ルポルタージュと文学研究

・麻生晴一郎 『反日、暴動、バブル――新聞・テレビが報じない中国』(光文社新書)

本書は、1980年代後半から、中国に長期滞在したり、頻繁に中国を訪れている著者による最新作。中国に最初に長期滞在することになった時の様子は、以前読んだ『こころ熱く武骨でうざったい中国』(情報センター出版局)に記されている。

本書では、まだ記憶に新しい2004年頃の中国における反日デモから、政府を「假的(嘘)」と捉えてそこから逃れようとする近年の民間の台頭、あるいは、地方において今日こそ人々に求められつつある、政府とは異なった公共意識としての社会主義や、さらには、強い愛国心に基づきながらも政府とは対立する民間の動きまで、現代中国社会のさまざまな側面が描かれ、分析されている。とはいうものの、本書は、中国という国の大枠に沿って観察されたものではない。

というのも、本書はある種の危機意識に基づいて書かれているようなのだ。冒頭で著者は次のように記している。

「はたして中国は「中国」のままなのだろうか? そうではなく、新しい文化や人の台頭は「中国」そのものを変えつつあるのではないのか?[…]一連の抵抗運動の主体である市民たちの声に耳を傾け、彼らの問題意識に重ね合わせるような内的な理解をしていかなくては、日中の往来や情報が飛躍的に増大してもいっこうに壁は消えず、さらには今後またいつ起こるかわからない「反日」で、あのうろたえぶりが繰り返されるに違いない。」(8ページ)

それゆえ、ここで描かれるのは皆、中国の普通の人々である。著者は何度も中国を訪れては人々の中に入っていき、場合によっては、時を隔てて何度も会いに行く。だが、「普通の人」とは誰か? 本書に出てくるのは、弁護士やロック歌手の若者、フェミニスト活動家や作家など、実にさまざまだ。とはいえ、職業や立場、年齢や思想は異なれど、登場人物に共通しているのは、「中国共産党が代表できないような人々」だという点である(40ページ)。

そうしたしぶとい取材から見えてくるのは、たとえば、「直接の戦争被害者の声は、当時も新中国になってからも、そして現代の「反日」の際も、全くと言っていいほど届かない」という事態である(90ページ)。

本書はこうして、整理しやすい大局でもなく、かつまったくの個人的な事柄でもない、そうしたところにある「現実」をなんとか汲み取って、それを説明しようとする姿勢を貫いている。もちろんそれは細部を拾い集める作業であり、中国に対して俯瞰的な視点をもたらしてくれるものではない。けれども、そこに浮かび上がってくるのは、彼らの存在や活動が、「一部分には違いないが、一部分にすぎないのではなくて、一部分でありうるということなのではないか」、と著者は言う(187ページ)。まさに、「一部分だとしても存在し、知られることを欲しているのであれば、それを記す意義は存在するはずだ」という点に(169ページ)、本書の倫理とでもいうものが(そんな大げさなものではないかもしれないが)、存しているように思われる。

そして、この視点に立った時、翻ってみると、中国共産党という存在が別の相貌を見せ始め、中国という国の別の理解の仕方が明らかになってくる。

「政府である党は国家秩序そのものではなく、国家の中にさまざまな民間が行動主体として存在する中で、最も勢力の大きい最大の行動主体であるととらえることができよう。[…]実際には、一方ではきわめて自由主義的な、他方ではきわめて愛国主義的な、またそれらとは別に政治に無関心な、さまざまな民間が台頭し、とは言えそれらは中国という大国でみればどれ一つとして多数派ではなく、とは言え固まれば少数派でもなく、そうしたたくさんの行動主体の中の最大多数の存在として党があり、その党がさまざまな民間の台頭の中で、いかに自らの位置を守るか模索しているととらえるべきではないのだろうか。」(228‐229ページ)

政治学的な分析から見て、こうした分析が妥当なのかどうかは私にはとても分からないが、それでも、この分析に「実感」というものが重くのし掛っているということはよく感じられるし、また、理解できるがゆえに説得力がある。そしてこの、実感といったものは、やはり軽視できないのではないかと思うのだ。

本書のような足取りは、取材というものには縁遠く、もっぱら印刷物を相手にする文学研究、しかも対象は中国文学ではまったくないものを研究している私にとって、図らずも、とても勇気づけられるものだった。たとえば、この4月から『ふらんす』という雑誌に連載させていただいているテーマ、「対独協力作家」について考えるときにはとりわけ、個という視点から大局を眺めるという姿勢が欠かせないように思われるのだ。

対独協力作家のリュシアン・ルバテは、同じく対独協力の廉で裁かれる「アクシオン・フランセーズ」一派に対して、戦争中に罵詈雑言を浴びせるが、これなど、「対独協力作家」がけっして一枚岩ではなく、相互に激しく憎悪していた場合さえあることを示している。あるいは、1943年の段階で、そのナチ礼賛ぶりに、ドイツ軍の検閲官であるゲルハルト・ヘラー(彼はフランスびいきではあった)から刊行を控えるよう助言される原稿を書いたジャック・シャルドンヌは、政治的に自分から程遠い作家レイモン・ゲランを、自らのコネクションを用いて捕虜収容所から釈放させている。そして、自由の身になったゲランは彼に対して、「あなたにお礼を申し上げたい。しかしドイツ人に対するあなたの態度は忘れるわけにはいかない」と述べたという(Ginette Guitard-Auviste, Jacques Chardonne, Albin Michel, 2000, p.224)。いつの時代の現実も、後世から見れば複雑怪奇なものかもしれないが、それにしても、現実というものはとても複雑怪奇である。

いや、複雑なのは現実だけではあるまい。1930年代から40年代にかけて「火の十字団(Crois de feu)」を率いたラ・ロック中佐が、中道左派政党へと自分の集団を発展させたにもかかわらず、なぜ現在はフランス・ファシズムの権化として扱われているのか、という謎に迫った『記憶の中のファシズム』(剣持久木、講談社、2008)などを読むと、「記憶」もまた一筋縄ではいかないことが分かる。そういうとき、私には、麻生の中国への向き合い方がとても参考になるのだった。

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驚くことの驚き

・吉岡洋、岡田暁生編『文学・芸術は何のためにあるのか?』(東進堂、2009)

本書は、これまで5年度にわたって行なわれてきた人社プロジェクトの成果。私がお世話になってきた研究プロジェクトLACの成果の一部でもある。本書は、そのタイトルとは裏腹に「文学・芸術は何のためにあるのか?」という問いには答えを出していない。「まえがき」で、編者の一人である吉岡は次のように記している。

「文学・芸術は何のためにあるのか? それは、お金では解決できず、技術革新によっては克服できず、「抗うつ剤」を飲んでも直らない[ママ]、人間にとって根本的な問題を引き受けるためにある。その問題とは、最終的には、「この生に(あるいはこの世界に)意味はあるのか?」という<問い>の形で表現できるだろう。[…]
 文学や芸術は、この<問い>を引き受ける。だが、「引き受ける」のであって「答える」のではない」(iページ)

昨今は、何かにつけ、「目に見える形での効果」が求められるように感ぜられる。けれども、「それは何の役に立つのか」という一見有無を言わせぬ問いを立てる際には、そこにいくつかの盲点があるということを忘れてはならないと思う。

それはまず、効率性を求めるかのようなこの問いそのものが、実のところ、きわめて非効率的な答えを前提しているのではないか、という点である。というのも、あらゆるものは、あらゆることのために存在しているからだ。私など、「それは何のためにあるのか」と訊かれたら、だいたいの場合、「そんなもの、文脈や状況次第である」と答えたくなる。たとえば、金槌はなるほど、釘を打つためにあるわけだけれど、瓶の固いふたを開けるのに用いたり、重りになったり、緊急時にガラスを割ったり武器になったりすることもなく、もっぱら釘を打つことしかできない金槌など、そんな非効率的なもの、いったい「何の役に立つ」のだろう。

それに、「それは何の役に立つのか」という問いには、どうしても歴史的ないし長期的視点が欠けてしまう様に思われる。昔は役に立っていた、あるいは、いつか役に立つかもしれないといった答えを、この問いは許さないからだ。

ここでふと、ジャン・ポーランの引いているこんな話が思い出される(以下は私の戯訳)。

「警察は、エドゥアール・ジャリの殺害犯を捜索して半年、何の手がかりも得られなかったが、ひょんなことから犯人の足がついた。ある日、通りを歩いていた一人の男が、突然走り始め、一軒の家に飛び込み、管理人を突き飛ばして階段を駆け上がり、屋上に逃げて行った。誰もが呆気にとられてしまったが、警報装置が鳴らされた。警察が現場に到着、その男は6時間後に女中部屋にて発見された。彼は、自分が殺人犯であり司直に追われていることをすらすらと告白した。――ではなぜ、その日、彼は走り出したのか。それは、彼が、自分の方に一人の警官が走り寄ってくるのを見たからである。そこで調べてみると、彼に走り寄ったというその警官は、良きパパであり、家に急いで帰るためバスに乗り遅れまいと走っていただけだと判明した。」(Jean Paulhan, Entretien sur des faits divers, Gallimard, 1945, p.28-29)

しごく当たり前のことなのだが、警官が警官であるときもあれば、パパであるときもあり、さらには息子であるときもあるのと同様に、一つの事柄が一面的な役割しかもたないなどということはありえまい。以前にも思ったことだが、何かの価値を判断するのに、基準が一つしかないのは、とても貧しいことだ(現代ではそれはさしずめ金銭ということになろうが、このことは別に、金銭が無用ということを意味しない)。

そういうわけで、本書のタイトルはとても挑発的に響く。本書の末尾に収められた鼎談の冒頭で、吉岡は次のように説明している。

「「文学・芸術は何のためにあるのか?」これは一見ストレートな問いに見えるけれど、実はきわめてトリッキーな問いであると思います。かつては、こんなことは問うまでもなく、文学や芸術の存在意義は自明だったようにも思える。この問いがアナクロニズムに思えるというのは、現在の文化状況のなかで、もしこうした問いを発したとすると、それは深遠な哲学的議論を期待するものではなくて、なんというか、そうした活動にお金を使う理由、つまり文学・芸術の「費用対効果」を訊いているように響くからです。いわば、この「問い」自体の意味が掘り崩されてしまったような世界にわれわれは生きているということです。だから、そうした二重の意味をこめて、あえてこういうタイトルをつけてみたのです。」(204ページ)

この鼎談はすこぶる面白く、刺激的である。何せ、吉岡自身、「文学、芸術にかかわっている人たちが、そういう問いに対して「はいはい、こんなふうに役立っていますよ」とか、軽々しく言っちゃだめだと思います」と断言しているのだから(231ページ)。

私が思わず噴き出しながらも納得したのは、鼎談のなかの以下のようなやり取り。

吉岡 「この世界にはあなたは一人しかいない」みたいなことを、子どものころから親にも言われ、学校でも言われ、社会に出ても言われ続け、ポップスでも歌われた日にゃ、そりゃ「透明な存在」になるよ。誰だって。[…]
三輪(眞弘) そりゃそうですね。
吉岡 花屋の店先に並ぶ花はみんな同じようにきれいなんだと言うけれど、そもそも花屋の店先に並んでしまったこと自体、決定的に間違ってるんだよ。(214ページ)

「何のためにあるのか」という質問の土台をずらすこと。それは少なくとも、価値基準など一つではありえない、そうあってはならない、ということを示す振る舞いである。そうした振る舞いがもたらすのは、何よりも、「驚き」である。しかし、そうして驚くことが抑圧されつつあるのではないか、と吉岡は危惧している。

「無知であったり、勘違いしたり、空気が読めなかったり、そういうことが許されないのは、つらいことだと思う。どこか愚鈍なところがないと、文学・芸術はだめだと思うんです。「そんなことももちろん知ってるけど」という所から話を始めてはいけない。」(221ページ)

思わず嘆息してしまう箇所である。以前にも読んだが、蓮実重彦が、はびこる「凡庸さ」を打ち破る「愚鈍さ」を主張したのは、もう20年以上も前のことだ。実はそれからというもの、「愚鈍さ」ではなく、賢さという「凡庸さ」が幅を利かせてきたかにも思われる。でも、自分の無知を悟る羞恥心に裏打ちされた驚きは、したり顔の頷きなどよりも、はるかに意想外の豊かな可能性を示すものなのだろう。

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13歳という年齢

・ウラジーミル・ナボコフ『ナボコフ自伝』(大津栄一郎訳、晶文社、1979)

とある研究会のために読んでみた。1899年生まれのナボコフは、ペテルブルグの名門貴族の出だが、ロシア革命によってイギリス、そしてドイツへと渡り、最終的にアメリカに亡命した。英語に堪能だった彼だが、イギリスに移った際には、「ロシアから救い出してきた唯一の財産――ロシア語――を外国語の影響で忘れたり、損なったりしないかという心配は本当に病的なほどだった」と述べている(215ページ)。沼野充義は、ナボコフは結局どの国の作家だろうかという問いを立てて、その背景に触れながら、「それとも、ナボコフは作家、それだけでいいのかも知れない。スイスのモントルー郊外にある彼の墓には、フランス語でただ一言、”ecrivain”(作家)と刻まれているだけで、国名も、いかなる形容詞も添えられていないという」と記している(『徹夜の塊 亡命文学論』作品社、2002、113ページ)。

本書は、アメリカに移住するまでの生活を、「記憶よ、語れ」という副題が示しているように、つれづれかつ繊細に、美しく描いている。「これまでも私はこの人生の前後にひろがっている、個人的なものの入り込む余地のない闇のなかに、なにか個人的なものがかすかにでも見えはしないかと精神をふるいたたせて努力してきた」と記すナボコフは(10ページ)、しかし、記憶の儚さをではなく、語られることで大切な記憶が自分のなかでぼやけてしまいかねないことへの惧れを吐露している。

「かねがね大事にしてきた想い出を、たとえば、小説のなかの人物に与えたりすると、突然人工の世界にほおりこまれる[ママ]ためか、それがだんだん衰弱して影のうすい存在になってしまうということは、なんども経験している。想い出が心のなかから消えてしまうわけではないが、それが個人的な暖かみや過去に誘いこむ引力を失ってしまうのだ。そしてやがて私のものというより小説のものになってしまう――それまでは芸術家など近よれないように大事にしまってきたのに。」(70ページ)

語らないことで守られる貴重な思い出、とはいえ、語らないことには残らない。こうして、本書に読まれるのは、波乱の人生というよりは、幼少時代のかけがえのない幸福な生活である。蝶の採集に没頭したり、多くの家庭教師を子供の目線から観察したりする日々や、女の子との出会いや文学への目覚めなど、そのあまりにも幸せに見える子供時代は、過去を回顧する姿勢によって描かれるというよりは、まざまざと眼前に蘇るかのように記される。ナボコフは本書で繰り返し、時間の流れを信じないと述べている。しかし、時間の流れに逆らうのは、幻想的にも思われる文章(とはいえ幻想的ではなく繊細なのだろうが)とは裏腹に、夢のなかでは可能とならないという。

「死んだ人たちに夢のなかで会うと、快活だった生前とは打って変わって、いつも黙ったまま、迷惑そうに、奇妙に憂鬱そうにしている。私にしても、彼らが生前に来たことがないようなところで、たとえば、彼らが知り合わないで終った私の友人の家などで、なんの奇異の念もいだかずに彼らに会っていたりする。彼らは死が恥しいことのように、恥しい一族の秘密かなにかのように、ひとり離れて床をにらんで坐っている。生きている人間が生命の領域のかなたをのぞけるかもしれないのは、そんなときでは――そんな夢のなかでは――ない。」(39ページ)

そうではなく、忘我のような恍惚感をもたらす真空状態のなかにおいて、一瞬のうちにすべてが吸収されるのである。

「率直に告白するが、私は時間の存在を信じるものではない。私は魔法の絨毯は、使った後、ひとつの絵が他の絵と重なり合うようにたたんで置きたいのだ。来客がそのためつまづいても仕方がない。そして私が時間非存在性をもっとも楽しむのは――でたらめに選んだどんな風景のなかにあっても――珍種の蝶とその食樹に囲まれているときなのだ。そこにこそ恍惚境がある。そしてその恍惚感の背後には説明しがたいなにかが隠れている。それは私が愛する一切のものを吸収してしまう一瞬の真空状態のようなものである。」(107ページ)

そしてその瞬間を見極めるのは、友人の言葉を借りて、詩人と呼ばれるかのようだ。

「ずっと後になってのことだが、哲学者の友人はよくこう言ったものだった。科学者は宇宙のある一点で起きる一切のことを見きわめようとするが、詩人は時間のある一点で起きる一切のことを感じとろうとするのだと。」(173ページ)

それゆえ、本書は、直線的に過去が語られるのではなく、それぞれのエピソードが積み重ねられて展開していく。もちろん、本書には、「運命の激変は大打撃だった――なかったなら、どんなにか幸福だったにちがいない」などと記されてはいるが(203ページ)、たとえば、ポレンカという少女と知り合い、性を意識し始めた13歳の頃について、次のように記すナボコフは、やはりとても幸せな少年時代の描写ではないか。

「私と彼女が13の年の6月のある日のこと、私はオレデジ川の川岸でいわゆるうすばしろちょうを――正確にはパルナシウス・ムネモシネ種を――[…]採集しようとしていた。夢中になって探し回り、そのあげく、乳白色のやまさくらんぼや黒っぽいはんのきが密生した低いやぶを作っているところに迷いこみ、気がついてみるとすぐ前が冷たい青い川になっていた。急に近くから人の叫び声と水のはねる音がわっと聞こえてきた。そのとき、芳しい香気を放っているやぶの後ろから、ポレンカと3、4人の子供たちが数フィート離れた壊れた古い更衣小屋から出てきて素っ裸で水浴びしているのを見たのだった。」(166ページ)

というのも、同じように思春期を迎える少年を観察しているものの、たとえば、時代も地域も違う別の作家の自伝的物語、しかも同じようにエピソードを時系列に並べるのではなく現在の視点を織り交ぜつつ積み重ねる形で記された、13歳の頃の描写とは、かけ離れたもののように思われたからである。

「なにかが変わっていく。四六時中、自分が戸惑っているような気がする。視線をどこにやればいいのか、両手はどうすればいいのか、体をどう構えればいいのか、顔にどんな表情を浮かべればいいのか、わからない。だれもが自分を凝視し、採点し、自分が欲情しているのを見抜いている。甲羅から引っ張りだされた蟹のような気分だ。ピンクの、傷だらけの卑猥な蟹。
「かつてはいろんなことを思いついた。行きたい場所、話したいこと、やりたいことがたくさんあった。[…]内側からあふれ出るように感じられたエネルギーはもうない。13歳という年齢で、無愛想に顔を顰めて暗くしている。この新しい、醜い自分が好きになれず、そこから引っ張りだしてほしいと思うが、独力ではどうすることもできない。でもいったいだれが、自分のためにそんなことをしてくれるというのだ。」(203-204ページ)

これはJ.M.クッツェーの『少年時代』の一節(くぼたのぞみ訳、みすず書房、1999)。1940年に南アフリカのケープタウンに、アフリカーナーの血を4分の3もって生まれたクッツェーのこの物語は、家族や学校、および自分自身に対する少年の敵意や悪意、そして残酷さに満ちている。しかもクッツェーは、三人称で本書を記しているのだ。何という距離感か。けれども、そうであるがゆえにいっそう、10代初めの少年という存在の一面が抉出されているように思われる。それは、外の世界に飛び出すことを欲しながらも、いつもじりじりと自己反省している存在なのだ。

「母親の見張るような警戒心から逃げだせたらどんなにいいだろうと思う。そんな時がやってくるかもしれないが、それを成し遂げるには、自己主張をしてひどく暴力的に母親を拒絶しなければならないから、その衝撃で母親は後退り、彼をつかんでいた手を放すことになる。その子はその瞬間ばかり考えてしまい、母親の驚いた顔を思い浮かべ、彼女が傷つくのを感じて、一気に押し寄せる罪の意識に苛まれる。そうなると、そのショックを和らげるためにはどんなことでもする気になり、彼女の傷ついた心を慰め、自分はどこへも行かないと約束することになるのだ。」(164ページ)

それにしても、まったく対照的なナボコフとクッツェーの自伝的物語ではあるが、とても細かい点で一致しているのが何とも興味深い。二人とも、列車に興味をもっているのである。クッツェーは皮肉交じりに、こう記す。

「その子は自分が、たぶん教師になるだろうと思っている。大人になったらそうなふうに[ママ]暮らすのだろう。まあ退屈な人生だろうが、ほかにどんな生き方があるというのだ。長いあいだ汽車の運転士になろうと思っていた。「大人になったらなんになるの」と伯父や伯母によくきかれた。「汽車の運転士!」と大声で答えると、みんなうなずいてにっこり笑ったものだ。いまはもうわかっている。この「汽車の運転士」が、小さな男の子ならだれもが期待する答えだということを。」(42ページ)

それに対して、ナボコフは、フロイトに猛然と抗議しながら、「男の子が車輪のついたものに、とくに汽車に、見せる情熱の烈しさを、人類誕生の昔にからませて考えるのはなかなか意味深いことかもしれない」と書き(248ページ)、彼自身、夜行列車に乗った時のことをこう述べている。

「自分を寝つかせるときは、自分が機関車の運転手になったつもりになりさえすればよかった。」(112ページ)

私もまた列車が好きだったが(今でも嫌いではない)、それはもちろん、自分が彼らと同じであることを意味しはしないけれど、ナボコフやクッツェーという大作家もまた、鉄道に興味を示した時期があるというのは、それぞれの書物に描かれた激動を抜きにして、何だか微笑ましい。

そういえば、以前読んだ本のなかで、野崎歓は、男の幼児には「電車段階」がある、と述べていた。これはいったい何なのか(心理学などでは解明されているのだろうか)。ともあれ、この現象は、線路のあるところに育つ男児にとっては世界共通のものなのかもしれない(いや、ひょっとすると、鉄道のない地域に育つ男児にも見られるかもしれない)。

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本を救う人の物語

・ボフミル・フラバル 『あまりにも騒がしい孤独』(石川達夫訳、松籟社、2008)

本書は、チェコの作家フラバルの代表作だという。恥ずかしながら、チェコの現代作家といえば、ミラン・クンデラくらいしか思いつかず(もっとも、クンデラはチェコ出身のフランス語作家というべきか)、むかし何冊か読んでみたものの、『冗談』のほかは(それほど読んだわけではないが)さほどしっくりこなかった記憶がある。そんななか、フラバルという作家を私は本書で初めて知った。

本書は、地下室での故紙処理に35年間従事してきた孤独な男の悲喜劇が、飛躍に次ぐ飛躍を行なう夢うつつの一人称で語られている物語。主人公であるハニチャは、潰すべき種々の故紙に紛れ込んだいろいろな本を勝手に救い上げ、そのことに誇りを抱き、生きがいを感じている。

「しかも、世界でただ一人僕だけが、それぞれの紙塊の心臓部に、こっちにはページを開いた『ファウスト』、あっちには『ドン・カルロス』が入っていること、こっちには『ヒュペーリオン』が血にまみれた気味の悪い蓋紙に包まれていること、あっちにはセメント袋の紙塊の中に『ツァラトゥストラはかく語りき』が眠っていることを知っている。世界でただ一人僕だけが、どの紙塊の中に小さな墓の中のようにゲーテとシラーが横たわっているか、どこにヘルダーリン、どこにニーチェが横たわっているかを知っている。僕だけが、自分で自分にとって、ある意味で芸術家であると同時に観客でもある。」(13ページ)

このような、自分だけの世界を作ることの幸福感はとてもよく分かる。自分一人で行なう読書とは、「心ならず教養」(48ページほか随所で繰り返される表現)に飛び込んでいって自分の世界を創り上げる幸福である。だから、自分のひそかに偏愛する作家について、他の人が思いもかけず語っているのを聞くと、とても嬉しい反面、何だか自分の大切な世界にずかずかと入って来られたかのような疎外感を味わったりすることもある。それでいながら、私などは、自分の世界を他の人に知ってもらいたいとも思うのだから、都合のいい話ではある。とはいえ、開き直りではないが、研究というのは、そもそもそういう類のものだとも思われる。

ところで、ハニチャは、言ってみれば、本を墓場の手前から釣り出しているわけで、本を潰すことになるとき、彼は、まるで生き物を潰すように感じているかに見える。

「そして僕は赤いボタンで、血に濡れたプレスの壁を後退させて、圧縮室の空いた空間に、血痕のついた箱や、血や肉の臭いが滲み込んだ包み紙を、両手で次々と投げ込んだ。僕はもう少し力を振り絞って、フリードリッヒ・ニーチェの本をめくり、リヒャルト・ワーグナーと星の友情を結んだことについて書いてあるページを見つけ、子供を湯船に入れるように、その本を圧縮室に沈めた。それから、嵐の中のしだれ柳の枝みたいに、僕の顔を叩いている青と緑の蝿の群れを、両手で素早く顔から追い払った。」(50‐51ページ)

ところがあるとき、より効率的な処理システムが登場し、ハニチャの仕事は「社会主義労働班」の若者たちに取って代わられ、彼は、まっさらな紙を固める仕事に配置転換されてしまう。「汚らしい紙の中から、今この瞬間にも美しい本をご褒美として釣り上げるという驚異なしには、生きてこられなかった」ハニチャは(109ページ)、何も記されていないまっさらで「非人間的な紙を潰す」という新たな仕事を前にして、恐怖と落胆に襲われ、自らを「圧縮」しようとするのだった……

ここに、本書が執筆された1976年当時の社会主義政権下のチェコの状況を見ることもできるのだろうし、「心ならずの教養」をもたらす書籍が危険視される物語として本書を読むことは、とても自然な読み方なのだろう。しかし私は、何よりも、故紙から本が拾い上げられるという点に注意が向ってしまった。

というのも、言論の自由がおおよそ保障されたかのような時空間に生きている私もまた、新聞を廃品回収に出すことや、書類をシュレッダーにかけることには何の抵抗も感じないのに、本となると、その内容がどうであれ、捨てるなんてとんでもない、と思ってしまうからだ。けれども、よくよく考えてみれば不思議なことだ。文字が印刷されている点では、新聞やチラシと書物の間には何の違いもないのに。

新聞と書物の違いについては、誰はさておき、ステファヌ・マラルメが思い浮かぶ。今や紋切り型になったと言えるかもしれないが、「書物はといえば」のなかで、「この世界において、すべては、一巻の書物に帰着するために存在している」と記しているマラルメは、「書物」と「新聞」を次のように区別していた。

「書物の、折り畳まれた儘の処女なるページは、なおも、昔の書巻の日に焼けた縁がそれによって血を流した犠祭を覚悟している。と、兇器、すなわちペーパー・ナイフが挿し入れられる、取得を確かなものとするために。この野蛮な真似を抜きにしても、良心は、後になって、なんと利己的になることか。そのとき良心は、書物に関与して、書物をそこここから勝手にとり上げ、これをさまざまに変奏し、まるで謎かけのようにこれを解き、――要するにほとんど自分の手でつくり直してしまう。[…]新聞の及ぼす影響には腹立たしいものがある。それは、例の神々しい古書において文学によって要求された複雑な組織体に対して、千篇一律の単調さを――あの耐え難い記事欄というものを常に押しつけるのだ。そこでは、記事欄をページの寸法の中に、それこそ何百回となく、割り当てることだけが行なわれている。」(松室三郎訳、『マラルメ全集II』筑摩書房、1989年、268ページ)

紙が幾重にも織り成した襞の間で、折り畳まれた神秘を宿し続け、ペーパーナイフによって襞を開かれ、ひとつの宇宙を形成することになる、書物のための言葉。それに対して、新聞の言語は貨幣のように人々の間を流通することを本義とする、という。これを字義通りに眺めるならば、新聞を潰すことはもともと再利用されることを前提として作られたものを潰すことであるのに対して、書物を潰すことは、一個の世界を潰すということにでもなるだろうか。

ともあれ、フラバルの物語では、故紙の中から本を救ってきた主人公は、最後には、本と直接的には関係のないとても奇妙な形で救われるかに見える。それだけに、本書からは、とても幸福な読書体験を得られたのだった。

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飛んで火に入る

・松浦寿輝 『花腐し』(講談社文庫)

先日、とある集まりで痛飲してしまい、久しぶりに宿酔に悩まされたが、そんな日常と非日常のあわいにいる時にはとりわけ、松浦の文章は心地よく感ぜられる。

本書は、芥川賞受賞作「花腐し」と、受賞後第一作「ひたひたと」を収録。以前読んだ長編『半島』もそうだったが、松浦の小説によく見られるように、主人公はやはり中年の男性で、やさぐれている。そして、「花腐し」の主人公もまた、いつの間にかどん詰まりの状況に身を置くことになるものの、いざ事態の主導権を握ろうとするやいなや、まるで飛んで火に入る夏の虫の如く、破局を迎えることになる。

「俺のペニスから発した炎の帯がこの町の全体を呑みこむだろう。ブラックホールに呑みこまれるだと。馬鹿を言え。呑みこまれるんじゃない、俺が呑みこむのだ。」(166ページ)

主人公は、借金の返済の代わりに地上げの片棒を担がされるのだが、自分の過去をどうしても拭い去ることができず、こうして自分が世界を呑み込もうと決意するや、ミイラになってしまうミイラ取りのようになっていく。

松浦の物語の主人公は、やれやれと言わんばかりに、自分自身と人生にくたびれているかに見える。けれども、松浦の主人公は、自分を吹っ切ることなく、いつも、歩く。

「ひたひたと」では、主人公が、東京の木場に近い州崎をうろつくが、内面では過去を振り返りつつ、足は前へと進むのだ。

「それではわたしは、と中年男でもあり精悍な青年でもありいたいけな子どもでもある薄い影のようなものはひっそりと思った。それではわたしは、その真昼の星々に導かれて正しい決断を下しつづけてきたのだろうか。それともそのつど間違った途ばかりを選びつづけた挙げ句の果て、結局のところ東京のいちばんはずれのこんな土地に、どこへ向かっても道路より高くなったコンクリートの土手に行き着いてしまうようなこんな一郭に、まるで引き寄せられたように行き着いてしまったという、そういうことか。」(55‐56ページ)

自己反省ばかりしながら主人公は町を歩き回るが、どこにも行き着かない。まるで主人公が町に飛び込んでいくというより、そこに描かれる町、あるいは町の日常と非日常のかすかなずれのもたらす闇が、妙になまめかしく、主人公や読者を包み込んでいくかのようでもある。

街中をそぞろ歩く散歩と異なって、出口がないなかをぐるぐるとあてもなく彷徨うことは、ふと、アンドレ・ブルトンの『ナジャ』を想起させる。ナジャとの偶然の邂逅の物語は、読んだ時にはまだパリに行ったことのなかった私にとって、何よりもパリの物語として記憶されている。「私とは誰か」(私は誰を追うのか)との問いかけで始まる物語では(巌谷國士訳、白水社Uブックス、5ページ)、ナジャとの出会いは以下のように記されていた。

「昨年の十月四日、それはあのまったく何もすることのない、ひどくうっとうしい午後のおわりであったが、私はそんな一刻をすごす秘訣を心得ているので、ラファイエット通りにやってきていた。『ユマニテ』の本屋の陳列窓の前でしばらく立ちどまり、トロツキーの近刊書を買い求めてから、あてもなくオペラ座の方向に道をとっていた。[…]私は見るともなしに人々の顔や、身なりや、歩く姿を眺めていた。もう行こう、この連中がまだ革命を起そうとしているようになど見えるわけがなかった。何という通りだか知らないが、あそこ、教会の前のあの十字路を、ちょうと渡り切った時のことだ。とつぜん、おそらくまだ十歩ほどはなれたあたりに、反対方向から、ひとりの若い女のやってくるのが見える。」(57ページ)

なるほど、今となってはあまりに巨大になった感があるとはいえパリという街は、こうした夢うつつの偶然の起こりうるような規模なのかもしれない。そして、ナジャが精神病院に入れられたのち、語り手である「私」は、まずは街並みを見直すが、街がきわめて退屈になっているのを発見するのだった。

「私はまず、この物語がたまたま導いてゆくことになる場所のいくつかを、もういちど見なおすことからはじめた。[…]ところがいざやってみると、二、三の例外を除いて、そうした場所が多かれ少なかれ私の企図から身を守ろうとしているのがたしかめられ[…]。このボンヌ-ヌーヴェル大通りも、立ちならぶ映画館の正面が塗りかえられ、以来私にとっては、まるでサン-ドゥニ門がいましも閉ざされてしまったかのように、しだいに動きのないものになっていった――それと同時に、私はあの雙面劇場が生れかわり、そしてふたたび死んでゆくのを、つまりその名ももはや単面劇場にすぎなくなり、あいかわらずフォンテーヌ通りでも、私の家からの中途あたりに移ってきて、駄目になってしまうのを見てきた。等々、といった具合だ。」(151‐154ページ)

狂気が狂気として排除されてしまいすっかり味気なくなった街を見回すこのようなくだりをいま読み直してみても、『ナジャ』を読んだむかしに自分が抱いていたパリへの憧れがまた熱く高ぶってくるのを感じてしまう。もっとも、実際のパリの生活はそれなりのタフさを必要とするのだとは思うが。

ともあれ、こうして松浦の文章に私はまたしても気持ちよく酔い痴れ、それをきっかけにして想像上の散歩に明け暮れたのだが、ふと気づくと、頭痛が相も変わらず残っていて、節度をわきまえなかった自分自身に呆れながら、行き止まりに来てしまったかのような感覚を覚えるのだった。

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否応なしの歴史

・エステルハージ・ペーテル 『ハーン=ハーン伯爵夫人のまなざし』(早稲田みか訳、松籟社、2008)

まったく恥ずかしい話、私は、ハンガリー文学といえばケルテース・イムレしか知らなかったが、昨秋に翻訳のなったエステルハージ・ペーテルの本書を繙いてみた。というのも、作家が来日して、以下のシンポジウムが催されると友人から聞いたからだ。

「ドナウを下って、未来の世界文学へ」
2月11日(水) 15時30分~ (通訳付き)
東京大学 本郷キャンパス 法文2号館2階 1番大教室

エステルハージ・ペーテル、沼野充義、早稲田みか、エッシュバッハ=サボー・ヴィクトリアの各氏

詳細は、http://www.jpf.go.jp/j/intel/new/0901/01-03.htmlをご覧ください。

これまた恥ずかしながら、エステルハージと聞いて、私はハイドンの名前しか浮かばなかったが、訳者あとがきによると、実際にペーテルは、ハイドンが仕えたエステルハージ家の末裔とのこと。

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(2009.2.12追記)

上記シンポジウムの行き帰りに、どんどん脱線していく奔流を遊ぶ、この「ドナウ川の旅」本書を読み終えた。筋がまるで直線的には進まず、話が次々に飛躍していく「ポストモダン小説」ではあるが、楽しい訳文に、飽きることがなかった。

筋らしい筋がないとはいえ、中心となるのは、主人公であるプロの旅人(人に雇われて旅をし、報告書を雇い主に送る)が、幼少時代に「どことなく秘密めいていてかっこいい遠縁のおじ」(7ページ)であるロベルトと一緒に下ったドナウ川を辿り直しながら、おじの隠された過去を知っていく、という物語。

言ってみれば、本書は、ドナウを言葉にする試みなのかもしれない。たしかに、「旅は旅。言葉と同じで、それ以上でもそれ以下でもない。出かけて、帰る。その間に時間が経過する」(49ページ)と記されているし、あるいは、主人公は、物語の核心を知る女性ダルマにこう言われている。「「貴方には言葉が役に立つ。私の理解が正しければ、お坊ちゃまはドナウ川を言葉にしたいんでしょう?」大声で笑うなり、すぐに口をつぐんだ。あの噴水のように。少女みたいにもの問いたげに僕を見た。「でなければ逆に、言葉でもってドナウ川を紡ぎたいのかしら?」」(159ページ)。そして実際、主人公は一瞬、ある種の強迫観念に捉えられる。

「要するに、完璧症にかかってしまったのだった。[…]何かを見逃しているのではないか、ドナウ川の重要な数センチを見落としたのではないか、そんな不安にたえずかられて、それがいかにばかばかしいことか承知はしていても、気が休まるということがなかった。[…]私はますますもって書くこと(大仰に言えば、作家としての存在)と旅とを同一視するようになって(旅について書くことにはいよいよ関心を失い、関心をひかれる対象もなくなって)、結局のところ自分は旅人にあらずと自己批判せざるをえなくなっていた。欺瞞に満ちた存在の最たるものがドナウ川だった。これぞまさしく悪しきお手本だった。何しろそいつは、変わることなく前に向かって流れ続けているのだ。」(220ページ)

とすれば、本書の主人公は、言うなればドナウ川そのものなのだろう。とはいえ、本書は言語遊戯にはまったく留まらず、中欧を流れるドナウ川を舞台としているだけに、どうしても近現代の劇的な歴史が随所に顔をのぞかせる。もちろん、どこを舞台にしようが、その土地が背負っている歴史はあるのだろうが、ドナウ川の場合、ドイツ、オーストリアといった西側から、ハンガリー、ユーゴスラヴィア、ルーマニア、セルビア、ブルガリア、モルドヴァなどの旧東側を流れていくため、第二次大戦以降のその歴史は、やはり激動のものであろう。

「この日、故国ハンガリーでは重大な出来事が出来していた。社会主義のシュールで巨大な石鹸の泡がパーンとはじけて、爾来、われわれの顔は汚れた石鹸水でびちょびちょだ。[…]
 三十分のニュースの間に、ハンガリー国歌が六回も流れた。最初は、哀れな祖国が揶揄さればかにされているのかと思った。しかし、ビベラッハの灰色の雨が蕭々と降り続き、隣部屋からは時おり、アンニ(?)が片付けやら掃除やらをしているとおぼしき物音が聞こえてくるなか、私は長い時間をかけて熟考した結果、六回の国歌は客観的な事実報道にほかならぬという結論に達した。なにしろわれらが国では、最重要の問題、国家やわれわれの存在に関わる問題の内部にさえ、個人的なこと、さらには感情的なことまでが平然と侵入してくるからだ」(72‐73ページ)

それゆえ、本書の語りは、まるで無垢なものではなく、痛烈な皮肉と自嘲的な笑いに満ちた饒舌なのだと思われる。実際、2月11日の講演において、エステルハージは、21世紀の言語として、平和の言語、限界を知る言語、外交の言語を求めていたが、それは、世界への一つの向き合い方にほかなるまい。本書は、軽やかな言語遊戯のなかにも、否応なしに(大文字の)歴史が入り込むのだが、しかし、歴史に呑み込まれてしまうことのない本書によって引き起こされる笑いは、とても乾いている。

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文学は告発を超えて

・岡真理 『アラブ、祈りとしての文学』(みすず書房、2008)

アラブ世界、とりわけパレスチナの現代文学を、政治的、社会的、歴史的、そしてジェンダー的文脈から紹介しながら論じている書。恥ずかしながら、ガッサン・カナファーニーやマフムード・ダルウィーシュくらいしか知らず、本書で扱われている作家のほとんどを読んだことがなかった私にとって、この書はたいへん勉強になり、刺激を受けた。

「かつてサルトルは、アフリカで子どもが飢えて死んでいる時、『嘔吐』は無力であると語った。では、パレスチナでパレスチナ人が非常事態を日常として生きている時、小説を書き、小説を読み、小説について語ることに、いったいいかなる意味があるのだろうか――」(2ページ)との痛切な問いかけから始まる本書は、小説をはじめとする文学は、都合の悪い人々や出来事を意識的にせよ無意識的にせよ排除しながら国民なる共同体を創出し続ける、国民の語りというものから外れた地点で、祈りとして共有されるものだ、と訴える。サルトルは、実のところ、飢えを前にした人々にとって文化的産物である文学は無意味であるとあらかじめ断定してしまっているが、実際は逆に、非常事態を日常としている人々こそ文学を必要としているのではあるまいか、というのである。読み物としての文学だけではなく、読まれたり聞かれたりする物語も含めて「文学」ということであれば、その通りなのだろう、と私は思う。

そして、本書で私がとても腑に落ちたのは、なぜあれほどの虐殺を経たはずのユダヤ人たちが、今度はパレスチナにおいて暴力に手を染めるのか、との問いにかんする以下のような考察である。

「世界が関心を示すのは数であって、他者の命に対してはどこまでも無関心であるのなら、[ユダヤ人に対するジェノサイドの被害者数である]600万という巨大な数字が、その巨大さゆえに強調され特権化され、彼らの死者は、ほかの死者たちの死から区別されるだろう。[…]/死者の統計数値から炙り出される彼らのシニシズムは、彼らの振る舞いが、ホロコーストを経験したユダヤ人「にもかかわらず」ではなく、むしろホロコーストを経験したユダヤ人「だからこそ」なのだということを物語っているように思えてならない。」(31ページ)

大量殺戮は、被害者数の多寡のみが世論の注目を集めるか否かの基準となり、世界は人間の命の尊さという理念には無関心であるということを示してしまったゆえに、甚大な数の被害者を生みだした虐殺の生き残りたちはその数に居直ってしまう、というのである。

けれども、このように、とても示唆を受ける本書ではあるが、実のところ私は、若干、居心地の悪さも感じてしまった。それは、本書において文学が「告発」のメッセージとしてしか扱われていないのではないか、との惧れが私に生じたからである。たとえば、ユースフ・イドリースの『アル=ハラーム』(「禁忌」の意)という作品については、「作品の標題の「ハラーム」には定冠詞「アル」がついている。とすれば、それは、社会にさまざま存在する宗教的禁忌のどれかのことではなく、人間にとっての真の禁忌、絶対的な禁忌を意味していよう。では、この小説が告発する真の禁忌とは何か」と記されている(134ページ)。あるいは、「だが、他者に対して世界を表象する術のない者たちは、自らが生きる生それ自体が抵抗にほかならないと言説化することはできない。だとすれば特権的なエクリチュールをもち世界を表象しうる作家とは、単に自己が生きる苦難を表象するだけでなく、「抵抗」として自ら名指すことなく抵抗を生きているこれらの者たち――サバルタン――のその生を「抵抗」として分節し、表象する責務を負った存在であると言える」と述べられる(216ページ)。表象されざるサバルタンを描く可能性と不可能性については、作家たちは「自らの無知を作品に書き込んでいるのだ」と指摘されるものの(229ページ)、岡は、文学を現状に対する告発として位置づけようとし、文学を、不可欠なものとしてであれ、無力なものとしてであれ、何かのための道具や手段として捉える点で、サルトルと同じ土俵に乗っているようにも見えてしまう。

告発を含むことで成立する文学もあるだろうし、告発の要素を多分に含み込まざるをえない作品もあるだろうが、文学はやはり、道具に留まるものではないだろう。

本書では、種々の作品の比較を通して、各々の視点がきめ細かく汲み取られるかに見えながら、たとえば、「アウシュヴィッツから奇跡的に生還したプリーモ・レーヴィは、絶滅収容所でもっとも恐ろしかったこと[について述べている]」と記されてしまう(13ページ)。レーヴィは、強制絶滅収容所だったアウシュヴィッツにいたとはいえ、そのなかでも屋内で作業ができるなど、生存のための条件がまだましだったモノヴィッツにいたのであり、トレブリンカなどの純然たる絶滅収容所にいたわけではない(絶滅収容所では移送されてきた人々は労働に役立つか否かの選別を経ずに次々と殺されていった。もちろん、だからといってレーヴィの体験が軽視されるはずもない)。そして、生き残ってしまったことに罪悪感を抱いたのがレーヴィだった。

書き記すことに対する内省と、出来事に対する個々の視点とを否応なしにもつのが文学作品なのだと私は思う。つまり、歴史や政治といった大枠のなかの個々の視点に迫る、あるいは、個々の視点を通して世界の一面を見せるのが文学ではなかろうか。それゆえに、作品は、必ずや読者の理解できない点をもっており、だからこそ、自分や自分の周囲の人々のかけがえのなさ(体験であろうと想いや考えであろうと)を、そもそも自身がどれだけ理解しているかという疑念を含みつつ、読者に理解させられると同時に、すっかり理解されてしまうことをいつも拒んでいるように思うのである。要するに、理解されたい欲求と、理解されてしまう平板化への惧れとを同時にもつのが文学作品ではないか。たとえるなら、自分の感情や経験を身近な人に話して、「うん、分かるよ」と言ってもらうとき、分かってもらえたという喜びと、そんなに簡単に分かられてたまるかという反抗心とが、(少なくとも私には)しばしば同時に沸き起こるが、ちょうどこの間にあるのが、文学のややこしさであり、面白さなのだと私は考えている。

というのも、言葉がそもそもそういうものだからだ。言葉一般のもつ、誰のものでもありながら、自分だけのものでもあるという性格を、誰もが知っているという点で何よりも皆のものであるはずの常套句を例にとって示したのは、「文学における恐怖政治」を論じたジャン・ポーランだった。ポーランは、フランスのロマン主義から見られる、自分の思想を手垢にまみれた言語で表現することへの拒絶を「文学における恐怖政治」と呼ぶが、実はそこで忌避される常套句こそ、いかようにも思想を伝達することのできる表現であり、「絶えず考えられ再検討され洗われる必要のあるものなのだ」と述べていた(野村英夫訳、書肆心水、2004、275ページ)。

この意味で、岡が、当事者でない人々によって虐殺という極限体験の悲劇が舞台で演じられることについて、「彼らが舞台上で、その悲劇の出来事を演じることができるのは、まさに、彼らが当事者ではないからだ。だが、そこにこそ、可能性があるのではないか」と指摘しているのは(294ページ)、とても興味深い。舞台とは、まさに上演(representation)の空間であり、表象(representation)の場である。これに対して、出来事や人々の謎を内包することで、そのrepresentation(表象・再現・代理・代表制)になる一歩手前ぎりぎりのところに踏みとどまるのが、ほかならぬ文学の資格であり豊かさなのではないかと、私は思っている。

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シンポジウムのお知らせ

急な話ですが、1月28日、以下のようなシンポジウムが催されます。お知らせするのをうっかり忘れていました(とまれ、このブログでのお知らせがどれほど効果をもつのか甚だ疑問ですが)。

ヌーヴェル・ヴァーグの父であり、フランソワ・トリュフォーの文字どおりの育ての親、アンドレ・バザンが取り上げられます。ぜひご来聴ください。
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第12回 LAC 国際シンポジウム

映画批評の原点を求めて
――バザン理論と映画の現在――
アンドレ・バザン没後50周年記念国際シンポジウム

2009年1月28日(水) 18:00~

場所 東京大学駒場キャンパス 18号館4階 コラボレーションルーム3
    (京王井の頭線 駒場東大前駅下車 徒歩3分)

参加費無料 事前登録不要(どなたでもご参加できます)

発表者

 陳儒修 (台湾 国立政治大学 副教授)
   現場のバザン:中国語圏映画におけるリアリズム概念

 土田環 (東京大学大学院表象文化論 博士課程)
   アンドレ・バザンとテレビ時代の映画という神話

 諏訪敦彦 (映画監督・東京造形大学学長)
   あいまいさの存在論

 ジャン=ミシェル・フロドン (「カイエ・デュ・シネマ」編集長)
   存在論を逃れるために

使用言語:日本語、英語、フランス語

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呪われた過去を他人が描くこと

・ディディエ・デナンクス 『死は誰も忘れない』(高橋啓訳、草思社、1995)、『記憶のための殺人』(堀茂樹訳、草思社、1995)

他人が人の過去の秘密を暴くこと、それもきわめて危険で呪われた過去を暴くことは、その秘密を暴く人自身を安全な立場には残しておかない。いや、暴く人だけではなく、その暴かれた秘密を共有する人々――その時点で秘密はもう秘密ではなくなるわけだが――をも無傷には放ってくれない。

モーリス・パポンを題材にしたフィクションである『記憶のための殺人』では、主人公の刑事カダンは、とある若者の殺人事件を捜査する過程で、1961年のアルジェリア人たちのデモとパリ警察による大量殺戮の最中に――これはこれでフランスにおける一つのタブーである――歴史教師が殺害された、遠い過去の事件とのつながりを感じ取る。しかし彼は、いたるところで、過去の事件を掘り返さぬよう、忠告を受ける。たとえば、カダンに協力する刑事仲間のダルボワは、別の同僚にこう戒められている。

「いいか、ダルボワ、この件は放っておくんだ。この20年間でその問題を蒸し返そうとしたのはあんたが初めてだ。歴史の教師が国家転覆を企てる組織に情報を提供し、フランス政府がその男を処分することにしたなんて事を立証したところで、誰にも何の役にも立ちはしない。今ではこの事件は、アルジェリアとフランスの二つの国家に係わることになる。過去の亡霊がいまさら現れたところで、どちらの政府にとっても何の利益にもならない。」(87ページ)

とはいえ、カダンは調査を進めて、謎は一応は解決される。そうして明らかになる過去とは、第二次大戦中のフランスが行なっていたユダヤ人移送というもう一つのタブーだった。

実際、ヨーロッパ全土における「ユダヤ問題の最終的解決」が実務者レヴェルで話し合われた1942年1月のヴァンゼー会談の議事録に、スカンディナヴィア諸国においては困難が予想されるが、「占領地域・自由地域を問わず、フランスにおいては、排除されるべきユダヤ人数の調査は、おそらくは大過なく行なわれるはずである」と記されているのを読むと(Die Wansee-Konferenz und des Völkermord an den europäischen Juden, p.117. La conférence de Wansee et le génocide des juifs d’Europe, p.48)、ひどく陰鬱な気持ちにさせられるし、なぜフランスにおいてはさしたる障害もなくユダヤ人移送が行なわれてしまったのか、考えていかねばならないだろうと思う(そしてもちろん、1961年10月の出来事やアルジェリア戦争時の拷問についても考えていかなくてはなるまい)。

翻って、大戦中のレジスタンスとてけっして一枚岩ではなかったことを示し、私利私欲を満たす方便としてレジスタンスを利用した人物に陥れられたジャン・リアクールを描いた物語が、『死は誰も忘れない』である。これは、レジスタンス神話を打ち砕き、戦中戦後の混乱期を狡賢く生きた人々をも描く物語であり、歴史の激変のなかで市井の人々がどのように振舞ったのかをありありと想像させてくれる。

デナンクスの物語の登場人物は殺されたり殺したり傷ついたりするが、それに留まらず、彼の物語を読む私自身、そこに描かれた事柄が完全なるフィクションではないことを知る限り、どうしても陰鬱な気分にさせられるし、逆に、いたずらな興奮が禁じられているようにも思われる。謎解きの高揚感ではなく、解かれた謎のもたらすその陰鬱さこそ、呪われた過去と向き合う際に必要なことなのかもしれない。私はデナンクスの物語にまるでカタルシスを覚えなかったが、それはむしろ必然的なことであるように思われる。デナンクスは、過去を、小説としてたやすく感動を与えて消費されるべきテーマとして扱うどころか、綿密な事実調査に基づいて、いわば傷口に蓋をしない物語として提示しているからだ。

こんなことを考えるのは、ドイツ軍の占領するパリを描いたピエール・アスリーヌの『密告』が思い出されたからである(白井成雄訳、作品社、2000)。本書もまた、沈痛な気持ちにさせられる物語だったが、それは、当時のパリでユダヤ人を密告するごく普通のフランス人が描かれているからだけでも、そうした密告がフランス警察によって巧妙に強いられた様が描かれているからだけでもなく、アスリーヌ自身に限りなく近い語り手自身が、自分がほじくり返した他人のおぞましい過去にその当人もまた苦しみ続けていたことを発見するからでもある。

語り手は、大戦中に隣人を密告してパリ解放直後に吊るし上げられたその女性の過去を暴きながら、すべてを知ったとき、次のように思い至るのだ。

「この時、この時になって初めて、彼女に対するなんとも言えぬ罪悪感が一瞬身をよぎった。これまでは自分だけが苦しんでいると思い込んでしまっていたのだ」(179ページ)

だが、時すでに遅し。彼は、さらなる悲劇を招いてしまうことになるのだった。

ところで、確かに、喧しい告発や声高な主張が必要な局面というのはあるだろう。けれども、デナンクスの『死は誰も忘れない』では、有無を言わさぬ弁論を繰り広げた検事が、まるで自分の過去を隠すためであるかのように理路整然と主張を展開し、戦後を生き抜いてしまうのに対して、その検事を前にしてほとんど発言を許されない主人公が悲劇を生きざるをえなくなっていたように、むしろ、声高に語られないところにこそ、個々の現実があるようにも思われる。そして、そうした現実をいささかなりとも拾い上げてくれるのが、これまた声を張り上げることがない文学、つまりは、感動を押し売りするどころか、カタルシスをもたらさぬことで、その現実へと目を向けさせてくれる文学作品なのではなかろうか。

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謹賀新年

早いもので、ブログを始めてから4年が経とうとしています。

怠惰から、ブログの更新が大幅に滞っており、まことに情けない限り。今年こそはもう少し読書の感想をまとめておきたいと思う端から、結局はマイペースで進むしかないだろうとの内心の声も立ち上ってきています。ともあれ、少しずつ形にしていかねばと思っています。

こんなブログですが、訪れてくださる方にとって、今年が良い年でありますようお祈り申し上げます。

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