謹賀新年
このブログを始めてから、早いもので8年近く。
すっかり更新しなくなってしまったが、昨年読んだ主な本のタイトルだけでも書き留めておきたい。私的なメモでしかないけれど、そうでもしないと、何を読んだか、本当に忘れてしまう。
昨年は、なんといっても、ワシーリー・グロスマン『人生と運命』(齋藤紘一訳、みすず書房)。仏訳はこれまで積読していたけれど、日本語訳が出て、一気に読了。個の力ではいかんともしがたい全体主義の現実のなかで、それでも、運命に逆らえない人生などないはずだと考えさせられる。
山本譲司『獄窓記』『累犯障害者』(ともに新潮文庫)、『続 獄窓記』(ポプラ社)に描かれている、「福祉の最後の砦となってしまっている刑務所」の現実について、恥ずかしながら、これまでまったく知らなかった。そして、鈴木文治『ホームレス障害者』(日本評論社)で指摘される、ホームレスの3割以上に障害があるという事実についても。
こうした現実と、たとえば、立岩真也『良い死』(筑摩書房)や、小泉義之『生殖の哲学』(河出書房)、あるいは、森岡正博『生命学に何ができるか』(勁草書房)などで執拗に問い直される、生政治に回収されない人間の「生命」をめぐる思考は、出生前診断が「研究」の名の下に手軽なものになりつつある時代、そして他方で、熊田梨恵『救児の人々』(ロハスメディア)で問われるように、最先端の新生児医療が巨額の金銭と、何よりも最前線の医師の超人的な過剰労働によって支えられている時代にあって、はたしてどのように結ばれるか、あるいは切り離されるべきか。
大江健三郎『個人的な体験』(新潮文庫)の力強く普遍的なヒューマニズムもさることながら、小野正嗣「獅子渡り鼻」(『群像』11月号)で、いっさいを包容する「いーんじゃが、いーんじゃが」との言葉、さらには、安易な美談を厳しく退けるコメディー映画、『39窃盗団』の登場人物たちの、心を打つ「たくましさ」がむしろ、一つの道筋になるだろうか。
東野圭吾『容疑者Xの献身』(文春文庫)と矢作俊彦『ららら科學の子』(文春文庫)はまるで異なる作品だけれど、どちらにも、ホームレスが言わば「誰でもいい人」として登場する。でも、「誰でもいい人」とは、いったい誰なのだろう。
シルリ・ギルバート『ホロコーストの音楽』(二階宗人訳、みすず書房)は、以前読んだパスカル・キニャール『音楽への憎しみ』やシモン・ラックス『アウシュヴィッツの奇蹟』と同じく、虐殺に加担してしまう音楽の側面を抉り出している。殺戮と抵抗とが簡単かつ明確に区分できないなかで、それでも、明確に殺す人と殺される人とが存在してしまうのが恐ろしい。
とはいえ、現代は過去よりまともなのか。赤坂真理『東京プリズン』(河出書房)を読むと、きな臭くなってきたこの時代にあって、やはり「戦後」をきちんと考える必要を痛感させられる。
これ以外にも面白かった本はあるし、論文などを準備するなかで心に残っている書物もあるけれど、それはまたいずれ論文などでまとめねばなるまい。というわけで、やはり、なんともマイペースなブログになってしまうことがすでに予想される。
ともあれ、このブログを訪れてくださる方にとって、今年がよい年でありますようお祈り申し上げます。
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