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生き残ろうとする理由

・Gabriel Wachmann, Daniel Goldenberg, Evadé du Vel d'hiv, Calmann-Lévy, 2006

1942年7月16日早暁から17日にかけて、パリに住む、子供を含めた外国籍ユダヤ人の一斉検挙が、フランス警察によって行われた。4000人を超える子供、3000人ほどの女性、約1100人の男性のうち、独身者や子供のいない人は直ちにドランシーに送られる一方、子供のいる人々はパリの冬季競輪場に収容された。彼ら彼女らはその後、フランス国内のピティヴィエやボーヌ・ラ・ロランド収容所を経て、まずは大人が、次いで親と引き離された子供たちも、最終的にアウシュヴィッツへと移送された。通称、ヴェルディヴ事件である。

「一般的には、この乱暴な一斉検挙は広範な無関心によって迎えられたと言って差し支えないが、子供たちも連行されたことが知られるようになると、同情心がこの冷淡さに取って代わることになる」と、自身もヴェルディヴ事件で検挙された作家・歴史家モーリス・ラジスフュスが記しているとおり(Maurice Rajsfus, La rafle du Vel d'hiv, col. Que sais-je ?, p.36。発音は「ラジスフュス」でいいのだろうか)、子供たちも検挙され、親と引き離された挙句に虐殺されるという点で、これは絶望的な事件だった。

本書は、ポーランドからフランスにやって来た仕立て屋のヴァクマンの家族がヴェルディヴへと連行され収容されるなか、14歳のガブリエル少年が、姉のロゼットおよび友人のファニーと一緒に、ヴェルディヴを脱出した証言である。ヴァクマンが記した一人称の証言を、作家であるダニエル・ゴールデンベルクが三人称の物語とした作品。このような作品に是非はあろうが、「読者には、再発見されたドキュメンタリー・フィルムを前にした観客のように感じてほしいし、この恥ずべき過去が、その本当の歴史的恐怖をまとった姿で読者の目に再構成されんことを。そして、ガブリエル・ヴァクマンがこの経験をしたのが14歳の頃であることをつねに念頭に置いていただきたい」という彼の狙いは(p.7)、成功しているものと思う。

本書に描き出されているのは、次第にユダヤ人対する締め付けが強まるドイツ占領下のパリにいながら、日常生活を送るなかで、なかなか危機感を抱けない人々や、手をこまねいているしかなくなってしまった周囲の人々の姿であり、同時に、立場の違いはあれど実にさまざまな人がいるということである。

たとえば、「ただで数少ないトイレは詰まっていて機能せず、直せる人は誰もいなかった。みんな、壁際に排泄するよりほかなかった」というヴェルディヴに収容されながらも(Maurice Rajsfus, op.cit., p.67)、「ピッチには子供たちの一団がいて、踊っている女の子や男の子さえいた」ことが報告され(p.63)、子供たちだけでも自分と一緒に脱出する道を探ろうというガブリエルの提案に対して、「あんたは母親から子供を取り上げるというのかい? 男たちは労働収容所に行くことになるだけよ。そして女と子供は解放されるんだわ」と怒りを露にするガブリエルの叔母の姿が記される(p.65)。

また、「[パリ郊外の]ノジャン=シュル=マルヌ県の警察官が一人だけ、この一斉検挙の翌日に職を辞しているが、これは唯一の例である」のが事実としても(Maurice Rajsfus, op.cit., p.43)、ガブリエルの父親に出頭命令書を持ってきた警官は、玄関に出たロゼットに対して、「お父さんにこの書類を渡すんだよ」と念を押しつつも、「お父さんに、この出頭命令に従っちゃだめだと言うんだ! 分かったかい」と注意を促している(p.39)。どのような状況であれ、誰においても、どれほど僅かであろうと人間的に振る舞う余地はあるのではないか、と思わされる箇所だ。

そしてガブリエルは、ヴェルディヴに着いた時、自分が激しい恐怖を感じていることを知る。

「この時まで、ガブリエルは腹を締め付け麻痺させているこの恐怖を押し隠していた。もうたくさんだ! 彼はこのひどいヴェルディヴを探検し、隅々まで知ろうと思った。ほどなく自分のしたいことがはっきりしてきた。逃げることだ!」(p.55)

そうしてガブリエルは、屋上からの逃げられることを発見して、巧みに脱出を果たすのだが、本書では、それ以降、終戦を迎えるまでのさまざまな冒険が語られる。彼の一家を密告しようと見張っていた管理人、脱出した彼を匿ったバルビエ家、自由地帯へと脱出させてくれたナブーレ氏、彼を雇った農場主、彼が身を寄せたパリの職業学校のレヴィ氏といった人々に加えて、彼の参加したレジスタンス活動や、過去の自分の住まいが接収されているなど以前の生活がすっかり破壊されたという事実…… 「許しでも忘却でもなく、という二つのことばが、彼らの考えていることを的確に要約している」(p.133)。

ところで、本書でとりわけ興味深いのは、戦後の紆余曲折を経てメキシコで実業家となっていたガブリエルが、過去の体験を証言しようとしたきっかけが、これまた間一髪で助かった経験をしたからだ、という点だ。1985年9月、巨大地震をメキシコが襲ったのである。

「1985年9月19日、メキシコシティから数百キロのサンタ・エレナで、ガブリエル・ヴァクマンは、この地震で自分が死ぬだろうと思った。57歳だった。数秒の間に、自分の生涯が脳裏をよぎった。自分や家族が無事だとわかると、これは単なる地震ではなく、一つの徴であることが彼にははっきりしているように思われた。今や、フランスに戻ってゼロから再出発し、とりわけ、証言せねばならないのだった」(pp.144-145)。

ここで思い出されるのは、人間の活動力を、生命過程を可能にする「労働」、道具の世界を作り上げる「仕事」、そして意味を生み出す「活動」に分けた、ハナ・アーレントの次のような言葉だ。

「真実の物語と虚構の物語の違いは、まさに後者が「作り上げられる」のにたいして、前者はけっしてつくられるのではないという点にある。私たちが生きている限り関与している真実の物語は、眼に見えるか見えないかにかかわらず、いかなる作者をももっていない。なぜなら、それは作られるものではないからである。この物語が暴露する「ある人」だけが主人公である。そして、他人と異なる唯一の「正体」は、もともとは触知できないものであるが、活動と言論を通じてそれを事後的に触知できるものにすることができる唯一の媒体、それが真の物語なのである。その人がだれであり、だれであったということがわかるのは、ただその人自身が主人公である物語――いいかえればその人の伝記――を知る場合だけである。」(『人間の条件』志水速雄訳、ちくま学芸文庫、301‐302ページ)

どのような人間であろうとそれぞれの人生はかけがえがないわけだが、そのかけがえのない意味が見出されるのは、あくまで、人生という「物語」が完結する「事後」でしかないという。ガブリエルは、歴史の波に呑み込まれながらも、死がほんの身近に迫ったときに初めて、過去を語ろうという決意を抱いた。こうして、数々の危険を冒し、多くの人に救われながら、がむしゃらに自分が生き延びようとしてきたのは、証言するためにこそなのだ、ということが彼自身にとって、事後的に明らかになったのだろう。だとすれば、証言者としての人生は、余生と言えるのかもしれない。だがそれもまた、言うまでもなく、かけがえのない生なのだ。

(2015年7月31日追記) このヴェルディヴ事件をめぐって、「ヴェルディヴ事件の子供たちとパリの文壇」という論文を発表しました(日本大学商学部『総合文化研究』第21巻第1号)。この紀要はそのうち、本学のHPに公開されるはずなので、そのときにはリンクを張ります。

(2016年5月2日追記) ようやく上記の紀要がHPに公開されました。

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