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呪われた作家たち5

 パトリック・モディアノが脚本に参加したルイ・マル監督の映画『ルシアンの青春』は、フランス全土がドイツに占領された第二次大戦末期のフランス南西部で、レジスタンスに関心を抱きながらも、まったくの偶然からゲシュタポの手先となった若者の姿を描いている。

 舞台は、
1936年の人民戦線内閣時代に解雇された元警部が、第三共和制に復讐せんとばかりにドイツに協力している地元の警察署。そこでは、ドイツ軍・警察に率先して協力する女性が、ユダヤ人やレジスタンスなどを密告するフランス人たちの手紙の多さに辟易するシーンが見られる。曰く、「1日に約200通」の手紙が届くなんて「まるで熱病」のようだわ、と。

 当時のフランスにおいて、密告は、不幸なことに、それほど珍しいことではなかったようだ。たとえば、ガリマール社でピエール・ドリュ・ラ・ロシェルに『新フランス評論』の編集を任せる傍ら、レジスタンスの出版活動に勤しんでいたジャン・ポーランは、友人であるマルセル・ジュアンドーの妻エリーズに密告されている。ポーランは、ジュアンドーの標榜していた反ユダヤ主義について、「ユダヤ人に対する認識では君に賛成できなかった。人を判断するのにその人の精神以外のものに頼るなんて不当だと思うのだよ」
などと述べて不快感は示していたものの(Jean Paulhan, Choix de lettres, tome II, Gallimard)、その文才を買っており、親交が深かっただけに衝撃は大きく、後に、ジュアンドーからの招待を断る理由として、「私は、君の方から、「家に来るなら…時頃にしてくれ。妻は確実に不在にしているから」と言ってくれるのを待っていた節もあるんだ」との手紙を送っている(ibid.)。とはいえ、ポーランの場合、検閲官のゲルハルト・ヘラ―が捜索についてあらかじめ知らせてくれたおかげで難を逃れられた。

 しかし、ユダヤ人や反ドイツ勢力の人々の多くにとって、密告されることはすなわち、パリ北東部のドランシー中継収容所、ひいてはそこからアウシュヴィッツに送られることを意味していたのである。


 確かに、密告という破廉恥な行為にも、種々の側面があった。何より、密告者にはしばしば報奨金が払われたし、私怨を晴らすために密告がなされる場合もあった。なるほど、行政からの奨励に盲目的に従って行われた場合もあり、そうした手紙の多くは実際、「善良なるフランス人として」、「愛国心あふれる市民として」、「良きカトリック教徒として」などと書き始められている
André Halimi, La délation sous l’Occupation, L'Harmattan)。

 だが、密告は金銭欲や歪んだ義務感からなされただけではない。ピエール・アスリーヌは、とうてい断れないような交換条件をフランス警察から巧妙に切り出されて、ついに親しいユダヤ人を告発して強制収容所に送ってしまった女性の悲劇を、『密告』(白井成雄訳、作品社)という物語で描いている。


 言うまでもなく、当時のフランス人たちがみな、密告という気の滅入るような挙に出たり、それに怯えたりしていたわけでない。しかしながら、当時のフランスでの一般的な生活は、物資が困窮し配給が滞ったり闇市で物価が高騰したりするなど、けっして安逸なものではなかったし(たとえば、
1941年頃、ロレーヌ地方の8人家族の家庭は、卵一個2,5フラン、鶏一羽100フランする時勢に一月850フランで生活しなければならなかったという(Dominique Veillon, Vivre et survivre en France 1939-1947, Payot、事態は1944年夏にパリが解放されてからも一向に改善されなかった

 そして、社会生活において「多くのフランス人にな
じみがあったのは、レジスタンスでもコラボラシオンでもなくて沈黙であった」のである(渡辺和行『ナチ占領下のフランス』講談社選書メチエ)。

 出版物に検閲が課されて表現の自由が厳しく制限されるばかりか、読者である市井の人々にもまた沈黙が重くのしかかっていた時代。そのようなときにも、ベストセラーとなる書物があった。フランス共和制に対してのみならず、ヴィシー派に立ったアクシオン・フランセーズの弱腰に対してまでの罵詈雑言や呪詛と、反ユダヤ主義やナチズムへの誰憚ることのない独善的な称賛とに満ちた、リュシアン・ルバテの大著、『残骸』がそれである(池部雅英訳、国書刊行会)。

 今日ではまるで顧みられなくなったこの書は、ロベール・ブラジヤックやルイ=フェルディナン・セリーヌの書物を刊行していたドノエル社から
1942年に出版されるや、初版の2万部がわずか3週間で売り切れ、1944年まで増刷を重ねて、最終的には約10万部(それも用紙の配給が途絶えたためこれ以上は印刷できなかったのだが)が売れるなど、文字通り電撃的な成功を収めたのである。

 パリのリヴォリ通りに鍵十字の旗が翻っていたこの
時代、人々は、息詰まるような社会のなかで『残骸』をむさぼるように読んだわけだが、それにしても、彼らは一体そこに何を見出したのだろうか。

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