ジョルジュ・シュアレス、ジャン・コクトーら、パリに留まっていた文学界の名士たちが参列した。

 彼の死去から半年後、パリは連合軍によって解放。ジロドゥの衒いを嫌っていたドリュもまた、
45年、自害してこの世を去った。一方、すでにアルベール・カミュの『異邦人』が42年に、ジャン=ポール・サルトルの『存在と無』は43年に、それぞれ刊行されていた。こうして、一つの時代が終わった。そして、禍々しき熱狂に満ちた粛清を経て、「抹殺すべき四年間」を封印しながら、フランス文学は新たな幕を上げるのだった。 

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 第二次大戦期のフランス文学をめぐる過去の連載の転載は今回をもって終わるけれど、一つの時代、それも思い出したくもない時代にどうけりをつけるのか、という問いは、どの国においても、もちろん日本においても、そもそもそれが問いとして認識されるのかどうかという点まで含めて、どうしても現在の問題として浮上してくるのだろう。フランスでは、第二次大戦期について はかなり抑圧が緩んできたような気がするが、アルジェリア戦争(とりわけharkiや拷問など)については、まだタブー視されているような印象がある。

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呪われた作家たち11

 「アルバンは意気揚々たるものがあった。彼は在校中も、希臘羅馬の精神を受けついで、婦女軽蔑を矜りとしていた」(アンリ・ド・モンテルラン『闘牛士』堀口大學訳、新潮文庫。フランス人青年がスペインで闘牛士として成長していく『闘牛士』には、このような言葉が読まれる。その作者、アンリ・ド・モンテルランは、1920年のデビュー時から、当時のフランス文学の一つの傾向だった感傷への傾向を厳しく批判し、雄々しさを追い求めていた。

 実際、彼の著作にはしばしば、激しい女性蔑視に加えて、行動と克己心の称揚が見られ、『闘牛士』では「愛の身振りにも増して美しく、闘牛士が牛を捌いて荒くれた観衆を感激させ、その眼に涙をさえ浮かばせるこの素晴らしい身振りが、そこに醸し出すものは、もはや闘いではなかった。それは一種宗教的な呪禁のようなものになっていた」と記されているように、牛と闘牛士との命がけの対決が、英雄的で崇高なものとして描かれている。


 モンテルランは、
1896年パリに生まれた。彼は、出征に反対していた母の逝去後に、第一次大戦に従軍している。従軍後に断固たる平和主義者となったジャン・ジオノに対して、モンテルランは戦闘の力強さを称揚するが、二人とも、第一次大戦を前線で戦った世代、すなわち「四世紀にわたる西洋の哲学的楽天主義を形成した古来の信念を完全に削ぎ落とされた最初の世代」に属している(Henri Godard, Une grande generation, Gallimard

 従軍経験から、モンテルランは、戦争を古代の戦闘やスポーツになぞらえて力強さを称えるようになるのだが、それは、「私には、空無の大海の上に身を支えるのに、おのれについて自分の抱いている考えしかない」と述べられるように(
Henry de Montherlant, Service inutile, in Essais, Gallimard, col. Pléiade、深い虚無感に裏打ちされているがゆえに、倨傲にも見えるほど個人的な姿勢に留まったかに思われる。

 そのようなモンテルランが、パリ解放後に全国作家委員会(
CNE)の「望ましからぬ作家のリスト」に名を連ねたのは、406月の休戦を示す題名の論集『夏至』を1941年に刊行したからである。1938年刊の著作『秋分』は、ミュンヘン会談以降のフランスの弱腰に対する批判を含む書物だったが、『夏至』は、「1940年のフランス人に見出される凡庸さに満ちた空気に対する嫌悪感」に突き動かされて書かれた文章を集めたものだった(Paul Sérant, Dictionnaire des écrivains français sous l’Occupation, Grancher

 「いったいどれほど以前から、フランスは、力というものに対する憎しみと軽蔑に浸ってきたのだろうか」というフランスへの筆鋒鋭い批判はしかし、彼をレジスタンスに駆り立てることはなく、ヴィシーへの賛意に向かわせたのである。彼は、芋虫の群れに小便を掛けて苦しめながらも助けてやったことを誇りつつ、「この遊びについて述べたのは、[…]それが戦争の働きに似ていないわけではないと思われるからだ」と説明しているが、これなど、当時のフランスの読者にとっては、敗者である自分たちは勝者であるドイツ人の寛容さを頼るしかあるまい、との主張にほかならなかった(
Henry de Montherlant, L’éxinoxe de septembre suivi de Le solstice de juin et de Mémoire, Gallimard

 だが、『夏至』で示されたフランスへの苛立ちと来るべき雄々しさは、モンテルランにあっては、ファシズムに向かうこともまたなかった。というのも、日本の武士道を参照するモンテルランは、「[英雄精神にかんする]自分の考えを要約すれば、集団に加わることが日に日に理にかなったことになるような社会において、断固として一人で在り続けること、となる」と述べ、あくまでも独立していることを重視するからだ。

 そして彼は、意外なことに、以前から作家は政治にかかわるべきではないと考えていたが、『夏至』においても、「数か月来、時事的事柄にあまりにうつつを抜かしてきた作家たちに対して、私は、彼らの作品のうち時事的事柄にかかわる部分がすっかり忘れ去られるだろうと予言しておく。ある貝殻を耳に当てると海の音が聞こえるのと同じように、今日の新聞や雑誌を開けば、私はそこに未来の人々の無関心が広がるのを耳にするのだ」と記している(
Ibid.。しかしながら、彼の思惑とは異なり、これらの時事的な文章は、当初ドイツ側の検閲に引っ掛かって公にできなかったにもかかわらず、刊行された後はCNEによって政治的に判断されることになった。

 こうしてモンテルランは
194610月に処分を受けることになるのだが、それは、4410月から一年間の出版禁止という、遡及的できわめて形式的なものだった。確かにモンテルランは、ゲルハルト・ヘラーからワイマール旅行に誘われるも断っていたし、大戦中、『夏至』を除いてはもっぱら、ポルトガル王家の悲劇『死せる王妃』など、さほど政治色を感じさせない戯曲を発表していた。

 彼は、「
1940年から44年にかけて、身の安全や安心感や平穏さの必要から、いっさい行動というものを顧慮しなかった一人の反抗者として振舞った」わけである(Pierre Sipriot, Montherlant sans masque, Livre de poche。言うなれば、彼の雄々しさは、勇敢という周囲の評判とは異なって、きわめて私的なものだったのだ。だからこそ彼は、高名さにそぐわず、周りが彼の作品から彼自身に対して抱いていた期待を裏切ったことにもなるのだが、またそれゆえに、ミュンヘン会談の直後には戦争の危機を感じて東部の国境地帯に馳せ参じながらも、占領中には行動することもファシズムに心から傾倒することもなかったのである。

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