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負うた子に教えられる

・コーマック・マッカーシー『ザ・ロード』(黒原敏行訳、早川書房、2008)

本当は目前の仕事をこなさねばならないのだが、つい読み始めたところ、止まらなくなってしまった。でも、現実逃避に似たこういう読書が、実は、本当に楽しいものだったりする。

本書は、人間もほとんど生き残っていない荒れ果てた世界での、父と息子の旅路の物語。二人は、食糧を求めつつ、二人きりで、とにかく暖かいであろう南へと徒歩で向かう。しかしそれは、単に生き延びるための道行というわけではなく、何かを伝えねばならないという使命感に突き動かされた放浪でもある。父は、夢うつつのなかで内心、次のように述べる。

「この道には神の言葉を伝える人間が一人もいない。みんなおれを残して消え去り世界を一緒に連れていってしまった。そこで問う。今後存在しないものは今まで一度も存在しなかったものとどう違うのか。」(p.29)

この親子は、あかたも伝道師であるかのように、自分たちを「善い者」だとする。実際、人間を殺して食べてしまう人々がはびこる世界のなかで、二人は、自分たちが生き延びるために最低限のことだけを行ないながら、残虐行為にほとんど手を染めることなく、とてもストイックに歩を進めていくからだ。そして、神話的なこの物語に、終末論を展開する一神教の側面を見出すこともできるのだろう。

とはいえ、それよりも注目されるのは、食糧を探す二人の周囲の状況はその都度、描写されるのに対して、世界がどうして荒廃したのかといった大きな文脈がまるで説明されていないことによって、鍵括弧で囲われていない父と息子の会話が、いっそう、はっきりと浮かび上がってくる、という点である。「おそらく世界は破壊されたときに初めてそれがどう作られているかが遂に見えるのだろう」という本書の言葉通り(p.249)、飢餓すれすれの極限状態に置かれているからこそ、そして、寓話と言っていいくらいに装飾が削ぎ落とされているからこそ、父と息子の交わす最小限のことばが、ひしひしと胸に迫ってくる。

息子は、どうしてこのような状況に身を置くことになったのか、おそらくは理解していない。けれども、父にその理由を尋ねることはない。健気にも、息子は、いつも父に付き従い、父のことばを反芻したり、父のことばから自己確認したりする。

「お前は、悪者ってどういうのか知りたがってただろう。今はもうわかったはずだ。ああいうことはまた起こるかもしれない。パパの役目はお前を守ることだ。神さまからその役目をいいつかったんだ。お前になにかしようとするやつは殺す。わかるな?/うん。/少年は頭からかぶった毛布で身体をくるんでいた。しばらくして顔をあげた。ぼくたちは今でも善い者なの? といった。/ああ。今でも善い者だ。/これからもずっとそうだよね。/そう。これからもずっとそうだ。/わかった」(p.69)

そんな彼らは、「火」を運んでいる。息子が父に、殺人をしないことを確認しようと尋ねる。「ぼくたちは誰も食べないよね。/ああ。もちろんだ。/飢えてもだよね?/もう飢えてるじゃないか。/[…]それでもやらないんだね?/ああ。やらない。/どんなことがあっても。/そう。どんなことがあっても。/ぼくたちは善い者だから。/そう。/火を運んでるから。/火を運んでるから。そうだ。/わかった」(p.114-115)。

この物語での「火」とはまず、現実の火を指しているのだろう。実際、父と息子は、本書のなかで、暖を取るためであったり、食べ物を温めるためであったり、とにかく行き着く先々で、幾度となく、たき火をする。その意味では、文字通り、二人は火を運ぶ人である。

でも、その「火」とはまた、ことばのことでもあるだろう。というのも、二人が息も絶え絶えに運ぶのは、なによりも、ことばだからである。それまでずっと息子を率いてきた父は、とうとう息子と立場を入れ替える。「二人は道路の壊れた迫持台に腰かけて川水が逆巻き鉄格子の上をうねりながら乗り越えていくのを眺めた。彼は川向こうの土地を見やった。/どうするのパパ? と彼はいった。/どうするかな、と少年はいった」(p.250)。そして父は息子に、メッセージを残す。

「父親は息をあえがせながら少年の手を取った。先へ進むんだ、といった。パパは一緒には行けない。でもお前は先へ進まなくちゃいけない。道の先になにがあるかはわからない。パパとお前はずっと運がよかった。お前はこれからも運がいいはずだ。今にわかる。だからもう行きなさい。これでいいんだ。/行けないよ。/[…]お前は火を運ばなくちゃいけない/どうやったらいいかわからないよ。/いやわかるはずだ。/ほんとにあるの? その火って?/あるんだ。/どこにあるの? どこにあるのかぼく知らないよ。/いや知ってる。それはお前の中にある。前からずっとあった。パパには見える。/[…]絶対にぼくを置いてかないといったじゃないか。/わかってる。ごめんよ。でもパパの心は全部お前のものだ。今までもずっとそうだった。お前が一番の善い者だ。ずっとそうだったんだ。パパがいなくなっても話しかけることはできる。お前が話しかけてくれたらパパも話しかける。今にわかるよ」(p.252-253)

死してなお、生き残った者に語りかけることば。これが、父が伝道師然たる所以である。父と息子との関係とは一般に、このようなものなのかもしれない、とも思われる。子どもとは、何かを教える対象なのではなく、たぶん、それが何であるかを親からはけっして教えることのできない何かが必ず親から伝えられ、そしてその何かを理解する鍵は、ただ子どもだけがもっている、という存在なのだろう。父は、息子に対して、「先へ進むんだ」としか言わない。父のメッセージとは、字義上はそれだけだ。だが、そのメッセージによって、子どもには、生涯の宿題が課せられる。「パパには見える」けれど、「どこにある」のか「ぼく」にはわからない火。この息子がおのれのうちの火を見出すのは、きっと、いつか来たる自分の子どものなかであるに違いない。

ところで、死に直面した父から受け継がれるものと言えば、フィリップ・ロスの『父の遺言』における、父の遺産が思い起こされる。頑固で皮肉屋であり、いろんな人と衝突してきた父が、病に斃れた時、息子である語り手は、『ザ・ロード』の父子と同じように立場を入れ替えて、父に対して、「いままでいっぺんも言ったことのない四語を発したのだった。"Do as I say"――「僕の言うとおりにしなさい」と私は父に言った」(『父の遺産』柴田元幸訳、集英社文庫、p.103)。そして語り手は、父から驚くべき「遺産」を受け取るのである。

「ふんぷんたる悪臭を放つピロケースを私は階下に降ろし、黒いゴミ袋に入れて口をぎゅっと縛り、あとでランドリーに持っていくよう車のところまで運んでいって、トランクに放り込んだ。そしてこうして仕事を完了してみて、なぜこれが正しいのか、なぜしかるべき行ないなのか、私はこの上なく明確に理解した。あれこそが父の遺産なのだ。あれを掃除することが、何かほかのものの象徴だからではない。むしろ何の象徴でもないからだ。あれを掃除することこそ、生きられた現実そのものであり、それ以上でもそれ以下でもないからだ」(p.222)。

「それ」は、他人からしても息子からしてもどうにも臭く撒き散らされた物体なのだが、唯一のオブジェでもあるのであって、そのかけがえのない意味は、息子たる語り手が独りきりで理解するよりほかないものなのだ。これは、文字通り、裸の(裸形の)父子関係なのだろう。

ここでふと、父性と息子について論じているエマニュエル・レヴィナスも念頭に浮かぶ。彼は、「私」という主体が、他者の「顔」を前にした倫理性から、女性的なものと間の閉じられたエロスを踏切板として、「息子」が生み出され、無限の時間が連接される繁殖性へと至るのだ、と論じていた。しかしその子どもとは、「我が子は異質の者であるが、それはたんに私のものではないだけでなく、その子が私でもあるからだ」というように(Totalité et infini, Livre de poche, p.299。以下はすべて私の戯訳)、私でありながら私ではなく、いわばもっとも近い他者であって、所有関係など成立しようがない。

「息子は、父の唯一性を受け継ぐが、しかし父に対しては外在的なものであり続ける。つまり、息子とは唯一の息子なのだ。それは数の問題ではない。父の息子はそれぞれ、かけがえのない息子、選ばれし息子である。息子に対する父の愛は、他者の唯一性そのものとの間にただ一つ存在しうる関係を成就させる」(p.311)。

子どもを授かるという表現もあるように、子どもとは、つくるものというより、生まれてくるものなのだろう。そういえば、フランス語でも、naîtreという語は、生まれるという状態の変化を表わす自動詞だった(もっとも、出産するという動詞accoucherもあるが)――もちろん、私が出産を身をもって経験することのできない男性だから、子どもは生まれるものだなどと、気楽なことを言えるのだろう。ともあれ、子どもは、老いていく私の無限ではなく、世代を貫き、その都度刷新される無限の時間の可能性である。レヴィナスは、父性の時間にかんして、次のように記していた。

「自我が、避けることのできない死という決定的なものを経て、他者のなかへと引き延ばされる父性のなかで、時間は、おのれの不連続性を通じて、老いや運命に打ち勝つのだ。父性――自己自身でありながら他者である方法――には、時を経る事柄のもつ同一性を乗り越えられないような時間における変容といったものや、自我が化身しか知りえず、他なる自我とはなりえないような何ぞやの輪廻転生といったものとは、何ら共通点がない」(p.314-315)。

閉じられる全体性に対して、閉じられることもなく閉じられてもならない他者、切っても切れない関係に置かれた他者という無限。きっと『ザ・ロード』の息子の旅路も、そして今後は彼に寄り添っていくことになる父の旅もまた、それぞれの有限性に裏打ちされた無限という形で続くことになるのかもしれない。そう思うと、私には、何となく勇気が湧いてくるのだった。といったところで、仕事が片付くわけではないのだけれど。

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名の残酷さ

・Henri Raczymov, Heinz, Gallimard, 2011

アンリ・ラクシモヴは、1948年に生まれた、フランスのユダヤ系の作家。恥ずかしながら、これまで読んだことがなかったのだが、最新作である本書がとある書評で取り上げられているのを見て、読んでみた。

本書は、ラクシモヴのアイデンティティにかんする物語。彼の名は、フランスでとてもありふれたアンリというものだが、この名は、彼の母親と祖母にとって大きな意味をもつばかりか、彼自身にとっては、重すぎる意味をもっている。というのも、アンリとは、第二次大戦中にフランスからマイダネク強制絶滅収容所に送られて殺された、彼の母方の伯父ハインツに由来しているからだ。

旧約聖書のイザヤ書56章5には、主のことばとして、「わたしは彼らのために、とこしえの名を与え/息子、娘を持つにまさる記念の名を/わたしの家、わたしの城壁に刻む。その名は決して消し去られることがない」と記されているが、名前は、とくにその名が不滅を目指したものであればなおさら、その名を担う者にとって、大いなる名誉であると同時に、ときとして、あまりに残酷に重くのしかかるものにもなりうるのではないか。

名づけるということについては、たとえばジャック・デリダが、「一つの名がやって来るとき、それはすぐさま名以上のもの、名の他者、端的に他なるものを語り、まさにそれらの侵入をこそ、その名は告げ知らせるのだ」といった議論を展開していたように思うが(『コーラ』守中高明訳、未来社、2004、p.9)、とりあえず措いておこう。ここで念頭に浮かぶのは、むしろ、レイモン・ラディゲの『肉体の悪魔』である。

これは、第一次大戦中に、ジャックという婚約者と結婚することになる年上の女性マルトと懇ろになり、孕ませた挙句に、状況をいかんとも打破できずに、彼女を病死させてしまう10代の少年の物語だった。そしてこの物語は、死にゆくマルトが、自分と語り手である主人公との間の子供に、まさに主人公の名を与えたことが分かる幕切れとなっていた。

「僕はたった一度だけジャックを見かけたが、それは数カ月のちのことであった。僕の父がマルトの水彩画を幾枚か持っていることを知っていたので、彼はそれを見たいと思ったのだった。われわれは、自分の愛している事と関係のあるものは、なんでも見たくなるのが常である。僕は、マルトが結婚を承知した男はどんな男か見たかった。/息を殺し、爪先立って、半ば開かれた扉の方へ歩いて行った。扉まで行ったとき、ちょうどこんな声が聞こえた。/「妻はあの子の名前を呼びながら死んでいきました。かわいそうな子供です! ですが、あの子がいればこそ、わたしも生きていけるというものではないでしょうか。」/絶望的な気持をじっと押さえているこんなにも立派な鰥夫を見て、僕は、世の中の物事は、長いうちにはおのずとまるく納まって行くものだと覚った。だって、マルトが僕の名前を呼びながら死んでいったことも、僕の子供が合法的に立派な生活をしていけるであろうことも、今わかったではないか」(新庄嘉章訳、新潮文庫、p.159)。

『肉体の悪魔』は、フランスの心理小説の伝統に連なる、巧みで鋭い心理分析に満ち溢れているので、若い頃、レオス・カラックスの『汚れた血』などとあわせて、とても熱中したものだが、今となっては、若いときにしかできない読書や映画の体験だったのだろうとも思う。ともあれ、この結末は、妻に先立たれた夫に残された子供には、彼の知らぬ間に、実はまるで無垢なものではない名が与えられているという、衝撃的なものだった。

機知や警句に富んだこの物語に比べると、ラクシモヴの本書は、はるかに重苦しく見える。というのも、ラクシモヴは本書のなかで、自分の名前の由来である伯父が、どこで誰にどのようにして捕えられたかを辿ろうとするからであり、それ以上に、伯父の足跡の探究が、自分と今は亡き母親との、どうしても打ち解けられなかった関係を作り直そうとする試みになっているからである。

彼の家族は、ポーランドからドイツ、そしてフランスへと移ってきた一家だが、大戦中、フランス西部のシャラント県に避難する。シャラントといえば、これまた心理小説の作家で、それまではまるで政治と無縁だったジャック・シャルドンヌが、ナチに迎合する住民たちを描くばかりか、彼自身、突如としてナチを礼賛し始める場所だった。そんななか、ハインツは、フランス警察に逮捕され、ドランシーを経て、アウシュヴィッツではなく、マイダネクに送られた。

「僕はハインツから何も受け継ごうとは思わない。彼は僕にとっては何者でもない、こんな知らない人は。この人は僕を邪魔してきた。この死者は僕の邪魔をしてきた。このもう一人のアンリ。本物の、最初のアンリ。アンリ1世は」と記すにもかかわらず(p.45)、アンリは、シャラントに赴いたり、各地の資料館に問い合わせたりして、彼の誕生以前にすでに亡くなった、この伯父が生存したしるしを執拗に探していく。彼を突き動かすのは、何よりも、母はほとんどそれについて語らなかったにもかかわらず、母との間につねに感じられてきた、伯父の「不在」を捉えようとする意志である。

「僕は、書物によって不在なるものを地中に埋めることができるものだと信じてきた。あるいは反対に、不在を手なづけられるものと。けれども、不在というやつは、言ってみれば、不在が具体的なものとなる場、不在が形作られ結晶化した場で、しかと理解しなければならないのだった。シャラントのジュヌイヤック、シャスヌイユで。それからネクソンの収容所で。それからドランシーの収容所で。それから最終地点であるポーランドのマイダネクで。そこでは、不在それ自体がガスで殺され、燃やされたのだった。そのとき、不在は、文字通り不在という名に値したのだ。何ものも、不在を覆い尽くすことはできないし、不在を黙らせることなどできない、と言えるのかもしれない。どんなことばであっても。沈黙であっても、沈黙でさえも」(p.114)。

18歳で逮捕され、19歳で亡くなったこの伯父は、アンリの祖母にとっては息子であり、アンリの母にとっては兄である。アンリは、母親に対する愛憎入り混じった感情から、とても悲痛な仮説を立てる。「僕の誕生は、祖母にとっては、自分の不幸をいくぶんかは埋め合わせる手段だった。母にとって、僕の誕生は、何も埋め合わせなかった。私が生まれたことで、彼女の損失は活性化されてしまった」と述べたうえで(p.99)、彼は次のように記す。

「僕の命は、祖母から見てどれほど貴重なものであり、25年私より早いもう一人のアンリの命の作り直しに見えたとしても、僕の命は、まさに、これと同じ理由から、アンナ[アンリの母]にとっては恐怖の対象だったのだ。[…]なかんずく、それは、まるで、マトル[アンリの祖母]の愛情の力がかつて自分の息子に向けられていたのは、もはや、今日、その生まれ変わり、すなわち孫にしか向けられないためであったかのように、僕の命は、アンナの母親の目には、厚かましいまでに貴重なものとして映ったからなのだ。だとすれば、そこにいる娘は? 娘だって、母親からの愛情をいくぶんかは受ける権利をもっていなかっただろうか。そんなことは過大な要求だったのか。きっと、これこそポイントだったのである」(pp.100-101)。
母が自分を愛さずに、夜な夜な踊りに行ったりしていたのは、母親自身が、その母親から愛されていないと感じていたばかりか、その母親の愛情を自分、まさに息子にほかならないこの自分が一身に奪い取ってしまったと感じていたからだ、というのである。

というわけで、本書は、アンリにとって、言うなれば「けりをつける」ためにどうしても書かなくてはならない物語だったのである。彼にあっては、ハインツ伯父の足跡、いやむしろ――突然逮捕され殺されているのだから――痕跡を辿ることは、大虐殺という歴史上の出来事を描くことに留まらず、戦後に生きる自分に至るまでの、きわめて私的でドロドロとした、親子の精神的な系譜を辿ることにほかならなかった。

「HD[ハインツのこと]は、1956年まで、彼の母親マトルの心のなかを、悲しみの形で通過し、1996年まで、彼の妹アンナの心のなかを、悔恨の形で通過した。そして今、僕の心のなかを、強迫観念の形で通過している。そしてこれが、彼にとって、旅路の果てとなるだろう」(p.123)。

このように見るならば、本書はあまりに痛切な物語にしか思われかねない。けれども、ラクジモヴは、同じく家族の消失を描くユダヤ系作家ジョルジュ・ペレックと、作品の色合いはかなり異なるものの、彼と同じように、重いテーマを扱いながらもユーモアに事欠いていない。

たとえば、アンリは、ハインツ叔父の成績まで調べてしまう。ところが、これが実のところ、芳しくないのだ。アンリは、「彼も6歳で、1930年10月1日に学校に入学した。[…]彼の先生の「所見」は、僕にはかなり情けないものに見える。思った通りだ。[…]素行は平均以下。怠惰。勉学はきわめて凡庸。努力の形跡なし。進捗なし。僕の母は、こんな愚か者をどうやって愛することができたのだろう」などと、容赦ない皮肉を交えて書き記している(p.117)。

歴史に翻弄された一家の物語を通じて、大虐殺に光を当てながらも、それと同時に自分と母親との関係を構築し直そうという、今となっては不可能な試みである本書は、畳み掛けるような文体と相俟って引き込まれてしまう。だが、それにしても、名づけるとはなんと困難なことであり、そして貴重なことなのだろう。

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子どもの文学

・高橋源一郎『さよなら、ニッポン』(文芸春秋、2011)

本書は、「ニッポンの小説2」との副題が付されており、2007年に刊行された『ニッポンの小説』の続編ではあるが、これだけ読んでも面白い。ただ、『ニッポンの小説』の冒頭でも記されていたような、何らかの現実に対してどのような言葉遣いで語るかということに対する問題意識は、本書にも共通しているように思われる。

本書で繰り返し問題にされているように見えるのは、既存の枠組みとそれがもたらす安直さである。小島信夫の『残光』を皮切りに、いわゆる小説らしさを目指し、読者に小説を読んでいるという安心感を与える文章を打ち破るような作品が、本書では取り上げられていく。そのとき、それらの作品を論じる批評という活動、つまりまさに自分がこれから行なう批評についても、いわゆる評論らしさが不可避的にもってしまう盲点が指摘される。

「[…]なにかある小説(作品)について論じようとする者は、誰でも、自分の意見を正当化しようと考える。その時、誰でもやってしまうのが、自分の意見を証明してくれるような箇所を引用することだ。逆にいうなら、自分の意見を否定するような箇所はなかなか引用してくれない、ということだ。だから、ある小説について書かれたものの中に出てくる引用は、信用してはいけないのである。/だとするなら、全文を引用するしかない」(p.13)。

このように記す著者は、文字通り、論じている作品を全文引用し始め、それが思わず笑いを誘うのだが、これなど、たとえば、『滞留』において、モーリス・ブランショの『私の死の瞬間』という作品を全文引用しながら、証言と文学について論じている、ジャック・デリダによる「テクスト」への取り組み方にとても似ているように見える。いわば、作品やテクストを解剖する前に、まずは、限りない敬意を払うこと。このことほど、あらかじめ確立された自分の考えに作品やテクストをしたがわせること、つまりは既存の結論を論証するために作品を用いることから遠いことはない(というわけで、本書を切り刻んで、自分の好きなテーマに引き付けて引用するこのブログなど、とても暴力的な振る舞いをしていることになる)。だから本書では、「正義のことば」に対しても疑問が呈される。

そういう著者がたどり着こうとするのが、ありきたりの枠組みを取り払われた現実である。カフカの『変身』やケストナーの『エーミールと探偵たち』などを論じられる箇所では、次のように記されている。

「「現実」の風景の特徴は、もう、繰り返し繰り返し、飽きるほど見たので、この風景ならぼくはよく知っている、と思いこんでいることだ。/それから、やはり、飽きるほど見たので、もうあまり見たくないと思っている、ということだ。/[…]「現実」というもののことを、ぼくたちは、ほんとうは知らない。なぜかというと、それを、見てはいないからだ。/「現実」というものは、みんなが見ているといい、そして確かにそれは存在しているともいっているので、自分も、何だか存在しているような気になっているだけなのだ。/しかし、そこで、なにかが起こる。/[…]なにかが起こる、とどうなる[…]。/「現実」の風景が、「現実」の風景のようには見えなくなってくる。/でも、そこになにかがあるのなら、やっぱり、なにかが見えるだろう。/それは、現実の風景だ。「現実」から「 」が抜けた風景が、そこには、ひろがっている」(p.243-244)。

あるいは、詩と小説との共通点について論じている章では、

「なにか表現したいものがあったら、それに向かって、マジメに、まっしぐらに突き進む、/ということです。/しかし、です。/「現実」というものは、そういうものなんでしょうか。/(たいていの)小説家や(多くの)詩人が書いているような、くっきりはっきりした「輪郭」なんて、ほんとにあるんでしょうか」(p.393)。

と述べられる。普通、私たちはすぐに、これは小説や詩だ、これはルポルタージュだ、これは論文だ、と判断できる。というか、そういう判断を意識する前に、そういうものとして読み始める。新聞の第1面を、小説のように読んだら面白いのかもしれないが、普段は文学として読むことはないし、『1984年』をルポルタージュとして読むこともない(『1984年』のような世界、という言い方はしばしばなされるけれど。別の文脈になるが、このところ、証言と体験というテーマに関心を向けている私としては、「物語(récit)」という軸を立てると、現実と文学という問題が少しは整理されるかと思っているが)。

そして、本書は、言葉というものは、現実というものをめぐる解釈の一つの枠組みであること、そして、言葉がある意味では解釈格子にすぎないということがすぐに忘れ去れてしまうということに注意を促す。サドの『ソドム120日』について、それは断じてポルノグラフィーではないとしながら、著者は次のように記す。

「[…]ここでは、作者の強靭な意志の下で、徹底的に「文学」が排除されているのである。/「文学」に繋がりうるもの、この世界の豊かさに繋がりうるものを、なぜ、ここまで、厳しく拒まねばならないのか。/それは、おそらく、かつて「規則」を覚えこまされたことを忘れないためである。/「規則」とは、本質的に「服従」の「規則」である。/その「規則」を忘れるとは、自分が「服従」させられていることを忘れることである。つまり、自分が「奴隷」の身分であることを」(p.496)。

もちろん、自由への恐怖(実際、「あなたのご自由に」と言われて困る局面は多々ある)や、判断や責任の回避(自分で判断することが面倒なときなどしばしばある)に基づく、いわゆる奴隷の幸福といったものは存在している。でも、それはあくまで一つの在り方でしかないということが忘れられて、そこに安住してしまうならば、リアルな現実をありきたりの「現実」に押し込めてしまい、現実の暴走を止めることができなくなってしまうだろう。

そこで、本書に何度か登場するのは、世界の基本的な解読格子たる言語を未だ知らず、大人を真似ることによって言葉を手に入れていく「子ども」である。

「子どもたちは、この世界の「ことば」を知らずに生まれてくる。だから、一生懸命、おとなたちがしゃべる「ことば」を真似してしゃべろうとする。/子どもたちは、その意味をはっきり理解して、しゃべっているのではない。ただ真似るのが嬉しいのだ。真似ることで、おとなたちが反応するのが嬉しいのだ。/その経験を通じて、子どもたちは「ことば」を覚えていく。[…]「ことば」を知らない子どもは、その「ことば」を使うことで、知らず知らず、「ことば」を成立させている「規則」を覚える。いや、強制的に覚えさせられる。/[…]「規則」を覚えた瞬間、その「規則」を覚えようとしていたことを忘れさせるものがある」(p.486-487)。

文学は「子ども」を示してくれる。他の人(「おとなたち」)を反応させ、その反応で嬉しさに満ち溢れている「子ども」のことばとしての文学。と、ここで、私にとって驚くことに、私の師匠の一人であるローラン・ジェニーの言葉が思い起こされてくる。彼は、「文彩(figure)」について論じるなかで、文彩とは、目を引く表現であると同時に、おのれが言語であるということそれ自体に注意を向けさせる出来事なのだという。「文彩」とはありきたりな表現でも、ありきたりな「文学的表現」でもなく、ことばに関心を惹きつける言語表現だというのだ。そして彼は、こう述べていたのだった。

「子どもは、何度でもfort-da遊び(いないいないばあ)を繰り返すよう余儀なくされ、詩人は、文彩としての表現の性格を何度でも作り直して進展させるよう余儀なくされる。[…]それぞれの文彩は、「原初的なもの」の輪を作り直し、ラングをラングの出現の場にまで連れ戻す。[…]「生けるラング」とは、ラングの創設をめぐるたえざる作業に繋がれている場合にしか存在しないし、「生き生きとしたパロール」とは、ラングが問い質されるときにしか存在しない」(Laurent Jenny, La parole singulière, Belin, 1990, p.104-105)。

「生ける言語」は原初なるものに結ばれている。この「原初」を、「」なしの現実、あるいは、ことばを覚えるころの子ども、に置き換えても、それほど原文からは遠くないのではなかろうか。ことばと現実(世界と言ってもいいかもしれない)の関係というか可能性を、文学が見せてくれることは、とても楽しい。(方法を知らないだけかもしれないが、外国語の書籍が右のリストに挙げられないのは残念)

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