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呪われた作家たち10

 

 プロヴァンス地方の高地。うらびれた農村にやってきた流れ者のボビは、農民の一人にこう告げる。「あんたは、世界をどうしても愛してしまうようにできているんだよ」(ジャン・ジオノ『喜びは永遠に残る』山本省訳、河出書房新社。ジャン・ジオノの『喜びは永遠に残る』は、これをきっかけに農村の人々に交流がもたらされる物語。彼らは次第に、自然の中に生きる生命の喜びを感じるようになるのだが…… 


 
1895年南仏生まれで独学の作家ジオノは、山間の自然を舞台にした農民や職人たちの、いささか苦みを含みながらも心温まる物語を描き続けた。戦前からすでに人気のあったそんな彼の名が、パリ解放後に対独協力作家の粛清を進めた全国作家委員会(CNE)による「望ましからぬ作家のリスト」に見出されることは、とても意外にも思われる。彼はまるで党派的ではなかったからだ。だが彼は「生涯を通じてしばしば起こったことだが、種々の陣営から声をかけられ、またその結果、種々の対立陣営から攻撃された」のである(Pierre Citron, Jean Giono, Seuil

 第一次大戦に従軍したジオノは、それ以来、平和主義者となる。第二次大戦直前の
19396月に「平和主義者たらんとする勇気をもたぬ者は軍人である」と記した彼は(Jean Giono, Recherche dela pureté, in Récits et essais, Gallimard, col. Pléiade、同年9月の開戦時には徴兵のポスターに「Non」と記すなど反戦を唱えたが、その数日後、驚くべきことについに動員令に応じてしまい、平和主義の仲間たちの顰蹙を買うことになる。しかしいざ召集されてみると、今度はその直前の反戦活動を咎められ、逮捕された挙げ句に2ヶ月間拘留されるのである。

 戦前から、物質主義的な都市文化に対抗する農民たちの反乱を思い描いていた彼は、フランスの敗戦を、パリに代表される旧秩序の一掃として捉えたものの、釈放後には政治的な文章を書かず、大戦中は、かねてから取り組んでいた『白鯨』の仏訳をはじめとして、もっぱら文学的な作品を出版している。しかも大戦中、彼は自宅にドイツ人のコミュニストやユダヤ人を匿っており、脱走兵や、援助を求めに来た人たちを助けたりもしていた。それゆえ「
19448月、フランス暫定政府の南西部担当委員がここにやって来るや「何だと?まだジオノを逮捕していないのか」と述べたと周囲が繰り返し説得しても、彼は自分の住む町を離れることなど考えなかったのである」(Pierre Assouline, L’épuration des intellectuels, Complexe

 とはいえ、当時、彼が文章を発表していたのは、ピエール・ドリュ・ラ・ロシェルが編集する親独的な『新フランス評論』であり、あるいは、対独協力路線を歩んでいたアルフォンス・ド・シャトーブリアンの雑誌『ラ・ジェルブ』なのだった。また彼は、何度かパリに赴き、ドイツ軍の闊歩する文壇に交わり、第
2回ワイマール旅行に招待されてもいる。またしても不器用なことに、彼は、直後に断ることになるものの一旦はこの招待を承諾してしまう。さらに、彼が作品で描いてきた「大地への回帰」がヴィシー派によって流用されたことに加え、ドイツの雑誌に彼の紹介記事が写真入りで掲載されたこともあった。

 そして、これらの事柄によって、ジオノは対独協力者として名指されるばかりか、トリスタン・ツァラから「ドイツ野郎が現われ、ディドロ、ボードレール、ランボーの言葉が裏切りに利用されるところではどこでも、ジオノは露骨に卑劣な態度を取った」と痛烈に批判されるのである(
Pierre Citron, op.cit.. なお、この批判については、後にジョルジュ・デュアメルらが取り消させようとしている

 その一方で彼は、相も変わらぬ平和主義者であることによって、大戦中、断固たる対独協力派からもまた、疑わしく思われていた。「[…]親独的で反ユダヤ主義の『オ・ピロリ』誌では「ガリマールと美しき仲間たち」が槍玉に挙げられ、シュルレアリストやシオニスト、反ナチ(マルロー)に加えてジオノのような平和主義者の文章を発表しているとして攻撃されていた」のであり(
Pierre Citron, ibid.43年には、戯曲『四輪馬車の旅』がレジスタンスを想起させるとして、ドイツ当局によって上演禁止の憂き目にあっているのだ。しかしながら、彼は449月、今度はレジスタンス派によって捕えられ、6ヶ月近く拘留されるのである。

 ジオノは、
1930年代の一時期コミュニズムに接近しはしたが、ソ連に幻滅してけっしてコミュニストにはならなかったし――このことはCNEのルイ・アラゴンの心証を害していた――、大戦中に親独的雑誌に文章を発表していたが、ファシストではなかった。まさしく「ジオノはあらゆる政治を嫌うといったが、その結果最悪の政治を耐え忍ぶ」こととなったのである(ゲルハルト・ヘラー『占領下のパリ文化人』大久保敏彦訳、白水社

 しかし、身近な人を助けながらも、開戦当初はフランス軍から睨まれ、大戦中は対独協力者から不信の目を向けられ、パリ解放後はレジスタンスから対独協力者として扱われるなど、一見すると一貫性を欠くジオノの遍歴は、「平和主義者はいつも孤独だ」という自身の言葉どおり、妥協を知らぬ独立不羈の現われにほかならなかったのであり、
たとえそれが傍から見て首尾一貫しないものに見えたとしても、たいしたことではなかったのである。

 

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