文学の痛快さ
・田尻芳樹『ベケットとその仲間たち』(論創社、2009)
大学の文学部や書店の棚などで、文学というものが、フランス文学、英米文学、日本文学などのように言語で縦割りにされているのは、いたしかたないこととはいえ、とても人工的なものに見えてしまう。まして、そうしたカテゴリーに何の疑問ももたずに研究を進めるということなど、ひどく詰らなく息苦しいものに思われる。
そんななか、本書はなんとも痛快な文学論である。サミュエル・ベケット、それもその小説を主軸にしながら、J.M.クッツェーや埴谷雄高、夢野久作、オスカー・ワイルドなどが縦横無尽に語られているからだ。もちろん、ベケット自身が英仏の境界をまたいで活動していたわけだが、どんな作家でも、他の作家や作品を意識することはあれど、「フランス」文学や「日本」文学にのみ影響されるなどということは考えづらく、本書において、おおよそモダニズムからポストモダニズムの作家が扱われる際に、単なる直接的な影響関係を越えて、国や言語の境が横断されるのは、読んでいてとても楽しいし、何よりたいへん勉強になった。
たとえば、ベケットが『名づけえぬもの』に記し、登場人物としての実質を欠いた物語の機能的装置という文学概念としてフレデリック・ジェイムソンが発展させた、「疑似カップル」なる考えについて、田尻は、ジェイムソンに留保を示しつつ、次のように述べている。
「トム・ストッパードがデビュー作『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』で彼らと『ゴドー』の二人組をあれほど巧みに重ね合わせることができたのも不思議ではない。また彼らが王たちの命令にむやみに忠実な人物であることも重要である。[…]またゴーゴリの『検察官』に出てくるボブチンスキーとドブチンスキー、カフカの『城』の二人の助手もこの文脈で連想される。[…]
こうした普遍的な原理が文学史の中で初めて前面に躍り出て主役にまで昇格したのが『ブヴァールとペキュシェ』である。そしてそれにはジェイムソンが示唆したような歴史的事情があった。19世紀の半ば頃、物語の推進力が枯渇しすべてが反復となったという空虚な感覚が一人の作家を襲い、凡庸な二人組が人類知習得の失敗をむなしく反復するという倒錯的小説を構想させた。それから約一世紀後、世界の空洞化がさらに進行し生のあらゆる実質が徹底的に失われた中でうらぶれた二人組が意味のない営みを反復する芝居が一世を風靡した。根源的な空虚は反復につながり、さらに疑似カップルという<二>を析出させる。」(106-107ページ)
恥ずかしながらストッパードは読んだことがないのだけれど、『ブヴァールとペキュシェ』を読みながら、大笑いした(自分を嗤ったとも言えるが)だけの私からすれば、フロベールを端緒として、ゴーゴリ、カフカ、ワイルド、ベケットと並ぶ「文学史」とは、わくわくするような分析である。
とはいえ、それぞれの作家の背景が等閑視されているわけではない。たとえば、クッツェーの作品を南アフリカの状況という文脈から完全に切り離せないことは、本書でしかと認識されていて、以前読んだことのある『マイケル・K』についてはこう記されている。
「『マイケル・K』が、普遍主義的傾向を持つ『モロイ』を南アフリカの特定のコンテクストに置き換えているのは象徴的である。モダニズムに発する物語批判は継承されている、しかし特定の文化との関係において。」(182ページ)
作品や作家に対して、秘教的なまでに作品内ないし作家内的な読解に沈んでいくことも大切だとはつねづね思うものの、それだけではけっして見えてこない事柄もまた大きく、しかもそうした事柄はえてしてとても面白いのだとも、私は信じている。作品外の事柄を作品内に読み込みすぎるのは軽薄の誹りを免れまいが、かといって、作品が、作家の置かれた状況や時代、あるいは文学史上の流れなどという、歴史性から生まれることもまた事実だろう。
そのバランスを考えるとき、私にとって、本書の立ち位置はとても参考になるように見える。というのも、本書は単に、各国語の文学史を越えて文学を語ることで事足れりとしているのではなく、この本を書く田尻自身にも、そのバランスの意識が向けられているからだ。つまり、本書が日本語で書かれている理由について、著者はきわめて意識的なのだ。各章の成り立ちについて触れられている「あとがき」では、「[この章を]今回日本語で発表できてうれしく思う」だとか、「やはりこれも日本語で発表して初めて意味を持つ論文だろう」といった文言が読まれる。この点でも、本書は、現代日本の大学で、文学研究(とりわけ外国文学研究)の意味を否応なしに考え、かつ考えさせられる身としては、たいへんに勇気づけられるものに思われるのだった。
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