戦争論の危うさ
・大岡昇平 『戦争』(岩波現代文庫)
読書の感想を書き散らしたこのようなブログといえども、少なくとも私にとっては意味のあるもののようだ。というのも、このブログを始めてからというもの、ここに感想を記した本の内容は覚えているものの、そうでない本の内容は逆にすぐに忘れてしまうようになったからだ。ソクラテスの語る、文字を発明したというエジプトのテウトと、彼を諌めたタモスとの対話を図らずも思い出してしまう。
「だが、話が文字のことに及んだとき、テウトはこう言った。
「王様[タモスのこと]、この文字というものを学べば、エジプト人たちの知恵はたかまり、もの覚えはよくなるでしょう。私の発見したのは、記憶と知恵の秘訣なのですから。」――しかし、タモスは答えて言った。
「たぐいなき技術の主テウトよ、技術上の事柄を生み出す力をもった人と、生み出された技術がそれを使う人々にどのような害をあたえ、どのような益をもたらすかを判別する力をもった人とは別の者なのだ。今もあなたは、文字の生みの親として、愛情にほだされ、文字が実際にもっている効能と正反対のことを言われた。なぜなら、人々がこの文字というものを学ぶと、記憶力の訓練がなおざりにされるため、その人たちの魂の中には、忘れっぽい性質が植えつけられることだろうから。[…]」(プラトン『パイドロス』藤沢令夫訳、岩波文庫、274E-275A)
タモスはこうして、文字を、記憶の技術ではなく想起の技術と見なし、真実の知恵ではないものとして退ける。けれども、もともと物覚えの悪い私からすれば(人の顔と名前だってなかなか覚えられないのだ)、たとえ「想起の技術」であろうと、テウトの発明によって記憶に利する技術が生み出されたのは喜ばしいことこの上ない。
大岡の本書を私は昨夏に読んだのだが、自身の戦争体験談であり、第二次大戦後の現代文明批評にもなっている書、ということくらいしか覚えていなかった。しかし、今ぱらぱらと見直してみて、やはり、そのとき気づいたことなどは書いておかねばならない、自分の記憶を当てにしてはならない、とあらためて気づかされた次第。
旧日本軍を描いた作家たちがおしなべて、戦争に対してというよりも、まずは軍隊に対する嫌悪感を強く抱いていたことは、以前読んだ高田里惠子も指摘していたが、本書の大岡も、自分の所属する部隊が南方に出発する際のことを次のように語っている。
「それに、ぼくが門司から船へ乗せられた時は、実感として自分が死ぬということだけがあって、ああだこうだといってた理屈は何の役にも立たないってことが、ピンときたわけですねえ。
その時考えたのは、どうせ死ぬんなら軍部に反対してね、こういうデタラメなことをやらせないようにできなかったもんか、ということですよ。」(p.57)
あるいは、ミンドロ島において部隊から離れたときのことは、こう述べられている。
「いよいよここが最後だというとね、まわりからこう押しつけられるような気持、まあ、この気持は戦争にいかないとわからないだろう。こういう目に会わなきゃなかなかわからないわけだよ。
その時は敵に会って殺されるという風には考えなかったんだなあ。軍部というもの、ああいう下らない組織のためにこういう下らない死に方をしなきゃなんない、そういう風に感じましたねえ。これはその時の実感ですよ。」(p.125)
とはいえ、本書の眼目は何といっても、『俘虜記』執筆の話であろう。大岡は自分が虜囚だった頃は、捕虜生活を書こうとは思っていなかったらしい。彼は、「ぼくが収容所にいた時は捕虜の生活を書こうという気が全然なかった」と述べている(p.156)。
ところが、書き始めてから、なぜ自分は米兵を撃たなかったのかという問いが中心にあることが分かった、と大岡は言う。
「『俘虜記』の最初の部分は二十三年に出たわけですが、書きはじめてみると、ゲリラが来るという時には撃つつもりでいた自分が、なぜ目の前に現われた米兵を撃たなかったのかというところに焦点があるということが、はっきりしてきました。それをたしかめないとなんとなく落ちつかないということもわかったわけです。」(p.159)
以前読んだデーヴ・グロスマンの本に詳細に記述されていた事柄だが、一般に、人間には殺人に対する強い禁止がはたらくのであり、大岡も、「人間は平和を愛する動物なんですよ。「殺すなかれ」という戒律が、人類の歴史の早い時期に現われたのは当然なんで[…]」と述べている(p.199)。しかし、大岡の恐るべき点は、今さら指摘するまでもないが、やはり徹底した自己分析を行う点だろう。「[米兵を撃たなかったのは]ただ反射的に恐ろしかったのかもしれないし、気おくれということだけでいいのかもしれないんだ」と述べる一方で(p.129)、「撃つつもりでいた」という点については、「『俘虜記』に米兵を目の前に見て撃たなかった話を書きましたけど、あれはこっちが撃てないんじゃ、話にならないわけですからね。あの時撃てると思ったのは実弾射撃の成績がよかったからですよ」と述べている(p.64)。
そして、大岡は、『俘虜記』には書かなかった事柄がある、という。それは、病気になった際に使い物にならない銃を渡されたことや、自分の剣を牛肉を切るのに使われたといった不名誉な話である。だが、それを作品に記さなかった理由は、不名誉だからということではいささかもない。「[…]油布のつまった銃だとか、それから帯剣を肉切りに使われたというようなことはぼくは書いてないんです。あんまり自分を被害者にしたてたくなかったもんだから、書かなかったんですよ」(p.119)。つまり、矜持から書かなかったというのだ。
書くことによってその瞬間の判断や逡巡を解明するばかりか、書いている時間をもあらためて捉え直そうとする大岡。ここには、過去を生き直すという意味での想起の技術としての文字ということだけでなく、過去をあらためて分析するという筆記の側面が認められる。いや、過去だけではなく、その分析のメスを自分の生きる現代にも切り込ませたのが大岡の文章である。「[…]『生きている俘虜』で[捕虜]収容所のことを書いて出すと、初めは俘虜生活そのものを書くつもりだったんですが、結局、収容所の中でアメリカ人に飼われてキャッキャといってた状態と、民主主義だとかなんとかいわれてワイワイやってる現在の状態と同じではなかろうか、どうもあらゆる点でよく似ているぞということに気がつくわけですね」と彼は述べていた(p.162)。
この点で、「[…]まあ、帰ってきていろんな友達と話してると、やっぱり戦争にいかなかった人とはどっか話が合わないとこがあるんですよね。なんか異和感がある」などといった大岡の文言には(p.188)、注意が必要にも思われる。なぜなら、では戦争の話をするには体験せねばならないのか、との疑問が頭をもたげてくるからである。けれども、その「異和感」を率直に告白するところに、大岡の透徹した自己分析の重みがあるのだろう。
本書の帯には、「戦争を知らない人間は、半分は子供である」との言葉が読まれるが、この文言を、私は本書の大岡の言葉に見つけることができなかった。この言葉は、諸刃の剣にほかなるまい。戦争の悲惨さを訴えることが、戦争体験の特権視に繋がらないような視点を設えるには、おそらく、成熟・未熟といった言葉では立ち行かないだろうと、私は思うのだ。
(2008.6.12追記 「戦争を知らない人間は、半分は子供である」との言葉は、『野火』に読まれる文言とのこと。ご教示くださった方、どうもありがとうございました。『野火』の文脈を勘案しつつ、戦争を成熟・未熟で語ることについてあらためて考えてみたいと思います)
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