« 2014年9月 | トップページ | 2014年11月 »

「本音」の悪魔のような囁き

・フランツ・ルツィウス『灰色のバスがやってきた』(山下公子訳、草思社、1991年)
・田野大輔『愛と欲望のナチズム』(講談社メチエ、2012年)

今日では、ナチスによる大量虐殺が、ユダヤ人やレジスタンスやロマやエホバの証人の信徒、同性愛者だけではなく、さまざまな障害者たちをも対象にしていたことは、よく知られている。でもなぜ、障害者が抹殺の対象なのか。それは、彼ら彼女らが、「生産」しないとされたからである。

本書は、教会が運営する障害者の福祉施設を舞台に、「安楽死」作戦とそれへの抵抗に題材をとったノンフィクション・ノベル。この作戦は、ドイツ各地の福祉施設で生活していた障害者たちをガスや薬物投与によって「安楽死」させるもので、1939年から41年まで続けられ、その後も終戦間際まで、統制の形を変えて続行された。40年4月からは、安楽死管理局がベルリンのティーアガルテン通4番地に設置されたことから、T4作戦とも呼ばれる。

これは、ユダヤ人絶滅作戦の地ならしでもあった。というのも、T4作戦に従事していたイルムフリート・エーベルルやフランツ・シュタングルはトレブリンカに、クリスチャン・ヴィルトはベウジェッツをはじめとした各絶滅収容所に勤務するなど、人事が繋がっていたからだ。「ユダヤ問題の最終解決」を目指したラインハルト作戦に従事する職員の「約20%がT4中央執行機関で働いていた職員」だったという(木畑和子「第二次世界大戦下のドイツにおける「安楽死」問題」、『1939――ドイツ第三帝国と第二次世界大戦』同文館、1989年、258ページ)。

「「T4作戦」は、大量殺戮の精神面、技術面の母胎である。「安楽死」と「ユダヤ人問題」とは時系列的につながる。どちらも同じ生物学的な論理をもつ。[…]/強制収容所での拘束とジェノサイドは、生物学的言辞を弄する全体主義思想、つまり生命の完全なる政治的支配の欲求にその根本が見つけられよう。「T4作戦」は、生権力の到来を犯罪的なまでに浮かび上がらせる。」(ジョルジュ・ベンスサン『ショアーの歴史』白水社、文庫クセジュ、69ページ)

これ以前にもすでに、障害者が生まれないようにすべく、20世紀初頭から、各国で障害者に対する断種が行われていたし、ドイツでも、1933年に断種法が制定されていた。だがドイツでは、第一次大戦の傷跡も生々しい1920年に、『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』(『「生きるに値しない命」とは誰のことか』森下直貴・佐野誠訳、窓社、2001年所収)が法学者のカール・ビンディングと医者のアルフレート・ホッヘによって発表されていた。これは、治癒不可能な「白痴」が、勤労者や兵士たちが命を落としているなかでも手厚い保護を受けていることの「不条理」を解消すべく、医師による彼ら彼女らの死を合法化する、という主張だった。

「法益たる資格が甚だしく損なわれたがために、生[命]を存続させることが、その担い手自身にとっても、社会にとっても一切の価値を持続的に失ってしまったような人の生[命]というものは、あろうか」とビンディングが記せば(36ページ)、「経済面に関するかぎり、極度知的障害者こそは、完全なる精神的な死のすべての前提条件を一番に満たすと同時に、誰にとっても最も重荷となる連中となろう」とホッヘが歩を進めて答えるのだった(77ページ)。

そもそも、「医師層はナチ党への加入率が国民全体平均の加入率よりもはるかに高い層」だったにしても(ティル・バスチアン『恐ろしい医師たち』山本啓一訳、かもがわ出版、2005年、41ページ)、ここには、他人の命よりカネが大事、という前提がはしなくも露呈している。それゆえ、ルツィウスのこの物語のなかでも、安楽死施設の看護人から次のような台詞が出ることになる。

「平然として看護人はヴィリー〔60年間施設で暮らしてきた精神障害者〕に向かって言いはなった。「60年もエッセンの施設にいたんだって? そいつはちょっとエサのやりすぎだあな、じいさんよ」」(158ページ)

この言葉はいったい何なのか。これは、えげつない「本音」にほかならない。自分たちが苦しんでいるのは、役立たずのこいつらの割を食っているからだ、という浅ましい考えだ。社会が窮屈になればなるほど、勢いを増すであろう態度でもある。だが、いったい誰が、どんな権利の下に、他人を「役に立つ/役に立たない」などと判断できるのか。それができるのは、時間を超越した存在だけなのではないか。そもそも「役に立つ」などという基準は何なのか。

人間はどれほど多面的に物事を考えようと、そこにはつねに限界がある。そして、その限界がどのようなものかは分からないが、ともかく限界があるということは分かる。ジャン・ポーランはそれを、「全体性の幻想」と呼んだのだった。

「警察が半年前から捜していたエドゥアール・ジャリの殺人犯は、ひょんなことから足がついた。ある日、通りにいた一人の男性が、突然走り出し、一件の住宅に飛び込み、管理人を突き飛ばした挙句、階段を駆け上がって屋根の上に逃げていったのである。みんな呆気にとられてしまったものの、警報が鳴らされた。警察が現場に到着。その男性は6時間後、女中部屋で見つかった。彼は、自分が当の殺人犯であり、司直に追われている人物であることをすらすらと自供した。――ではなぜ、彼は逃げたのか。それは、彼が、自分の方へ一人の警官が走り寄ってくるのを見たからだった。調査の結果、彼に走り寄ったというその警官は、家族をもった良きパパであり、バスに乗り遅れまいとして走っていただけであることが判明した。」(『百フランのための殺人犯』書肆心水、2013年)

犯罪者は、警官が24時間警官であり続けると思ってしまう。考えることのできる人なら誰しも、何事につけ、この犯人と同じような推論をしてしまうものだが、自分もその例に漏れないということだけは意識することができるはずだ。

また、ルツィウスの本書は、「「生きる価値なき」生命を救うための、安楽死に対する闘いの敗因は、施設責任者、看護婦、施設役員、職員にあったのではない。教会がこの戦いを敗北に導いたのである」と断じている点でも(169ページ)、注目される。ドイツのガレン司教が抗議の声を上げたことで、「安楽死」作戦は中止されたと見なされてきたからである。だが実際は、この作戦はより隠密に継続されることになってしまうのだった。

ところで、以前読んだ、メヒティルト・ボルマンの『沈黙を破る者』(赤坂桃子訳、河出書房新社、2014年)では、第二次大戦直前から大戦中の若者たちの恋愛――異性愛、同性愛、外国人との恋愛――が大きな役割を果たしていたので、実際のところ、この点で当時の人々はどのような私生活を送っていたのかと思って読んだのが、『愛と欲望のナチズム』。

抑圧的と思われがちなナチス時代、ドイツでは、実のところ、市民道徳が偽善として批判され、性の解放が主張されていたという。

「性愛の賛美は、子孫の繁殖をめざす出生奨励策の装飾にとどまるものではなかった。重要なのは、ナチズムが旧来の禁欲的な性道徳を否定し、現生肯定的・自然主義的な世界観を提示することで、性愛の喜びを享受するよう人々を鼓舞していた点である。欲求の充足を促された個々人は、そのことによって体制への忠誠心を高めるとともに、子供の出生を通じて体制に奉仕し、公的な栄誉を獲得する。」(22ページ)

性愛が体制から肯定されることで、人々は私生活をも動員されることになるというのだ。こうして、「健康で美しい」ヌードが氾濫し、「自然な」性欲が掻き立てられる一方で、男性の同性愛は、親衛隊をはじめとする男性集団に広まる恐れがあるとして、「再教育」や処罰の対象とされたという。ただ、同性愛の原因を探ろうとするヒムラーの関心もあって、「同性愛者が強制収容所にいたるまでの過程は複雑で、迫害の理由も一貫していなかった」(77ページ)。

そして、外国人とドイツ人女性の恋愛は『沈黙を破る者』でも重要なエピソードとなっていたが、ナチスは、ドイツ人の血の純潔を唱えていたにもかかわらず、「処罰の対象とされたのはドイツ人女性と外国人男性の性的関係だけであり、ドイツ人男性と外国人女性の関係はほとんど問題とされなかった」(209ページ)。フランスでも、ドイツ兵と懇ろになった女性が公衆の面前でリンチされたり、彼女たちの子供が「ボッシュの子」と蔑まれたという話があったが、父親たる男性は、なるほど、処罰の対象にはならなかったわけなのだ。

ともあれ、こうして眺めると、「能力のない人々が、自分たちの税金でただ飯食ってるのは許せないだろ」だとか、「いい女と寝たいだろ」といった、本来は後ろ暗い「本音」めいた事柄が、誰憚ることなく声高に主張されるようになってしまうのは、とても危険なことだと思う。こうしたタイプの立論には何を言っても無駄であるように思われるのが、恐ろしくもあり、歯痒くもある。というのも、誰にだって生きる権利はあるはずだと反論すれば、「お前は自分のカネが惜しくないのか」というようにすべてを金に還元されてしまうし、貞操によって守られるものがあるはずだと反論すれば、「きれいごとはうんざりだ」と市民的道徳観を嘲笑されてしまうのがオチだからだ。そしてナチスは、「健全」を旗印に、悪魔の囁きのようなこういう「本音」を厚かましくも公然と掲げたのだろうし、だからこそ大衆の支持を集めたという部分もあるのだろう。

今の社会にも、「本音」をめぐるこうした雰囲気が瀰漫してはいまいか。たとえば、「使える/使えない」という言葉遣いが、日常的に他の人間に対して用いられる状況を目の当たりにすると、私などは落胆してしまう。そんな言葉が人間に対して用いられるということは、第一、とても気色悪い、グロテスクなことではないか。でも、ひとたび「使える/使えない」という枠組みに囚われてしまうと、自分も他人から「使える」人間として評価されるべく努力せざるをえなくなるのだという点は、たとえその枠組みのなかで生きるにしても、意識しておいた方がいいのだろうと思っている。それこそはきっと、失ってならないかけがえのないものを失わないための数少ない方法の一つだろうから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

勇気に威勢はない

・メヒティルト・ボルマン『沈黙を破る者』(赤坂桃子訳、河出書房新社、2014年)

本書は、ドイツを舞台に、ひょんなことから亡父の過去を探ることになった男をきっかけとして、現代に起こった殺人事件から、第二次大戦期や戦争直後の出来事が次第に明らかにされていくミステリー。出来事とはいえ、それは、大きな歴史に呑まれてしまう日々の営みがつねにそうであるように、複合的で容易な整理を許さない類のものだ。しかも、物語は、各章に日付が記され、現在と過去とを往復しながら展開されていくので、過去というものがどれほど現在の一部であり続けるものなのか、ひしひしと感じられる。

1930年代末、とても仲の良かった6人の若者は、戦争が始まるや、それぞれの道を突き進んでいく。ある者は親衛隊に入り、ある者は労働奉仕団に入団するが、面白いのは、彼ら彼女らのそれぞれが、恋愛感情という非常に個人的な動機をもって運命に飛び込んでいくことだ。非常時には誰もが恋愛を思い煩わなくなるなどということはないだろうし、どのような状況下であれ、人々、とりわけ若者は、愛し愛されたいという当たり前の欲望を抱くものだろう。

と同時に、本書の登場人物は、ほとんど全員が、深い悲しみを抱えているように見える。でも、「悲しむ時間がないというのは、人間存在のひとつの次元を失うこと」と登場人物の一人が述べるのが過去を回想しながらであるように(212ページ)、今という瞬間に束縛されざるをえない非常時――そもそも非常時とは、今のことしか考えられなくなる事態なのではないか――から時を隔てて初めて認識される感情というのもあるだろう。それは、幸せかどうかは別として、きわめて人間的で豊かな感情であるに違いない。

そして目を惹くことに、本書のなかで、色々な人を匿うへーファー家の父親や、当局から睨まれながらも医師として活動し続けたテレーゼの父親、そして現在の殺人事件を捜査する警察官カールといった、義を通そうとする人がおしなべて、物静かな人として描かれているのだ。本当の勇気には、大言壮語はおろか、威勢の良さなど、無縁なのだろう。

この点で思い起こされるのは、カナダの作家ジェニー・ウィテリック『ホロコーストを逃れて』(池田年穂訳、水声社、2014年)。これは、第二次大戦期、ドイツ支配下のガリツィア(現在のウクライナ西部)で、ユダヤ人ばかりか、ドイツの脱走兵をも自宅に匿った、女性の実話に基づいた小説。

娘のヘレナと二人で暮らす主人公のフランチシカは、自宅に彼らを匿っているにもかかわらず、ドイツ軍の指揮官を夕食に招待する。そうすることで、占領者たちの注意が自分に向かわないように図るのだ。そして、その様子を屋根裏から覗く脱走兵ヴィルハイムは、こう呟くのだった。

「僕は、いつでも、勇敢な人間というのは怖がらないものだと考えていた。フランチシカとヘレナに出遭って、僕は勇敢な人間も他のみんなと同じで怖がっているのだと分かる。勇敢な人間は、怖いにもかかわらずそのように振る舞うのだ。」(173ページ)

恐怖を超える落ち着き。それが恐らく、勇気と呼ばれるもの、あるいは少なくともその一面である。

だが、単なる偏見なのだが、本書は、ヨーロッパ大陸を舞台にしているにもかかわらず、ヤード法の度量衡が記されてしまうあたりに詰めの甘さを感じてしまい、率直なところ、第二次大戦期の東欧市民たちの目立たぬレジスタンスが、小説のネタとして単に「利用」されている感が拭えなかった。

虚構を通じて、過去の時代の雰囲気がそこはかとなく感じられるようになる経験はたびたびあるし、過去の出来事はいろいろな形で語り継がねばならないとしても、それでもやはり、困ったときのネタのように、戦争やナチが舞台に乗せられるというのは、「ホロコースト産業」を前にしたときのように、いささか食傷しかねない。そんななか、『沈黙を破る者』は、戦争を知る世代の父親がひた隠しにしてきた事柄にけりをつけるのも、事情を知らぬまま先行世代の過去に土足で立ち入ろうとして犠牲になるのも、どちらも、その子供の世代であるという点で、きわめて興味深い。まるで、過去については、語り続けよ、だが理解したとは思うな、という相反する命令が、過去を経験していない人々に対して下されているかのようなのだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

寄り添うこと、待つこと

・高橋源一郎『101年目の孤独』(岩波書店、2013年)

文学なるものが、賢い人たちのものになっているように見えるのはなぜだろう。なんだか息苦しいというか、堅苦しいというか。もちろん、現在では、話を聞いたり物語ったりするよりも、文字を書いたり読んだりすることを通じて作品に接することがほとんどだから、文字を読むことのできない人にとっては、文学は、残念ながら遠いものになってしまうのかもしれない。とはいえ……

私が高橋の作品を好きなのは、彼が、どのような言葉をもまずは受け取ってみるという姿勢において揺るがないからだ。たとえば、手洗いに飾る家もあるくらい人気なのに、あまり正面から取り上げられない相田みつをの詩を、きちんと読んでみるのだ(『国民のコトバ』毎日新聞社、2013年)。

本書は、そんな著者が、「みんなの心に冷たい風のようなものが吹いているような気がする」「ニッポンという国」で(viページ)、その周縁に位置づけられているかのような人々――絵を描く障害者や障害者の劇団、ホスピスの子供たちなど――に寄り添おうとした記録。そう、本書には、寄り添うという言葉がしっくりくる。

もっとも、たとえば、「脳性麻痺でまともにあるけずしゃべれない役者や、手や脚がなく、転がることしかできない役者たちが、テレビに出てきて、コメディをやり、コマーシャルで商品を宣伝する。それは、この資本主義の世界にミサイルを打ちこむようなものだろう。それは、原発がない世界よりも、もっとずっと遥かにすさまじく、新しい世界だろう。/そんな日がいつか来るのだろうか。わたしにはわからない。けれども、その世界に住む人びとは、いまよりもずっと幸せな気がするのである」という言葉などは(32ページ)、いささか楽観的にすぎるという気もする。

あくまでも寄り添うつもりの人からすれば、そのような場合、たしかに、幸せな驚きが生まれるのかもしれない。そういう人は、当事者から見て、「笑わせる」対象になったりもするだろう。

でも、同情するばかりの人や馬鹿にするだけの人など、寄り添う気のない人からすれば、そうした役者たちは、「笑われる」だけの状態に陥ってしまうのではないか、それでは単なるいじめになってしまうのではないか、と思うのだ。それに、彼らの日常は続いていくにもかかわらず、そのような彼らが資本主義の世界に取り込まれると、すぐに「消費」され、飽きられて――いわゆる「泣ける」対象に祭り上げられて――、直ちに忘れ去られてしまう懼れはあるまいか。とはいえ、「笑われる」状態から「笑わせる」状態が生じるかもしれないと考えると、「笑われる」ことを心配しすぎてもいけないのかもしれない。

ともあれ、著者は、社会のメインストリームからは退けられる「弱さ」なるものが、けっして「弱さ」などではないということを強調する。そしてこのことは、無反省に「弱者」だとか、「被抑圧者」といったレッテルを張ってしまう「善意」の人たちに対する警告でもあるだろう。つまり、「弱い」のは、おのれの弱さを忘れている「ふつう」の人としての「わたしたち」ではないのか、と。

「彼らの住む世界は、わたしたちの世界、「ふつう」の人びと、「健常者」と呼ばれる人びとの住む世界とは少し違う。彼らは、わたしたちとは、異なった論理で生きている。一見して「弱く」見える彼らは、わたしたちの庇護を必要としているように見える。
 だが、彼らの世界を歩いていて、わたしたちは突然、気づくのである。彼らがわたしたちを必要としているのではない、わたしたちが彼らを必要としているのではないか、ということに。
 彼ら「弱者」と呼ばれる人びとは、静かに、彼らを包む世界に耳をかたむけながら生きている。[…]ゆっくりと生きていると、目に入ってくるものがある。耳から聞こえてくるものがある。それらはすべて、わたしたち、「ふつう」の人たちが、見えなくなっているもの、聞こえなくなっているものだ。[…]彼らこそ、「生きている」のである。
 「文学」や「小説」もまた、目を凝らし、耳を澄まさなければ、ほんとうは、そこで何が起こっているのか、わからない世界なのだ。」(118ページ)

耳を澄ますこと、目を凝らすこと。著者はこうして、文学というものがこうした「「弱者」とよばれる人びと」に似ていることを指摘する。文学が遠くなったように感じるのは、私が見方と聴き方を忘れてしまったせいなのかもしれない。ここでは、鷲田清一による、「ことばが「注意」をもって聴き取られることが必要なのではない。「注意」をもって聴く耳があって、はじめてことばがうまれるのである」という指摘が思い浮かぶが(『「聴く」ことの力』、阪急コミュニケーションズ、1999年、163ページ)、実のところ、この高橋の文言と似たような言葉が、文学の対蹠点にいる医師の文章に読まれるかに見えるのは、別段、驚くべきことではないのかもしれない。

「障害新生児を授かるというのは誰にとっても耐えがたい不条理な苦痛である。しかしだからと言って、子どもを手放したり家庭を棄ててしまう親はほとんどいない。逃げることは叶わずその辛さに向き合わざるを得ない。長い時間をかけて、受け容れたり反発したりしながら、徐々に前へ進んでいく。医療関係者はそのことを知らなければならない。建前だけの倫理で家族を説得し従わせるのは実は倫理的ではない。時間はかかっても、両親はやがて新しい価値基準を構築し始めるはずだ。家族が悲哀の底から立ち上がるのを、待ち続ける根気を医師は持たなければならない。」(松永正訓『運命の子』小学館、2013年、218ページ)

これは、13トリソミーという重度の障害のある子供とその家族に寄り添いつつ(実際、本書では「寄り添う」という表現が多用されている)、生命倫理を考え続ける小児外科医の記録。いくつもの症例や家族に向き合ってきたうえで到達されたこの「待ち続ける」という境地は、目を凝らし、耳を澄ませるということにほかならないか、少なくとも、きわめて近いことのように思われる。

というのも、「おのずからという、そういう自生が起こるやもしれないひとつの「場」が生れるように、しかしあくまでそのためにではなくその意味が見えないままに日々くりかえされる小さな、丁寧すぎるくらいのふるまい、それらが折り重なるなかで、「場」の信頼感というものが醸成されてくる」のが、目的語をもたぬ「待つ」ということなのだとすれば(鷲田清一『「待つ」ということ』角川選書、2006年、191ページ)、まさに「私の中の曖昧な生命倫理観はいったん解体され」たことの帰結としての「待ち続ける」という松永の覚悟は(217ページ)、この意味での待機という構えに重なるからである。それは、世界に対する根源的な信頼にのみ裏付けられた、身を開くという姿勢なのだろう。

そして、障害児にかかわる物語と言えば、しばしば短い命の話が読まれるが、それとは反対に、生きるということに目を向けることで、医学的には「短命という宿運から逃れることはできない」(220ページ)であろう子供の来たるべき最期を、いっさい記すまいという著者の寄り添い方には、不可避の死から逆算せずに今の命を見据えるという点で、とても説得力がある。

このように見ると、トルストイやレーモン・クノーが言うような、幸福な家庭はどれも同じようなものだが不幸な家庭はそれぞれの形で不幸である、といった趣旨の言葉は、「それぞれの家庭にはそれぞれの形の幸福がある」というこの著者に倣って(207ページ)、やはり反転させたくなる。つまり、幸福にはそれぞれの形があるが、不幸には定型があるのだ、と。

ところで、高橋は『101年目の孤独』の冒頭で、日本の混んだ電車で誰からも席を譲られなかった妊婦が、フランス人らしき青年に席を譲られる、というエピソードを語っていた(viページ)。なるほど、個々のフランス人はおそらくはかなり親切なのだろうし、私の実体験からしても、強くそう思う。

しかしながら、フランスで言われる「人権」には、知的障害者は想定されていないようなのだ。いや、これは言い過ぎなのだが、それでも、フランスには、胎児の不治の重篤な疾患を理由とした堕胎を認める胎児条項があるし、従来より簡便かつ精緻な出生前診断の普及によって、産まれてくる染色体異常の子供が、フランスでは減少しているという。産科婦人科全国医師会の副会長が、21トリソミーの子を産むことは負担と考えるかとの問いに対して、「精神的にも、金銭的にも、とんでもない負担だと思います」と述べてしまう国である(坂井律子『いのちを選ぶ社会』NHK出版、2013年、92ページ)。もちろん、こうした流れに反対する勢力も存在しているが、過去には産まない権利を目指して女性運動が展開されてきたという経緯があるにせよ、ある種の「弱さ」のもつ豊かさに向き合う点では、フランス社会は貧相で可哀想なのかもしれないと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

笑うことの無力と罪

・ティムール・ヴェルメシュ『帰ってきたヒトラー』(森内薫訳、河出書房新社、2014年)
・フィリップ・ロス『プロット・アゲンスト・アメリカ』(柴田元幸訳、集英社、2014年)

『帰ってきたヒトラー』は、タイトルの通り、自殺したはずのヒトラーがそのまま21世紀初頭のドイツで目を覚ます、という話。語り手がヒトラーということもあって、たいへん物議を醸したらしい。

その甦ったヒトラーは、事態が呑み込めないまま、当時の姿で振る舞うのだが、それが今日の人々にはコメディにしか見えない。実際、広場で目を覚ましたヒトラーに対して、サッカーをしていた少年たちが声をかける冒頭の場面など、両者のあまりの齟齬に、思わず吹き出してしまった。

「おそらく私は、助けを必要としているように見えたのだ。三人の少年は、それを正しく理解してくれた。さすがはヒトラーユーゲント。彼らはサッカーの試合を中断し、敬意を払いつつこちらに近づいてきた。当然だ。ドイツ帝国の総統が突然、手を伸ばせば届くほど近くに出現したのだ。[…]
 少年たちはやや距離をおいて私を取り囲み、私のことをじろじろと見た。その中からいちばん体の大きな、おそらくはこのグループのリーダーだろう少年が、私のほうを向いてこう言った。
 「だいじょうぶ? 大将」
 大将?
 まさかとは思ったが、だれひとりドイツ式敬礼を行わない。」(15‐16ページ)

文字通り息を吹き返したヒトラーは、自分が総統であることをいささかも疑わない。彼はしばらくして、自分の部下たちがいなくなったことを理解し、次第に現在のドイツの生活に馴染み、携帯電話さえ用いるようになるのだが、その信念は何一つ揺るがない。それどころか、ますます強固なものになる。そして彼の発言は、メディアを通じて、痛烈な皮肉として人々に面白がられ、消費され、体内化されていく。荒唐無稽な話に見えるのに、読み進めながらまるで違和感が生じないのは、細部が綿密に書き込まれているからだろう。

でも、だからこそ、そうして笑いながら読み進めるうちに、この話の舞台がほかならぬ現在であることを痛切に思い知らされる。そのとき、笑いは引き攣り、背筋が凍ってしまうのだ。急に現実に引き戻されるのは、本書を読んでいくと、たとえシニカルな冷笑でなくとも、ただ面白がって笑っているだけでは、何一つ事態の悪化を止められないではないかということに、否応なしに気づかされるからだ。

以前、歴史の激動にも毀されることのない人々の日常の逞しさを、戦時下のジョークを読んだときに感じたものだが、本書は、その日常そのものが異様なものに化けていくという事態を描いているだけに、なおさら恐ろしい。

状況の悪化を食い止めたいという善意から行動しながらも、気がついた時にはすでに手遅れで、いつの間にか、後戻りもできず、これまでの路線を先鋭化させていくよりほかないというのっぴきならぬ事態に陥っていた人々としては、先日再掲した第二次大戦期フランスの対独協力作家たちの姿がまずは思い浮かんだりもするが、そうした出口なしの状況の皺寄せは、誰よりもまず、社会の周縁で生きる人々に及ぶ。

そのことをまざまざと見せてくれるのが、『プロット・アゲンスト・アメリカ』だった。1940年のアメリカで、ローズベルトではなく、反ユダヤ主義者でナチから勲章をもらっていたパイロットのリンドバーグが大統領になっていたら、ロス家を髣髴させるアメリカのユダヤ人一家はどうなっていただろうか、という物語。

両親や兄、そして従兄と暮らす、10歳に満たない男の子の視点から描かれるのは、アメリカという国の自由の価値を信じて疑わず、自分たちではなくリンドバークこそ出ていくべきだと繰り返す父親や、その父親に同調しながら彼以上に芯の強さを見せる母親、「同化したユダヤ人」の成功例として出世を遂げようとする兄やその後援者となる叔母、ヨーロッパでの対ドイツ戦争に参加して負傷したのち、帰国後は同盟国に対して戦った「売国奴」と見なされてしまう従兄、そして自分の周りの子供たちや大人たちの姿である。

だが、それ以上に、そこに描かれる雰囲気が何とも生々しく、重苦しく、私は、読み終えた直後、すっかりその時代に浸かってしまったかのような感覚に捉われ、くたびれていた。登場人物たちは皆、日々を送るなかで、自分の判断に基づいて状況を打開しようとするのだが、真綿で首を絞められるかのように八方ふさがりの状況に追い詰められていく。それゆえ、ところどころに現れる書き手の省察は説得力に満ちている。

「[…]容赦ない不測の事態も、180度ねじってしまえば、私たち小中学生が教わるところの「歴史」に、無害な歴史になってしまう。そこにあっては、当時は予想もできなかったことすべてが、不可避の出来事としてページの上に並べられる。不測の事態の恐ろしさこそ、災いを叙事詩に変えることで歴史学が隠してしまうものなのだ」(155‐156ページ)。

これこそ、文学というもののの一面にほかならない。たとえば、ショアは600万人が虐殺されたという悲劇なのではなく、一つ一つのかけがえのない悲劇が同時期に600万回起こったということなのであり、そのことを忘れさせないのが文学なのだ。

ところで、大きな歴史の流れのなかで気がつかぬまま追い込まれてしまう人々と言えば、アハロン・アッペルフェルドの『バーデンハイム1939』(村岡崇光訳、みすず書房、1996年)などが思い浮かぶが、子供の視点ということで言えば、まずもって、ハンス・ペーター・リヒターの『あのころはフリードリヒがいた』(上田真而子役、岩波少年文庫)に思い至る。これまた、人々がいつの間にかどうにもならない事態に立ち至る過程が見事に描かれる作品だった。語り手の男の子「ぼく」は、ユダヤ人の友達が助けを求めに来た時、そして彼らを助けることが自分や両親の身を直接的な危険に晒すことになると知った時、「わからない、ぼくはどうすればいいのか」と「低い低い声で」無力を吐露するしかなくなってしまうのだった(193ページ)。

それにしても、陰鬱な空気になってきた。「嫌」だの「卑」だの禍々しい文字が書店に並び、「反日」や「売国奴」などといった猛々しい言葉が新聞広告に溢れている。これらは、自分の言葉に酔っていないとすれば、到底使えない言葉ではなかろうか。翻って、「愛国心」については、いつも、ジャン・ポーランの指摘が私の頭に浮かぶ。

「普遍理性的愛国者は感情的愛国者に非常な軽蔑を示す。彼は相手のことを狂人、排外主義者と呼ぶ。しかし感情的愛国者も相手に対して理性的愛国者におとらぬ軽蔑をいだいている。あいつは愛国者でないとまでいう。きわめて厄介なことは、それら両者のいずれもが、まったくまちがってはいないということである。
 というのは、いずれもそれぞれの仕方で母国を裏切っているからである」(『祖国は日夜つくられる』木場瀬卓三ほか訳、月曜書房、1951、14ページ。訳文を若干変更。拙訳『百フランのための殺人犯』書肆心水、2013年に引用)。

つまり、等身大のあるがままの祖国の姿を正面から見据えることが、どちらの陣営もできていない、というのである。ポーランは、対独協力者に対する粛清の嵐が吹き荒れる第二次大戦直後のフランスで、このような発言を繰り返したのだった。

ともあれ、子供にとって「容赦のない不測の事態」は、たしかに、大人にとっても「不測の事態」なのかもしれない。だがそれでも、大人はその皺寄せを子供たちに向けない義務があるようにも思う。そして、そうした事態のなかには、無関心や冷笑だけでは太刀打ちできなくなる局面というものもまた、あるのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2014年9月 | トップページ | 2014年11月 »